美雨と同じクラスに翔という男子がいる。
授業を抜け出す、遠足に禁止のお小遣いもってきてしまう、友だちとけんかして怪我をさせる、理科室でぼや騒ぎをおこす … 。
たびたび呼び出しをうける翔の母親の万起子の顔を、美香も覚え、学校ですれ違えば会釈をかわす程度にはなっていたある日、美香の働くスーパーに万起子が買い物にきた。
美香が長年勤めているスーパーチェーンが、高給品嗜好の店として開店し、美香は抜擢されてそこにきていた。
「あの人は、やっぱりこんな店で買い物をする人なんだ … 」
学校で見かけるときのルックスどおりだと美香は思う。
学校で見かけたときはただ地味なだけの若い母親だが、自信に満ちあふれた働く姿、清潔感、制服の着こなし、どれをとっても一級品だと、スタイリストの万起子は美香のことを見る。
「今度うちに遊びに来ない?」とむりやり名刺をわたし店を出たときには軽い高揚感をおぼえていた。
それが実現したのは、小学校の移動教室の日だった。
子ども達がいないその日の夜ぜひ来てほしい、自分の親しい友人も呼んだからと万起子からの誘われ、美香はおそるおそる出かけていった。
万起子の二十年来に友人だという寧にも、小学3年の娘がいた。年は離れているが、シングルマザー、小三の親という共通点、慣れ親しんだ二人に気さくに話しかけられ、楽しく夕食がすすんでいた。テ
「子どもを置き去りにして死に至らせ、行方不明になった母親の身柄を確保した」というニュースをテレビが告げて空気が変わった。
美香も万起子も気にしていた事件だった。
手を下したわけではなくても逮捕されるんですか? という美香に、「保護者責任者遺棄致死」という罪があるのよと、寧が説明する。
~ 「へえ、よく知ってるね。さすが寧はインテリだね」
万起子が茶化すように言ったのは、もちろんその場の空気を変えたかったからだ。けれど、美香はそれには乗らずに、ひどく真面目な声でこう聞いた。
「ひどい母親だって思いますか?」
「それはそうでしょう」
と、寧が言い、
「いい母親だとは言えないよね」
と答えたそのとき、口のなかに苦いものが広がっていくような感覚を万起子は覚えた。
でも、わたしは違う。わたしたちは違う。テレビの前でそう言っているのが、まるで自分のような気がした。なんでそんな逆転が起きてしまったのだろう。三日前の夜、わたしは彼女だったのに、と万起子は思った。
「そうですよね、いい母親じゃないですよね。でもどうして母親だけが罪に問われるんですか。非難されなくちゃならないんですか。母親だけで子どもができるわけないじゃないですか。その子たちの父親はなにやってるんでしょうね。父親にもならず、なんの責任も取らず、誰からも非難もされずに、どこかでのうのうと生きている男がいるんですよ。自分だけ安全な場所にいて。おかしいじゃないですか」
美香の頬を涙が伝った。それでも美香は話し続けた。泣いていることにも気づかず、逮捕された母親のことを話しているのか自分自身のことを話しているのかもわからなかった。その母親と自分とが混ざり合い、自分が子どもだったころと美雨とが混ざり合い、美雨が生まれてから今日までの全てが一気に押し寄せてきて、美香のこころは破裂しそうだった。しそうだった、のではない。破裂したのだ。からだまでは粉々にならなかっただけで。
これまで――生まれてからそのときまで、美香はひとまえでこんなふうに感情をあらわにしたことがなかった。小さいころから母親にも誰にも本心を伝えたことなど一度としてなかった。妊娠を男に伝えたとき、男の言動に苛立ってその男の顔めがけて紅茶をかけはしたがそのときだって自分を抑えていた。 ~