水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

線引き

2014年02月21日 | 日々のあれこれ

 本物と偽物の差はどこにあるのだろう。
 東京佼成ウインドオーケストラの演奏する「祈り」を聴きながら、そんなことを思う。
 作曲は佐村河内守氏、つまり新垣隆氏によるもので、ふつうにいい曲なのだ(この「ふつう」は最近の若者の用法です)。
 吹奏楽作品として、聴き映えがする。事件にならなければ、おそらく次のコンクールでいくつかの上手な学校さんがとりあげていたはずだ。埼玉県でもあの学校さんなら十分可能性あったろうななどと思う。
 と同時に、疑念をもって耳を傾けるならば、パロディ感がただよっていると感じられるのもたしかだ。
 ま、今だからそう言えるのだけれど。
 人間の苦悩や罪を表現しているかのような前半部、一瞬光が見えたかと思うとまた遠ざかっていく展開、技術的に難しいパッセージをはさんで、希望へと導かれ、最後はわかりやすいメロディーで感動的にまとめる。
 「吹奏楽って、こんな構成でできているから、それっぽくお願い」「合点承知!」という感覚でつくられているようにも聞こえる。
 でも、最近人気の邦人の作品て、ぶっちゃけ全部同じと言えば同じだ。
 ただし、新垣氏の「祈り」は、古くささは感じなかった。
 かりにそれ風のを「つくってみた」作品であったにしても、新垣氏の才の非凡を感じるには十分だった。
 何が本物で、何が偽物か。
 本物と偽物という対比自体がおそらく違うのだろう。
 じゃ本物の対義語は何? パロディ? ものまね?
 ものまね性の全くない完全なオリジナルというものが、この世に存在するのだろうか。
 神以外にそれがつくれるのか。
 仮につくられたとしても、それを理解できる人はおそらくいない。
 自分が知っている、理解できる範囲、次元で処理できて、かつちょっと違うものを見つけたときに、人はそれを独創性にあふれると評するだけだ。
 自分と、自分を越えたものとの差が最もほどよい時に、すごい! と叫んでしまうのだろう。
 その差の作り方が上手な方を、感動クリエーターともよべるし、詐欺師にもなる。
 舞台に立って人に何らかの感動を与えうる存在とは、この2点を結ぶラインのどこかには立っている。
 おそらく、きちっと線をひいて分けられるものではない。

コメント
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