水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

青ブレザー

2010年05月18日 | 日々のあれこれ
 昨日の放課後、1年生のユニフォームの採寸を行った。
 昨日忘れてた子二人の分を今日サイズあわせして完了。
 これで6月の西部地区は全員で青で出場できる。
 卒業していった代たちが決めたユニフォームも定着してきたかな。
 青といえば、習志野さんでもなく、安城学園さんでもなく、川東と言われる日をめざしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宿題

2010年05月17日 | 日々のあれこれ
 ~ 桃山学院大学(大阪府和泉市)の英語講師の男性(44)が、自身のホームページ(HP)で、学校で出された課題の英語のリポート作成や和訳などを有料で請け負う呼びかけを行っていたことがわかった。講師は、読売新聞の取材に対し、「講師になってからは依頼を受けていないが、不注意だった」と釈明している。同大学は「非常に遺憾な行為」として調査する方針。~

 小谷野敦先生がえらく怒ってらしたが、これってどのへんがいけないのだろう。
 法的にはどんな罪になるのだろう。宿題の偽造? 宿題は文書じゃないから盗作と同じ種類の罪かな。
 でもまあ、そんなにまでして課題を提出しようとするのだから、えらくない?
 正直、そんなにみんながみんな勉強したがってる大学さんとは思えない気もするので、課題なんか最初からやらない、という学生さんもいるはずだ。
 とすると、提出しないと単位をあげないとか、進級させないとかのしばりをもった課題なのだろう。
 それは、つまり昇降口そうじやっておけみたいなものだから、大学の学問とはまた別種の作業だ。
 先生に命じられたことに従ったこと自体が評価されるということであり、その学生さんが学問的にどんな成長を見せたかは問われていない。
 でも、提出した学生はきっと単位を認められる。
 そういうレベルの課題なら、他人の力を借りることに罪悪感をもてと言うほうが無理筋ではないのかと思う。
 お金ですむことはお金ですましてしまえという社会をわれわれがつくってしまったのだから、学生さんや請け負った講師を責められまい。
 このレベルの教育活動しかしてなかったのか、と大学側が自らを省みる材料にすべきではないかと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武士道シックスティーン

2010年05月16日 | 演奏会・映画など
 剛と柔、静と動、凹と凸、赤と黒、猪木と馬場、談志と志ん朝、佐渡裕と大野和士、栄と伊奈 … 。そして、成海璃子と北乃きい。
 この二人、すごすぎる。
 作品そのものは、ある意味古風とさえいえるほどのストレートかつオードックスな青春スポ根だ。
 成海璃子演じる主人公の磯山香織は、幼い頃から道場主である父親から徹底的に剣道を鍛えられ、中学生の全国チャンピオンにもなる。
 そんな磯山を、たった一回倒してしまったのが、北乃きい演じる西荻早苗。
 磯山は、自分を負かした西荻をおって、彼女の通う中高一貫の女子校の高等部に進学してくる。 
 そこで見つけたのは、剣道は楽しめればいい、磯山に勝ったのはまぐれだったという早苗であり、入部した剣道部も、磯山が目指す剣道をやれるほどの厳しい部ではなかった。
 休み時間に鉄アレイをもちながら五輪の書を読み、昼休みはあぐらをかいて大きな握り飯をほおばる磯山を、まわりの生徒は敬遠するが、早苗は「武士だーー」と目をきらきらさせる。
 お互いのことが気になってしょうがなく、自分にないものを相手がもっていることに気づき、紆余曲折をへながら心を通わせあっていく二人。
 二人が巌流島に見立てた小高い丘の上で、防具をつけずに二人が対決シーンはもう、ほんとに涙なくしては見られない(またかよ)。
 いや正直にいえば、前半のなんでもない場面で、たとえば成海璃子が鬼の形相で北乃きいちゃんをにらむ場面でぐっときてしまっていたのである。
 お芝居がすごすぎる。二人とも。
 ビジュアルも演技力もたぐいまれな二人だが、撮影中にちょうど役の二人のようにライバル心をいだいたりしてるのではないだろうか。
 そうでないとしても、一生懸命さが伝わってくる仕事ぶりだ。
 仕事に対する誠実さ。ちがうな。
 自らの才能に対する誠実さだ。
 無意識のうちに彼女たちは自分のやるべきことをつかみ、ひたすらうちこんでいるのだろう。うらやましい。
 そんな二人の力を存分にひきだしている監督さんもえらい。
 せっかくの素材をつまらないギャグでだいなしにしている監督さんもいたので、なおさらそう思った。
 お金はあるけど想像力のかけらもない監督さんがつくったSFもどきみたいなのもあったけど、そういう意味の大作でなくても、3Dとかにしなくても、普通の素材でいい映画はつくれるのだ。
 こんないい作品をなぜ県内ではやってないのだろう。
 ここをお読みの方、ぜひ新宿か池袋へ行ってみてください。
 たぶん、青春どまんなかにいる人より、その時代を対象化できる年齢になった方に、直球でささってくると思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試験休み

