『そして、星の輝く夜がくる』の主人公、小野寺徹平は、被災地にある遠間第一小学校へと、はるばる神戸から赴任していった。
教員が不足していた被災地を応援するために派遣された形だが、小野寺自身、現任校の校長とうまくいってなくて、飛び出すように応募してやってきたのだ。
小野寺が遠間にやってきて最初に感じたのは、子ども達があまりに「お利口さん」だったことだ。
被災してわずかな期間しか経ってなくて、仮設住宅の住む子ども達も多く、生活に不自由があるのは明らかだ。それなのに、文句を言うばかりか、よく言うことを聞き、笑顔を見せる。
大人たちに気を遣い、子どもらしい感情を押し殺しているようにしか見えなかった。
小野寺は自分のクラスで、『わがんね新聞』をつくることにした。
「あまちゃん」で何度も耳にした言葉だが、「わがんね」にはたんに「わからない」ではなくて、「やってらんない」「もうだめだ」という意味があることを知った。そのへんのニュアンスを知っていると、「あまちゃん」も、もっと楽しめたかもしれない。
「わがんね新聞」には、大人に言いたいこと、今まで言えなくて黙ってたことを全部ぶちまけろと小野寺は指導する。
子ども達は書く。「原発のことしか言わない総理にむかつく」「父は酒をのみ、母は泣くばかりだ」「泣いてるときを狙って写真撮ろうとするな」。
これらを新聞にして貼りだしたとき、当然大人たちからは反発があった。
家族の事情を勝手にさらすなという保護者のどなりこみ、小野寺のクラスだけ勝手なことするなという同僚。
しかし、校長先生は、周りの顔色を窺わずにやってみてほしいと受け止めてくれた。
なんか、「熱中時代」を思い出してしまった。若き日の水持をして、小学校教師の道を目指そうと決心せしめた、あのテレビドラマを。
北野広大先生よりずっと年長で、17年前の阪神淡路震災で奥さんと娘さんを失ったという過去をもつ小野寺先生だが、大人の都合が子どもに優先するのはおかしいと根本的に思っているところが同じだ。
もちろん、学校というシステムそのものが、大人の都合で作られたものであることは間違いない。
だからこそ、そこに「収容」されてしまった子どもたちがいきいきと活動できる環境をつくるのが、大人の仕事だ … と、われわれ教員は、頭ではみんなわかっている。
わかっていながら、時に自分の立場、自分の組織を守ろうとする「大人」な意識が全面に出て、子どもの存在をないがしろにしてしまう。
どなりこんで来た保護者に、お父さんがそんなだから、だめなんだと言い返してしまう小野寺先生がうらやましくさえ見える。
~ 「子どもたちを見てたら、何もなくなっただの、もう立ち上がる気力はないだのと嘆くのが情けなくなりましてね。わしらも本気出すことにしました」
… 「先生に怒られたおかげです」そう言って松井の父が頭を下げた。
俺はただ、酷い目に遭っているのに我慢している子どもの顔を見るのが、いやだっただけです――、そう言いかけて小野寺は言葉を飲み込んだ。 (真山仁『そして、星の輝く夜がくる』講談社) ~
うらやましいとは思うが、彼のような先生がほんとに同僚だったら、どうだろう。
たとえば自分と同じ学年団の一員だったら。
学年主任になったばかりの自分だと、ちょっと上手く扱えなさそうな気もする。
でも、今ならうまくやっていけるかな。
自分の信念にもとづいて突っ走るばかりが近道じゃないよって、エラそうに教えてあげられるかもしれない。
この本では、校長先生が、小野寺先生のあふれるばかりのエネルギーをうけとめ、それが子ども達にとって正しく働くためのお膳立てしていた。
小野寺先生自身も、それに気づいて、教師としての階段を一歩のぼっていく。
~ 「その時は俺が責任とって教師辞めますよ。だから、やらせてください」
「小野寺先生がお辞めになったところで、問題解決にはなりません」
教師たちのやりとりを目を閉じて聞いていた校長が、ようやく口を開いた。
「では、保護者を集めて私が説明しましょう。そして、子どもの思いを形にすることをご理解戴けるように、誠意を尽くしてお願いします。それでいかがですか、教頭先生」
そうなんだ。これが大人の落とし前のつけかたなんだ。自分のクビをかけるなんて子供じみている。自らが矢面に立って、子どもたちがやりたいことを実現させるために誠意を尽くす。俺にはこういう発想がないんだ。
小野寺は改めて自身の力不足を痛感した。 ~
小野寺先生という、『ハゲタカ』の鷲津の匹敵するくらい魅力的なキャラクター、そして綿密な取材に支えられた被災地の現実をふまえて作られた物語。
震災後の日本文学の、一つの収穫と思えるほど、読み応えのある小説だった。