水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

センター試験

2011年06月08日 | 日々のあれこれ

 センター試験の実施要項が発表になり、理科と社会では、2科目分の時間で1科目を解く裏技が可能になると、一部で話題になっている。
 1科目しか必要なくても2科目受験で出願しておいて、本命科目に2科目分の時間を使うというのだ。
 問題冊子には全科目載っているから。
 冷静に考えたなら、理科や社会について60分で解けない問題を120分かけたからといって解けるわけはないのだが、システムとしてこういう不公平が可能になるのは、やはりおかしい。
 そういう疑問に対してセンターではこう答えたと新聞にはある。

  ~ 同センターの担当者は「合否判定に1科目の成績しか利用しない大学にも2科目の成績と受験した順番を提供するので、歯止めになると考えている」と話している。 ~

 1科目しか利用しない大学に、2科目目の点数も通知するから、合否判定に使いなさいと言うということだけど、ほんとに? 本気でいってるのかな。
 これがおかしいことに気づかない程度の方々が作ったシステムだとすれば、しかたないのかもしれない。

 ちなみに国語はもともと、現代文だけで受ければいいという大学がけっこうあった。
 普通なら80分で評論、小説、古文、漢文と4問解くところを、80分かけて評論、小説の2問解けばいい子たちがいたのだ。
 国語は、読むのが遅い受験生には、かなり有利にはたらくはずだが、あまり問題になってこなかった。
 これは客観的には不公平なシステムだ。
 ま、実感としては、時間を倍かけても、読解の精度があがった子は少なかったとは思うけど。
 
 どうせなら、国語も理科社会みたいにしてくれないかなあ。
 つまり、現代文しか見ないと言っている大学に、古文、漢文の点数も通知し、合否判定の材料にするように言うのだ。
 そしたら、みんなが実質4分野とも勉強することになる。
 古典はもういいやと思う子が二学期からおれの授業で内職はじめるという弊害も減るだろう。
 しかし、いやしくも最高学府での学問研究に携わるお歴々が、漢文を入試に課さないと発想すること自体、腑に落ちないのだ。
 われわれの学問のよって立つ基盤を考えたなら、英語のリスニングよりよほど重要度は高いと思う。
 日本人が、最高学府での学問を全部日本語で行えるのは漢文あればこそなのに。
 漢字仮名交じり文化を日本人がもってなかったら、欧米以外のほとんどの国みたく、自国の言語で大学教育はできなかった。
 というようなことを大学で教えてもらえないのなら、せいぜい頑張って教えておこうと思う。

コメント (2)
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