水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ウィンターズボーン

2011年10月30日 | 演奏会・映画など

 舞台はアメリカ中西部ミズーリ州の山間地帯。
 登場人物が作品中一回も携帯電話を使わないのだが、これって現代のアメリカなのかという疑問がまずあった。
 そして、あの大アメリカにここまで貧しい地域があるのかという驚きと。
 精神は幼くても、津々浦々まで物だけはあふれてる国だと思っていた。
 貧困ゆえか、麻薬も地域に蔓延している。
 そこで精神を病んだ母、幼い弟と妹との一家をささえているのが、主人公の17歳の少女だ。
 少女と言っていいのかな。
 実際、かすかにあどけなさが残る美少女だが、その貧しい土地で家族を支えていくために、狩りもすれば、薪も割る。
 ライフルの撃ち方やリスの捌き方を弟妹に教える。
 隣家で捌くシカをもらいに行こうよとささやく弟を、向こうからくれるっていうならもらえばいいけど、物欲しそうにしていけないと諭す。
 母親の面倒をみる。
 そして、逮捕された後に失踪した父親の居場所をさがす。
 父親は、共同体の掟にふれたのだった。
 大人たちはそれを知っているから、父親が消されたであろうことは理解している。
 そして真実が明らかになることを嫌い、少女によけいなことにクビをつっこむなと言う。
 しかし、父親を見つけなければ、家や森が没収されてしまう。
 そうなったら家族は守れない。
 つてをもとめひたすら山間部を歩き続け、大人につかまってリンチにあっても、ひるむことなくほんとのことを教えてほしいと迫る。
 
 同じシチュエーションを、邦画だったらどんな風に描くだろう。
 すべてを知る長老が最後に出てきて、上手い具合に全部解決してくれて、父は死んでるけど家族はそのあと平和に暮らしました的にまとまるパターン。
 もしくは、主人公を助けるヒーローがあらわれて悪そうな人々をばったばったと倒してくれて、最後はその少女とラブになるなんてのが想像できる。
 普通のアメリカ映画だったら、父親はエイリアンに殺されてたとか、ヴァンパイヤだったとかなるところだろうか。
 いや、主人公は父捜しをはじめて10分くらいでレイプされて殺されるだろう。

 この映画はどれでもない(あたりまえかな)。
 つまり、映画的に解決しない。
 貧しい山間の共同体を生きる人々の閉塞感と、筋を通し続けるヒロインの姿を描写し続ける。
 父親の骨を(腕)を発見させられ、事態が解決したところで、爽快感はまったく得られない。
 少女は文字通り命がけで家族を守りをしたが、それはたんに家を出なくてすんだというだけで、なんらかのプラスがうまれたわけではない。
 それでも、そこまでして家族を守った少女の思いは幼い弟妹には伝わるし、そうやって生きることが彼女の矜持なのだ。
 全編ずっと息をつめて見続けないといけないこの作品はまったく娯楽作品的楽しさはないが、観て良かったと心から思う。ていうか、かっこよすぎるのよ、ジェニファーローレンスさん。
 一度あの子にガンつけられたいと思うくらい。真木よう子さんの比ではないくらいシビれそうだ。
 アメリカ映画にもちゃんとしたのあるんだなあと思った。

コメント
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