2010年05月14日 | 日々のあれこれ
 今日から部活はオフ。
 新年度になって、ここまであっという間だった。
 何を、どうやればいいのか模索しているうちにここまできてしまった感がある。
 案の定、コンクールの曲は進んでいない。
 試験後は集中して中身を濃くしていかねば。
 放課後は極力4Fに行き、個人練の時間であってもどんどん介入していくことに、昨日の合奏をみてて心に決めた。
 一年生の面倒を見る前に、やることたまってるよね、という先輩たちも多い。
 自分でそれをどれくらいわかっているか。
 そこをわかってもらうために何をするのかが仕事なのかな。
 教師の仕事は技能や知識を与えてあげることではない。
 だって、もってないもの。
 自分に何がないのか、求めているものは何か、どうしたいのかを見つけてもらいさえすれば、そのあとは各自が勝手にやれるのだ。
 引退していく他の部の3年生を見てると、勉強の方は正直不安になると部長が話してた。
 そうだろうなあと思う。
 自分はそんな不安は抱かないだろうと、1年や2年のときには思っていても、いざ当事者になるとちがうから。
 きっと3年達は、3年になってみて、勉強も部活も、自分が望んでいる結果を出そうと考えたとき、残された時間がおどろくほど少ないことに愕然としているのではないか。
 正直焦りはあるだろう。
 だから、いったん練習が試験前でお休みになり、少し安堵の表情がうかがえる子もいた。
 3年になる時に部を去っていく子もときどきいる。
 そこで去れる子は、ある意味幸せなのかもしれない。
 部というものが、その程度のものだったのだから。
 できることなら早く引退して勉強もしたい、でももっと練習したい、いい演奏がしたい、コンクールだって結果を出したい、でも大変だ、でもやりたい、やらないのは自分でない。

 ~ 作の巧拙は知らず、とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのものを、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ。(山月記)~

 それにしても人間とは業の深い生き物である。
 自分のやりたいことをやれるだけでも幸せであるのに、なぜそこでとどまっておられないのか。
 好きなことをやったうえに、それを他人に認められたいと思ってしまうのだから。 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルリンフィル

2010年05月13日 | 日々のあれこれ
 佐渡裕がベルリンフィルの定期をふる。
 すごいな。
 昨年、東京文化会館でのシエナの演奏会のとき、「昔カラヤンも立ったこの東京文化のステージでやりたかったんです」と言ってらしたが、こんどはご自身がフィルハーモニーの舞台に立つ。
 その東京文化のときに、四羽の白鳥を踊ったり、荻原さんといっしょに「シェシェシエナ来た、マンボ!」とかのりのりだったあの方が、世界最高の評価をうけようとしている。
 自分のなかでは、藤波辰巳がマジソンスクェアガーデンでホセエストラーダを破ってWWFJr王座についたことよりも、すごいかもしれない。
 佐渡さんを、色眼鏡でみてたクラシックファンとか、専門家とかぜったいいるよね。
 パーフォーマンス多くね? とか。
 ざまあみろだ。
 いい音楽やったもんがち。
 本物は本物が評価してくれるのだ。
 やったね、佐渡くん(同級だから)。
 先日競演してた同学年の柳沢慎吾ちゃんも喜んでいることだろう。
 おれもがんばろう。
 キップさえ手に入るなら、聴きに行きたいなあ。
 のだめも誘えたら、最高なのだが。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無駄な抵抗

