学年だより「インプットとアウトプット(2)」
勉強はインプット、試験はアウトプットというように、大まかに二分して捉えがちだが、実際には、インプットとアウトプットは表裏一体のものだ。
純粋にどちらか一方になっていることの方が実は少ない。
みなさんが、純粋にインプットだけしてる状況になったとしたら、おそらくそれは何も生み出してない状態だろう。
たとえば授業中に先生の話を聞いているだけの時、単語帳を見ているだけの時は、インプットしてるつもりかもしれないが、たぶん脳は働いてない。寝ているのとほぼ変わらない状態だ。
ところが、ちょっとしたメモでもいい、手を動かしながら聞いていると、インプットとアウトプットが始まる。
単語帳からいったん目を離して、小さな声でつぶやいてみるだけで、インプットとアウトプットが始まっている。
複数の動作を行うようにすることがコツだ。
「書き」ながら「聞く」、「聞き」ながら「話す(声に出す)」、「話し」ながら「読む」、「読み」ながら「書く」、というように。
複数やっているときは、だいたい脳も働いている。
純粋に楽しむための読書は「読む」だけでいいが、勉強のための読書は、「書き」ながら「読む」必要がある。大学での勉強ももちろん同じだ。
単語を覚えるときは、見ているだけは定着しない。
まず目でじっと見て、目を離してすぐに言えるかどうか確認する。
暗記すべき英文をじっと見て、小さく声に出して読み、見ないで言えるかどうか口ずさみ、さらに書いて確認してはじめて情報がとりこまれていく。
この作業は、インプットとアウトプットが小っちゃく繰り返されているのだ。
漢字を覚えるときは、字形を見て、読み方や意味を言いながら、指書きする。
数学の問題が解けないときは、解き方を一行ずつゆっくり理解しながら書き写していき、次は見ないで書けるかどうか試してみる。
歴史の教科書を読むときは、次はこうなるんだよねと予想しながら読む。
文章で説明されている内容を、自分なりに図や表にしてみる。
有効なインプット作業とは、必ずなんらかのアウトプット的作業を含んでいるものだ。
ただ単語を目で追うだけ、文章を読み流すだけという、純粋にインプット的な作業で終わらせていると、脳に刻まれ保持されていく率は大きく減る。
ただ読むのではなく、赤いシートで隠しながら読むだけでも、効果は何倍も異なるのだ。
インプットとアウトプットの繰り返しで短期記憶を長期記憶に替えていく作業を「復習」という。
その結果を試すアウトプットの場を「試験」というが、緊張感のあるアウトプットは、それ自体がハイレベルなインプットの場にもなっている。
試験場で問題を解くときに、それまでに入力された情報をフルに活用しようと脳は働く。
その結果、つながっていなかった情報同士がその時はじめてつながったり、奥深くに眠っていた情報が掘り起こされて使える情報にかわったりするからだ。