水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ごめんなさい

2015年12月01日 | 日々のあれこれ

 

  レッズサポーターによる差別発言の問題は、地元民としても、高校教員としても気になるニュースだった。
 発言の主である高校生は、親とともに学校に出向き、自分のしたことを申し出て、チームや選手に謝罪したいと言っているという。
 もちろん高校生のしたことがいいことのはずはないが、自分のしたことの重さに気づき、すぐに謝ろうとした事後のふるまいには間違いがない。親御さんも常識的な方なのだろう。
 yahooニュースのコメント欄をみていたら、「学校が謝るのはおかしい」「学校はかばうな」というコメントが思いのほか多くて驚いた。
 これで学校が何の対応もしなかったら、「学校は何やってるんだ」と同じ人が書くに決まっている(これって差別かな? まあいいか、匿名でしか発信できない人には何言っても)。
 差別感情のない人はいない。
 大事なのはその感情が差別であると気づけることであり、その感情をそのまま表現したら傷つく人がいると思えることだ。
 今回の場合、高校生とはいえ、自分の発言が差別表現だと思わなかったとは考えにくい。
 差別的言辞だからこそ、その瞬間の自分の憤懣やるかたない思いをのせてしまったのだ。
 さらにSNS上で発信してしまったことが決定的に問題を大きくした。
 自分の発信がどの程度拡散するものかという想像力が欠けていた。
 子どもにそういう想像力をもたせられていないという意味では、本人や親だけでなく、学校教育にも責任の一端はあると言えるだろう。
 これまで、いじめ問題が起こったときに、学校や教育委員会が情報を隠すことで、二次災害が起きた例がいくつもあった。
 今回も、発言した子が公的に特定されないままだとしたら、またどこのどいつだとか、通っている学校はどこだとか、その家族はこんなだとか、とんでもない状況になったことだろう。
 高校生が名乗り出て、親や学校もあげて謝ることで、本人も反省しただろうし、隠すことで逆に生じるいろいろな問題を回避することができた。
 あえて言うが、この程度の問題はどこの学校でも簡単に起こりうる。
 そういう意味で、学校の今回の対応は、その素早さも含め(これは私立だからじゃないかな)危機管理の面からも評価しうるし、頭にとどめておきたいと感じた事例だった。 
 埼玉の一大人として、高校教員として、パトリック選手にはごめんなと言ってあげたい。

コメント
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