2010年05月12日 | 日々のあれこれ
 トイレが貴重な読書タイムだと話す方は多い。
 師匠宇佐美寛先生も、個室にトイレ用の本がおいてあるとおっしゃっていた。
 学校のその空間では、メルマガを読むか、現代文の演習問題の本文を読むようにしてるのだが、今日なぜか活字がぼやけるのに気がついた。
 ためしに少し距離を離してみると、すうっとはっきりしてくるではないか。
 きてしまったな。
 これのことか。
 いままでメガネをかけてなかった同僚が、どんどんメガネをかけるようになっているのはこれだったのか。
 しかし、事態を甘んじて受け入れ漫然と過ごすことは、おれには許されない。
 極力かわらないままでいることを決心した自分が、かんたんに老眼鏡に手を出してなるものか。
 そこで、日垣隆『「無駄な抵抗はよせ」はよせ』を繙く。
 還暦をこえて現役パイロットとして機上し続ける小林宏之機長のインタビューを読む。
 パイロットは当然のごとく健康管理が大事で、毎年の厳しい健康診断に通らなければライセンスがおりない。
 小林さんは、40代なかばで老眼の気配を感じると、毎日の訓練でそれを直すコトに決めた。
 その方法は、近くの文字を見た後に、遠くの山を見る、目をぐるぐる動かすという練習を、毎日しただけだという。
 一日に5分。でも毎日つづけることで、50歳でまったくメガネを必要としなくなったそうだ。
 よおし、やろ。

 放課後、定演のDVDがとどいたので部員に配布。
 郵送希望の卒業生たちにも送付してきた。
 FMで聞いた「Close to you」という歌が気に入って、アマゾンに注文したらすぐきたので、繰り返し聴いている。
  
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Tpレッスン

2010年05月11日 | 日々のあれこれ
 今年Tpのレッスンにおよびした先生は、まだ音大に通っていた頃に教えにきてもらったことがある。
 それから幾星霜、風の噂に、あちらこちらで活躍されてることを聴き、今回ぜひにとお願いして来ていただいた。
「いやあ、ひさしぶり。ラッパ吹きらしい体型になってきたね。いま何歳?」
「もう35ですよ」
「いま一番多い仕事って何?」
「○○オケですかね、けっこうオペラも入るんですよ。あと○○高校の講師もしてますよ」
「忙しくなってよかったね。正直音大生のときって不安もあったでしょ」
「そうですねえ」
「こうなったのも、昔うちで修行した成果もあるかな」
「ほんと先生のおかげですよ」
「いやあ、ふあっふあっふあっ。そんなこと言えるくらい大人になっちゃって」
なんて会話をさせてもらう。
 Tpパートのメンバーからも、大変勉強になったとの声を聞いた。
 けっして吹奏楽名門ではなく、しかもかなりの進学校から音楽の道を志して今に至った方だから、たくさんのことを教えてもらえることだろう。

 さて、明日、あさって練習したら試験休みになる。
 今日の合奏の感じでは、1年生は明らかに前に進んでいる。
 試験休みがもったいないくらいだが、こればかりはしかたがない。
 まずは試験問題を早くつくってしまい、いいかげん曲のお勉強をしていこう。 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月の風

