学年だより「目標と目的」
「目標」と「目的」とは、どう違うだろうか。
人生の目標、高校生活の目標、今週の目標、部活の目標、自分の目標 … 。
人生の目的、高校生活の目的、今週の目的、部活の目的、自分の目的 … 。
表現としてはどちらでもいいように見えながら、少し違和感をおぼえるものもある。
たとえば「サクシードを10題解こう!」は、「今週の目標」とは言えるが、「今週の目的」と言うと違和感をおぼえる。
「チャレンジする精神を身につける」は、「部活の目的」にはなりうるが、「部活の目標」と設定するには漠然としている。
元リッツカールトン日本支社長の高野進氏は、目標と目的を次のように定義分けする。
~ 目標というのは達成しようとする行動指標のことを指します。例えば、ザ・リッツ・カールトン大阪のオープンの時は、5年で日本一にする、年間に250件の婚礼を受注する、社員満足度の指標を3年で全社内一番にするなど、とても具体的でした。目標が明確になると、日々の仕事がスムーズに組み立てられていきます。
では、目的はどうでしょうか。目標は数値などで明確に表すことができます。しかし目的は数値にすることができないのです。「人との出会いに感謝することを以て、その人の人生にワクワク感を届けることを為す」はリッツ・カールトンの存在目的です。そこに至るプロセスとして例えば「5年でサービス日本一の評価を得る」という目標があります。 (高野登『働き方が変わる「心の筋トレ」』新潮社) ~
こうありたいと観念的に想定するイメージが「目的」であり、その目的を達成するために具体的な数値として設定する「目標」がある。
「難関大学合格」は、人生における重要な目標ではあるが、最終目的とは言えない。
「将来自分で食っていける人間になる、世のため人のために役立てる男になる」という目的を達するための一つの手段にすぎない。他にいい手段があるなら、そちらを選んでもかまわない。
「目標」は、達成したかどうかがはっきりわかる。
「目的」は、これで終了というラインがもうけにくく、ずっと追い求め続けるものになる。
自分の設定している目標が、最終的に何を目的にしたものなのかを見失ってしまうと、目標そのものへのモチベーションがはたらかなくなる。
「目に見えるもの」「見えにくいもの」という捉え方をしたとき、目標はアウターマッスルを鍛えることに、目的はインナーマッスルを鍛えることに対応させられるかもしれない。
折れない心、感謝する心、相手を敬う心といったインナーマッスルを鍛えるために、試合に勝つ、成績をあげるというアウターの結果を目標にすえる、というように。