水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

イチロー・スズキ

2016年05月19日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「イチロー・スズキ」


 40歳を越えて今もなおメジャーリーグで活躍するイチロー選手が、プロ野球選手として頭角を現したのは、入団して3年目のシーズンだった。
 地元の少年野球チームのエースで四番として活躍し全国大会にも出場した鈴木一朗少年は、中学3年のときには全中で3位の成績をあげた。そして野球の名門、愛工大名電に進学する。高1からレギュラーの座を獲得し、甲子園には二度出場する。卒業後は、ドラフト4位でオリックス・ブルーウェイブに入団した。
 高卒ルーキーとしては低い評価とは言えないが、野球史に名を残すイチロー選手って、ドラフト1位、複数球団指名ではなかったの? と思う人もいるだろう。
 そして入団1年目、2年目は、2軍暮らしの方が長かった。
 ウエスタンリーグで首位打者になる成績を残しながら、一軍に呼ばれては結果を残せず再び二軍にもどらされる。これは独特のバッティングフォームを「改良」しようとした当時の監督や打撃コーチと折り合いのせいでもあった。
 3シーズン目を迎える時、仰木彬氏がオリックスの監督に迎えられた。
 イチローの類い希な才能を一瞬で見抜いた仰木監督は、選手登録名を鈴木一朗から「イチロー」に改めさせる。自分のスタイルを貫いて自由に打たせ、スタメンとして使い続けた。
 最終的にはその年、打率3割8分5厘で首位打者となり、安打数210本の日本記録を打ち立て、MVPを獲得する。後にイチロー選手はこう語っている。


 ~ 「ぼくは仰木監督によって生き返らせてもらったと思っています。監督は数試合安打が出なくても、根気よく使ってくれました。その監督に感謝するためにも、いい成績を残したかった。」―2004年、仰木監督の野球殿堂入りを祝って― (児玉光男『イチロー流準備の極意』青春出版社) ~


 まさに名伯楽とよぶべき監督さんだろう。イチロー選手は小学校時代にこんな作文を書いている。


 ~ 僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
 そのためには、中学、高校と全国大会にでて活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。僕は3才の時から練習を始めています。3才から7才までは半年くらいやっていましたが、3年生の時から今までは、365日中360日は、激しい練習をしています。
 だから1週間中で友達と遊べる時間は5~6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。そして中学、高校と活躍して高校を卒業してからプロ野球選手になれると思います。そしてその球団は、中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。ドラフト入団で、契約金は、1億円以上が目標です。 …
               愛知県西春日井郡とよなり小学校 6年2組 鈴木一朗 ~

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