麻生久美子が吉野屋で牛丼を食べるシーン、その食べっぷりがいい。
丼をもちあげて、最初に肉をがつっと口に入れたときの、その官能的な顔つき。
もう一度肉のみを箸ではさんだとき、ちょっと待って、最初から肉肉いったら、すぐになくなっちゃうよ、最初の一切れでごはん二口いっておかないと、後半おかずが足りなくなるんだよ、吉野屋は、とおれが叫ぶのも聞かずに口に運ぶ。それから、ごはん、ごはん、笑顔、笑顔。
いつのまにか口元にごはんつぶが二つついている。あー、とってあげたい。とって自分の口にいれたい。
肉、ごはん、肉&ごはん、肉&ごはん。特盛りだったのだろうか。
その食べっぷりに店中の男達がいつのまにか、見とれていて、食べ終わった瞬間に拍手が起こる。
「すいません、おかわり」と告げる麻生久美子の顔に、かすかな狂気を感じられると、この作品が味わい深くなる。
麻生久美子、役名ではルミかな、ルミは主人公の森山未来くんにふられたあと(これ自体、なぐってやろうかと思った)、森山くんの上司とデートしそのまま関係をもってしまう。
高級お寿司をたらふく食べ、ホテルで一晩つきあって、翌朝「じゃ、帰るね」と一人ホテルをでてくるルミ。
「あー、はらへった」とつぶやいて入ったのは吉野屋だ。
ここで藤原俊成だと「満たされかねつ、わが心は~」とか歌ってしまい、俊恵に「残念」と言われてしまうのだろうな。
寿司でもセックスでも満たされない体は、そのまま女一人吉牛で、満たされかけたのかと思わせておいて、でも「おかわり」と言わせてしまう。
この欠落感の描き方は、ツボをついている。
もちろん、それを演じる麻生さんの力量によるところも大きい。
森山未來くんにすがりついて泣くシーン、リリーフランキーに「おれのセックスって正確だっただろ」と言われて「そうね」と答えるときの表情、一人カラオケでの弾け方、どの場面をとっても、グッジョブだ。
他にも長澤まさみちゃんは言わずもがなの仕事ぶりで、いつのまにか風格さえただよっている。
真木よう子さんは、手慣れたキャラ。仲里依紗ちゃんはもっと見たかった。
考えてみると、人は不完全であるがゆえに人間であり、キリスト教ではなくても不完全さこそが人間だと定義できる。
だからみな、今の自分ではない自分になろうとし、ここではないどこかに行こうとし、足りないものを何かで埋めようとする。
何になっても、どこへいっても、何で埋めても、満たされることはない。人間だから。
でも、何かをせずにはいられない。人間だから。
何で満たそうとして、どれくらい埋まらないかで、そのせつなさの度合いがきまる。
そのせつなさを表面的にはほとんど出さずに、数々のJPOPの名曲をストーリーにも取り入れながら描写していく監督さんのセンスのよさにしびれた作品だった。