孤独な不良老人といじめられっ子の少年が出会い、心のつながりを深めていく作品 … 、といってしまえば、どこかで聞いた話だよねと思われるかもしれない。
しかし、始まってすぐに、これはいい映画に違いないという予感がして、何でもないシーンで目頭があつくなり、最後は予期していない感動で号泣した(あー、なんで、こんなつまんない常套句しか書けないのだろう)。
なんといっても役者さんだ。
不良老人は、ビル・マーレイ。酒びたりで競馬場に行っては負けがこみ、借金で首がまわらなくなっている。
酔っ払って怪我をしたまま寝込んでも、朝を覚ますと再び同じ日が繰り返される(「恋はデジャブ」) … ことはない。
この気むずかしく偏屈な一人暮らしの老人ヴィンセント家の隣に、シングルマザーとその息子が引っ越してくる。
息子オリバーが転校したのはカトリック系の名門小学校だったが、すぐにいじめられ、体育のあと服を隠され、一緒にあった財布も鍵も見つからない。
自宅の前で茫然とすわっていたところをヴィンセントがみつけ、二人の交流が始まる。
病院で検査技師として働く母親は忙しく、なかなか子どもと向き合う時間がとれない。ヴィンセントを、うさんくさい隣人と思いながらも、ついついシッターを頼むことになる。
母親の知らないうちに、ヴィンセントはオリバーにけんかのやり方を教え、競馬場につれていったり、バーにつれていったり、「夜の女」を紹介したりする。
ビル・マーレイのさすがの演技はもちろんだが、オリバー役の子役ジェイデン・リーベラー君がすごすぎる。エマワトソンさんやクロエモレッツさんを初めて観たときの衝撃をこえるくらいにいい。
もう彼はひっぱりだこなのではないだろうか。
気むずかしさの裏に隠されたヴィンセントの過去や苦悩が明らかになっていくと同時に、徐々に生きる力を身につけていくオリバーは、最初にいじめた子と親友になり、大人の世界を学び、ヴィンセントの本当の優しさに気づいていく。
オリバーが校内発表でヴィンセントについて語るシーンは、木石にあらねば泣かざるはなしだった。
ベトナム戦争帰りの孤独な老人、認知症を患って施設に暮らすその妻、離婚調停中のシングルマザー、その息子、ストリッパーで妊婦でありながら身体の稼ぎも続けるけっこう年配の女性(ナオミ・ワッツ) … 。
その他の登場人物たちを全部思い浮かべてみても、「まともな」人が出てこない。
奇人変人というのではなく、誰もがなんらかのハンディを抱えて生きているという意味で。
でも、なんのハンディもない人っているだろうか。
けしてアメリカ社会の縮図を表す作品ではなく、どの社会にも見られる人の生きにくさを描いているように思えた。
最後まで見ても、ヴィンセントの借金がチャラにはならないし、ナオミワッツの生んだ子どもの父親は明らかにならないし、オリバーの母親もあらたな幸せを見いだすわけではない。
オリバーも、実は血の繋がっていない両親のもとを行ったり来たりし、気を遣いながら生きていくのだろう。
何も解決していないのに、こんなに心動かされたのはなぜだろう。
少年の成長ぶりも愛しいが、やはり老人の本当を少年が見抜き、敬愛し、それを知った周りの人たちも優しい目をむけるところではないだろうか。
誰もが抱えている生きにくさをお互いに少しわかりあうだけで、人はおだやかになれると気づけるからだ。