水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

人のために

2017年12月03日 | 学年だよりなど

 

    3学年だより「人のために」


 今年2017年の7月、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、105歳で亡くなられた。
 100歳を越える長寿の方はめずらしくなくなったが、100歳を越えて現役の医師としてご活躍され続けていたことは驚かざるを得ない。日本に終末期医療という概念を確立させた第一人者であり、生活習慣病という名前は日野原先生が考えられたものだ。
 お医者さんとしてだけではなく、「命の大切さ」を子ども達に伝える講演会のために全国をとびまわり、晩年は自作のミュージカルも手がけていらした。
 100歳を越えてなお、3年先の予定までうまり、移動の時間は執筆活動に費やす日々を過ごされていた。このような人生を支えていたのは、自分の人生の一分一秒でも、他人のために使いたい、人の役に立ちたい、困っている人を救いたいという思いだった。


 ~ 子どものうちは自分の持っている時間をぜんぶ、自分のために使ってよいのですが、おとなになったら、自分の時間を他人のためにも使ってほしいのです。
 こまっている人やまずしい人を助けるためでもいいし、たくさんの人を幸せにするためでもいい。自分のためではなく、だれか人のために自分の時間を使うことこそが、その人が本当に生きていることになります。
 長生きをするということは、そうやって人のために使える時間がふえることでもあるのです。わたしはいま103歳ですが、一日のうちのかなりの時間を人のために使っています。2、3先まで毎日の予定がびっしりとうまっていて、110歳くらいまではこのペースをつづけていきたいとねがっています。 (日野原重明『明日をつくる十歳のきみへ―103歳のわたしから』冨山房) ~


 こういう思いを抱いたのは、およそ40年前、「よど号ハイジャック事件」に遭遇したときだった。


 ~ わたしは九州の福岡で開かれる内科学会の大会に出席するために、1970年3月31日の早朝に羽田発の日航の「よど号」に乗りました。すると離陸してまもなく、共産主義者同盟赤軍派の若者9人の犯人グループが日本刀や拳銃、ダイナマイトなどを手に立ち上がり、飛行機を乗っ取りました。そして飛行機を北朝鮮に向かわせようとしました。
 犯人たちは男の乗客を窓ぎわに移動させてロープでしばり、燃料補給のために着陸した福岡空港で、女性の乗客と病人、子どもなどの人質を降ろしてから、北朝鮮に向かいました。わたしは機内に乗せられたままで、生きた心地もありませんでした。やがて、「よど号」は朝鮮半島の空港に着陸しましたが、そこは北朝鮮ではなく、韓国でした。機転をきかせた機長が、犯人をだましてソウルの金浦空港に飛行機を降ろしたのです。だまされたとわかった犯人たちは怒りだし、いまにもダイナマイトで自爆しそうでした。 ~


 日野原氏は、死を覚悟した。それでも日本政府の必死の説得が功を奏し、当時の運輸政務次官、山村新治郎氏が身代わりとなることになり、人質だった乗客は金浦空港で解放されたのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする