センター試験の問題をちまちまやっているうちに、国立前期も終わってしまった。
私大も含めて一応目を通そうとしてるが、なかなか本格的に読むまでにはいたらない。
ただ、慶應の法、早稲田の法で、ともに「ケア」を題材にする文章が出題されてて興味深かった。
具体的行為としての「ケア」の問題は医療看護福祉系の小論文で見かけていたが、普通の大学・学部の入試では目立ってなかった(勉強不足なだけかもしれないけど)。
どちらの文章も、現象としての「ケア」ではなく、「ケアの倫理」としてとりあげ、それを「正義の倫理」と対立する概念として考察している。
早稲田はそこから「ケアのジャーナリズム」へ、慶應は「家族・フェミニズム論」へつなげていく。
おそらく学問の世界で、この分野にまとまった理論体系ができつつあるという事情と関連するのだろうが、来年以降、入試評論文の大きなテーマになってきそうだ。
東大の第一問は「落語の国の精神分析」。
この話題、個人的には興味深いが、受験生はどうだろう。
「根多を覚えたとおりにやっても落語にはならないし … 昨日大いに笑わせたくすぐりが今日受けるとは限らない」という一節があって、「根多」に「種を逆さ読みにした語」、「くすぐり」に「本筋と直接関係なく挿入される諧謔」という注がつけられているが、かえってわかりにくくしてないか。
落語家と比較しながら、精神分析家である著者ご自身の仕事を分析し、人間理解とはどういうものかを述べていく文章なのだが、無理矢理「患者をケアする話」と言えないこともない。
日本が超成熟社会に入ってることを、入試問題を見ててもなんとなく感じたという、国語の先生ぽいことをたまに書いてみた。
ただ、この文章だったら、以前なら文系だけが解答する第四問で使われたんじゃないかな。
その第四問は蜂飼耳さんという若手の詩人で、早稲田でも教鞭をとられているそうなので娘に聞いてみたら、単位とるの楽そうだから来期とろうと思ってたと言う。けっこうお若い方で教授で詩人でエッセイストで … 、才女なのだろう。「背・背中・せなか」の小池昌代さん的流れで、きっとおきれいな方なんじゃないかな。
センター試験でとりあげられる文章もそうだけど、ずいぶん書き手の方が若くなり、おそらく問題作成者もどんどん若くなっている … じゃないのね。自分が年とってるんだよね。