水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2月24日

2014年02月24日 | 学年だよりなど

  学年だより「守・破・離」

 レッズハートフルクラブの落合キャプテンがおっしゃられた「守破離」という言葉は、古くは戦国時代の兵法で語られたもので、それが「茶の湯」で世界で用いられ、いつしか広く芸事や武道に世界にも広がっていった。
 それだけ、修業の段階を表す言葉として簡にして要を得たものであるということだろう。


 ~ 守破離と申す三字は軍法の習ひに在り。「守」はまもる、「破」はやぶる、「離」ははなると申し候ふ。弟子にふるは此れ「守」と申す所となり。弟子「守」を習熟し能く成り候へば、自然と自身より「やぶる」。これ上手の段なり、さて、「守る」にても片輪、「破る」にても片輪、この二つを「離れ」て名人なり、前の二つを合して「離れ」てしかも二つを「守る」ことなり。 (川上不白『不白筆記』1794年) ~


 まずは、基本を徹底的に身につけ、土台をつくる段階。その後、師匠のまねではなく、自分なりの工夫や型をつくろうとする段階。個性はこの段階になってはじめて生まれる。さらに、それまで学んだことから自由になり、独創的な世界をつくりあげる段階。
 「破は上手、離は名人」と川上不白は言うように、凡人が「離」レベルに達するは難しい。
 落合さんも述べられたように、これは芸事、習い事の世界だけに通用する原則ではない。
 スポーツの習得にはもちろん、学問にもあてはまるし、仕事にも、いや人の生き方全般にあてはまると言っていいかもしれない。
 基本が身についていない状態で、「自分の個性を出したい」などと考えるのは間違いだ。
 素振りもできずに自分独自のバッティングがうまれるはずはないし、楽譜の知識もないまま名曲をつくることはできない。
 基本的な公式を覚えずに問題を解くことはできないし、「ユメタン」レベルを知らずにグローバルな人材になれるはずもない。
 主語・述語を対応させられない人が小論文を書いても、個性豊かな文章は生まれない。
 「お茶くみ・コピー取り」仕事のできない人に、独創性あふれる企画開発は手がけられない。
 まずは「守」だ。
 受験に必要な程度の学力は、学問の世界では「守」にすぎない。
 受験に必要な程度の学力を身につける技は、仕事能力としては「守」であろう。
 高校生活の中で培っていく生きる技術は、生きていく上で「守」レベルのものだろう。
 つまり毎日学校に来る、朝おはようございますという、自分のものは自分で片付ける、友達と機嫌良く接するといった生活技術だ。
 それらを身につけ、土台をつくったうえで初めて自分なりの生き方をさぐるべきだ。
 基本ができてない段階で、自分の個性を大事にしようと口先だけで言っても、何も生まれない。
 「守・破・離」の順番は、どうしようもなく正しい。今のみなさんは徹底的に「守」を行うべきであり、やりたいこと探しに時間を費やす愚をおかさないようにしてほしい。

コメント
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