水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

2014年03月14日 | 日々のあれこれ

 ここ数日「差別的」という言葉を繰り返し見聞きしてて気になっていた。「的」の部分に。
 レッズのサポーターが掲げた幕は、差別「的」ではなく、あきらかに差別だ。
 にわか埼玉県民として(でもないか、もう何十年も税金払い続けてるし)、Jリーグの試合があれば、やはり一番気になるのは浦和レッズの試合だ。スポーツニュースを見れば、顔が判別できる選手もいる。
 そしてレッズサポーターは、他のどのクラブにもまして存在感があることも何となく知っている。
 試合に行ってないサポーターたちが今回のニュースを知ったなら、たぶんあの人たちがやったんじゃないかなと思えたぐらいの状況なんじゃないだろうか。

 大野勢太さんがこの問題についてどう語るかを聞きたくてナックファイブを聞いていた。
 「あの横断幕を見つけて、まずいと思った人はいるはずです。その人が、撤去してしまうことはできなかったのでしょうか」という投稿に対し、「それは、難しいです」と答える。
 「横断幕というのは、サポーターがそれぞれプライドもって掲げてますから」だって。
 他人の掲げた横断幕を邪険にあつかったりすると、トラブルのもとですよ、という表現なのだろうと思う。
 ここかな、問題は。
 集団というのは、メンバーも限られ、行動目標が明確であると、排他的な集団になる危険性をもつ。
 それは部活動でも同じだ。
 行動目標に向かって一生懸命やればやればやるほど、自分の集団が正しく、それ以外の価値観がみえなくなってくる。
 そこに疑問をもつ人はそっと離れていくのが常だから、ますます「純粋」化する。
 たぶん、今回問題を起こした方々は、「なんでだめなの?」と思ったのではないだろうか。

 だから「的」とかつけて、うやむやにしようとするのでは、問題は解決しない。
 授業でよく話すけど、「的」は、「~tic」(~チック)の訳語を探していた明治時代(幕末かな?)の学者が、「おお、この漢文にある『的』はどうであろう」「なるほど『的(テキ)』と『tic(チック)』は、なんとなく声に出しても似てますなあ」ということで、けっこうアバウトに成立した言葉だ。
 でも、便利だ。けっこう何にでもくっつく。
 そして現代、「婉曲表現」第一位になっているのがこの「的」だろう。
 「こう思う」ってずばっと言うべきところでも、「私的には」と言って表現をぼやかす。
 通常の会話なら、そんな言い方を多用した方がコミュニケーションはうまくいくけど、差別を差別的と言い換えるのは、よくない。
 問題を起こしたサポーターの問題ではなく、その問題を生んだ組織、システムの全体の問題としてとらえるべきだ(西村欣也さん的まとめになってしまった)。

コメント
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