学年だより「神頼み」
合格祈願に行きましょう。なんといっても最後に頼るべきは神様です。
非科学的と思う人もいるかもしれませんが、そういう人は「科学万能主義」に冒されています。
世界最高の知性も未来を予言することはできないし、現時点における最高の科学理論もこの世のすべての事象を明らかにすることはできていません。
科学というものは、近代知が生んだ一つの物差しにすぎず、科学の過信こそが様々な問題を生じさせている……と現代文の評論で学んできたではないですか。
どんなに力のある人も、実力が発揮できないことはありうる。
突発的な事故にまきこまれることもあれば、その日だけ体調がおかしいこともある。
科学では解明できない「運がいい」「運が悪い」というのは、間違いなく存在します。
ただし、予想外のことが起きたときに、「ついてないなあ」とへこむ人と、「この程度ですんでよかった」ととらえる人とでは、その後の展開が全く変わります。
後者は、結果的に「運のいい人」になっていく可能性が高いでしょう。
大事なのは、「やるべきことは、全部やった」と落ち着いた心を持つことであり、「やれることは全部やって合格する」という意志を持ち続けることです。
自分でできることはすべてやりきろうとし、同時に、自分の力ではどうにもならないこともある、どんな結果も受け容れるという平穏な心を持つことです。
神社やお寺にでかけると、なぜか穏やかな心になることができます。
わざわざ遠い有名な神社仏閣に出かける必要はありません。
まして年末年始の大混雑の人混みの中に身を投じるべきではありません。
思い立った日、気がついたときに――勉強がちょっと停滞したとき、もう一つ気分がすっきりしないとき――自宅から一番近くにある神社でもお寺でも、「ここ」と決めたところに歩いてお参りに行ってみましょう。
具体的にはどうお参りすればいいのか。
① 自己紹介する。「川越東高校3年○組の誰々です」。
② 報告と感謝「今まで元気にがんばってこれました。ありがとうございました」
③ 誓い「入試本番までやりきります、見守っててください」
拍手(かしわで)を何回打てばいいかとかは気にする必要はありません。
心をこめて、こうしてお祈りに来られる自分でいることを感謝するのが第一です。
お賽銭は1円でも5円でも10円でもいい。もちろん100円でもいいけど、神様は一回で100円より、10円で10回お参りに来てくれる方を好むそうです。
「ご縁」にかけて5円はオーケー、「とおえん(遠縁に)」につながる10円はだめと言う人もいますが、根拠はないですし、そんな浅はかな神様はいません。
たとえお賽銭を入れなくても、心をこめてご挨拶すれば大丈夫です。
あまりいないとは思いますが、自宅の仏壇に毎日手を合わせている人は、必ず結果が出ます。
食後の食器洗いとかお風呂掃除とかを担当している人も同様です。
受験生だからと家でエラそうに過ごしていると、神様には嫌われるようです。