水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

栄誉をたたえる

2015年12月08日 | 演奏会・映画など

 

 日刊スポーツ映画大賞が、作品賞に「ソロモンの偽証」、主演女優賞に綾瀬はるかさんを選んでいたが、妥当な結果だ(て、何様?)。
 大作感が漂うものが選ばれやすい感じがあるので、「日本の一番長い日」とかかなあと思っていた。それは日本アカデミー賞かな。
 「海街」の綾瀬はるかさんは、誰もが納得する仕事ぶりだったし異論はないが、自分的には作品賞として「海街Diary」を、主演女優賞に「ソロモン」の藤野涼子さんを押したい。
 試験監督中の厳正な審査を行った結果、今年は以下の通りの結果となった。末永く栄誉を称え、今後益々の精進を望みたい。

   作品賞 「海街Diary」
 主演女優賞 藤野涼子(「ソロモンの偽証」) 
 助演女優賞 杉咲花(「トイレのピエタ」)
 主演男優賞 鈴木涼平(「俺物語」)     
 助演男優賞 本木雅弘(「天空の蜂」)
   新人賞 黒島結菜(「あしたになれば」)
 ユニット賞 ももいろクローバーZ(「幕が上がる」)
 アツすぎたで賞 藤原竜也(「探検隊の栄光」)  
 舞台あいさつ見に行ったらあまりに顔が小さかったで賞 足立梨花(「でーれーがーるず」)
 期待して舞台あいさつ行ったら欠席でがっかりした賞 優希美青(「でーれーがーるず」)
 この子はもっと活躍しておかしくないのに賞 忽那汐里(「海難1890」)
 一番号泣した賞 「ビリギャル」     
 知人が関わってたで賞 「マエストロ」
 脇役が豪華すぎたで賞 「恋人たち」

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エルトゥールル号の奇蹟(2)

2015年12月08日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(2)」


 その爆発音を別の場所で聞いた者がいる。時化で打ち上げられた魚を、村人達に抜け駆けして捕ってしまおうと、夜の浜辺に向かって歩いていた村の若者、浜田伝造たちだ。
 思いがけない音に驚いて海の方を見ると、巨大な帆のようなものが見えた。急いで浜辺に降りると、船の破片らしき材木とともに、何十人ではすまない数の人が打ち上げられ、横たわっている。
 とんでもないことになったと伝蔵は思った。
 「しっかりしろ!」うずくまっている人を抱きかかえるようにすると、明らかに異国の人である。
 もちろん、言葉は通じない。
 歩くことのできる何人かを連れて灯台に向かうと、技師の滝沢がとまどいながら、中に招き入れた。「どこの国から来た人や … 」。ふと思い立って部屋の隅にあった「万国信号ブック」を開く。
 各国の国旗が一覧になっているページを開くと、彼らが指さしたのはトルコ国旗だった。
「トルコ … ? そう言えば。 … これや!」
 滝沢は、伝造たちに数日前の新聞を開いて見せた。
「オスマン・トルコから、天皇陛下への親書を携えた親善使節団が来日した。歓待を受けたのち、使節団の乗ったエルトゥールル号が横浜から出発した … 」

