水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

3月19日

2014年03月19日 | 学年だよりなど

集合してストレッチからの朝食(鯖西京味噌焼き、ちくわ天ぷら、納豆、卵焼き、豚汁)。
 3年生たちに最後の合宿所そうじをしてもらい、個人練習から二部の通し。
 平行してトランペットレッスン。 
 学年会議、職員会議のあいまに、渡辺先生に3部の曲を合奏してもらう。平行してサックスのレッスン。
 新年度のクラス分けやら、春休みの課題の確認やら、今日に関してだけは部活との両立がつらかった。
 あいまに「学年だより」を書く。でも、けっこう昔のを直して使うことにした。

 

 学年だより「時間」

 やりたいことだけやって過ごしていける人生ならどんなに幸せだろう。
 今現在、みんなが自分のやりたいことをやれてないのは、まだその準備ができてないからだ。
 やりたいことが見つかってない人も同じだ。
 やりたいことを見つけられる準備ができていないのだ。その状態のまま、無理にやりたいことを見つけようとしても、見つからない。
 やりたいことが目の前に表れても気づかないのだ。準備ができていないから見つからないのに、準備もせずに「やりたいこと探し」だけをやっている若者が多くなっている。
 目の前にあることに一生懸命取り組むことからしかはじまらない。
 それらしい理屈をこねて、やれない自分を正当化してはいけない。
 そのテレビは本当に見たいのか。ゲームは本当にやりたいことなのか。友達とのんびりしていることは今本当にしたいことなのか。それが今を生きることを大切にしていると言えるのか。人生の時間をけずって今したいことなのか。
 「こんなことをやって何になるのだろう」という疑問を抑えられないなら、「こんなこと」を捨てればいい。捨てないのなら、よけいなことを言わずにやればいい。
 何をやればいいのか、どうやればいいのか、と悩むより先にやってみればいい。
 やらないうちに、方法を論じ続けても何も生み出さない。少なくとも、やってみれば、それが失敗であっても「これは失敗だ」ということに気づいた分、前にすすんでいる。
 かっこつけたり、おしゃれにやろうとしたりする必要はない。みんなはそんな余計なことを考えなくていいように、この学校に来たのだから。
 部活で時間が足りないと言う人がいるが、本当にせっぱつまってそう言ってる人は見かけない。 電車を待つ駅のホームで3分勉強し、14分かかっていた風呂を8分に短縮する努力をし、それでも足りないというほど追い詰められている風には見えない(どんだけムダにしてるんだろ、という雰囲気の人はけっこう見かける)。
 あと11ヶ月、どろくさく、濃い時間を過ごしていこうではないか。


 ~  人生の持ち時間に大差はない。
   問題はいかに深く生きるか、である。
   深く生きた記憶をどれほど持ったかで、
   その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなるし、
   深く生きるためには、ただ受け身なだけではなく、
   あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。
            (城山三郎『この日 この空 この私』朝日新聞社) ~

コメント
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