 エルトゥールル号とは、19世紀半ばに建造されたオスマン帝国海軍の軍艦である。
 明治20年、明治天皇の親書を手にした小松宮彰(あき)仁(ひと)親王夫妻が、オスマン帝国の帝都イスタンブールを訪問した。そして皇帝アブデュルハミト二世に親書を奏呈する。
 その答礼として、オスマン・パシャ海軍少将を特使とする大使節団が日本に送り出されることになった。使節団、船員あわせて600名を越える面々を載せたエルトゥールル号は、明治22年7月に母国を立った。
 スエズ運河を越え、アデン(イエメン)、ボンベイ(インド)、コロンボ(スリランカ)と立ち寄りながら航海を続ける。補修や燃料補給を重ねながらの航海であり、また各地でイスラム教徒からの熱烈な歓迎を受け、大変な長旅となり、横浜に入港するまでに実に11ヶ月を要した。
 航海は辛酸を極めたが、日本人の歓待ぶりは熱烈だった。歓迎行事が次々と行われ、国内はいっきにトルコ流(ば)行(や)りになったという。そのため一行の逗留期間が予定より長くなった。
 折しも長崎に端を発したコレラの流行に使節団はおそわれた。乗務員の何人かを病気で失うとともに、船の消毒や補修で、さらに滞在期間は伸びた。船員達の体調も船自体も万全ではない中、これ以上日本にいては帰国の資金が底をつくと判断したオスマン・パシャは帰国を決意する。
 どうせなら近づいている台風が過ぎるのを待って出発してはどうかという明治政府の勧めを丁重に断ると、横浜を出港した。
 艦は太平洋岸をひたすら南下して、紀伊水道へと向かった。

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エルトゥールル号の奇蹟(1)

2015年12月08日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「エルトゥールル号の奇蹟(1)」

  試験お疲れ様でした! 今日のうちに必ず、これからやらなければならないことをリストアップしておこう。新しくノートを作ったり、問題集の一問だけでも解いたり、「今日中に」何かやっておくこと。今日だけは休もうと思っている人は、明日も休む。「明日やろう!」は「ばかやろう!」だ。


 現在、中東は厳しい情勢をむかえている。
 世界史で習ったように、近代以降の中東地域は、宗教上の対立や、石油利権と大国のエゴがあいまって、穏やかな時代が今まで一度もないと言っても過言ではない。とくに現代は、武器や情報機器の発達のせいで、犠牲になる人の数が想像を絶するものになっている。
 みなさんが生まれる前にも、「イラン・イラク戦争」とよばれる長期間にわたる戦争があった。1980年代のことである。
 国境の争いから始まったこの戦争は、徐々に都市への爆撃へと及び、長期化していった。
 イラン国内には、首都テヘランを中心に多くの外国人が滞留していた。日本も例外ではない。
 商社マン、多くの技術者、その家族、日本人学校の職員たち … 。
 国外退去を急がないと、命の安全が保障されない状況になりつつあった。
 1986年、イラクのサダム・フセイン大統領は突如、イラン上空を航行する飛行機を無差別に撃墜するという声明を発する。攻撃開始までの猶予時間は48時間。彼の言葉がただのおどしでないことを、国際社会は承知していた。どの国も退去を急いだ。
 日本とイランとの定期便が就航していなかったため、日本大使館の面々は、他国の航空便に日本人を乗せてもらうよう交渉を続けた。しかし、交渉は困難を極めた。どの国も自国民を助け出すことで精一杯だったのだ。
 大使館は、日本本国にも救援を依頼する。しかし、日航機の臨時便を飛ばしてほしいという願いは、乗務員の安全が保障されないとの理由で実現しない。自衛隊の救援機を送ってほしいという要請には、国会の承認が必要なので、すぐには送れないという。
 時間はかぎられている。日本人だけがこのテヘランに取り残されるかもしれない。
 隣国のトルコにお願いできないだろうか。在トルコ日本大使の野村豊は、トルコ大使館に出向いて、個人的にも親交のあったビルセル大使に支援を要請した。
 ビルセル大使は本国に連絡を送る。すると、オザル大統領は、日本のためにチャーター便を一機飛ばすことを決定してくれたのだ。
 撃墜される危険がともなう状況下で、なぜ、トルコ政府は日本人を救おうとしてくれたのか。
 それを知るには今から125年前に起こった事件に遡ることになる。

 和歌山県の南端串本町の沖合約2㎞に位置する紀伊大島。
「 ♫ ここは串本~ 向かいは大島~ 中をとりもつ巡航船  」と串本節に歌われるこの島は、古くから江戸から大阪に向かう航路の拠点の一つであり、島の東には石造では日本最古の灯台がある。
 明治23年(1890年)9月16日の夜であった。
 灯台守は、海の方から風と波をつんざくような爆発音を聞いた。

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