2010年05月10日 | 日々のあれこれ
 遅くなった部員を送り、校舎をしめてまわると、窓が開けっ放しの教室がけっこうある。
 放課後、窓を開けて勉強してて、そのまま帰ったのだ。
 ちゃんと閉めろよと思うよりさきに、この季節、風にあたりながら勉強できたら気持ちいいだろうなあとうらやましくなった。
 しかも勉強だけしてればいいのだから。
 もちろん仕事ばっかりやらせてもらっている自分は幸せなのだが、高校時代ほど何も考えずに好きなことをやっていられる時間てない。
 でも、タイムスリップしたら、きっと勉強はしないんだろう。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貯金

2010年05月09日 | 日々のあれこれ
 1年生もふくめて「ハンティンドン」の合奏をしてみる。
 先輩達は、さすがにそれなりに吹けるようだが、午後の課題曲になると、てきめんに吹けなくなる。
 課題曲というのは、ほんとに難しい。
 並行して、Perc、Sax、Hrのレッスン。
 昇降口のゴミ分別と学年だより。

~ 今しかできないことをやりたい、今の自分に正直に生きたい、今を楽しみたい … 。
 かっこいいいよね、こういうセリフって。
 なんか自分のやっていることにポリシーをもっているようで。
 ただ、実際にこういうセリフを発している若者を思い浮かべたとき、「この子たちは、たんに好き勝手してるだけなんじゃないのか?」と疑問を抱くことも、大人としてはある。
 人生は何が起きるかわからない。今日を一日無事過ごせたからといって、明日もそうなるとはかぎらない。予想もしなかった災厄にまきこまれる危険は誰にもある。
 だから、明日のことなど考えず、今を精一杯生きるべきだという考え方は一理はある。
 しかし、だからといって、何も考えずに目の前の楽しいことに没頭する姿勢というのは、人として未熟だと言わざるを得ない。
 人生は何がおきるかわからない(虎になることさえあるのだから)とはいえ、平均的に考えたなら、みんなは今後数十年の時間を持っている。
 今は茫漠として何が何やら想像もつかない未来が、突然その形を表してくるかもしれない。
 そのときになってはじめて、やり方を身につけようとするのは、効率が非常に悪い。
 やりたいことを無理に見つける必要はない。
 みんながやるべきことは、向こうからやってくる。
 それがやるべきことかどうかを判断するための基礎体力が、まだみんなには足りない。
 なんか抽象的になってしまったが、未来の自分のためにとにかく今は蓄積だ。  …

と書いてて、今もまだ自分は貯金し続けてるなと思う。
 コンサートに行き、いつかこんな曲が演奏してみたいと思ってみたり、映画を観て、こんなセリフを書いてみたいと思ったり、本を読んで、これ明日の授業で昔から知ってたことのように話してみようと思ったり。
 そのこと自体が楽しいから、自然と貯金になっているのかもしれない(と信じたい)。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レッスン

2010年05月08日 | 日々のあれこれ
 今日から明後日にかけて楽器のレッスンが入っている。
 ものごとは専門家に直接ならうのが一番早いのは、何事も同じだ。
 一番哀しい結果になるのは独学だ。
 一回書いてるかもしれないけど、呉智英先生の本で読んだこんな話がある。
 中国の片田舎に、大変優秀な子どもがいた。
 その村を通りかかった、誰だっけ、偉い人が、その子の存在を知る。
 そして、ぜひ都に連れて行って学問の道を歩ませたいと思う。
 しかし、経済的な問題もあり、それは不可能だった。
 二十数年後、その誰だっけ偉い人が、再びその村を通る機会があった。
 そういえば、この村には天才少年がいたはずだ、と思い訪ねてみると、果たして年老いたその子と再会する。
 その子が自分の長年の独学の成果をぜひ見てほしいと差し出したを見たその偉い人は、涙を禁じ得なかった。
 その紙に書いてあったのは、二次方程式の解法だったのだ。
 独自に二次方程式の解法をあみだすのはなるほど偉業だ。
 しかし、それは学校で一時間学べば身に付くこと。
 この能力をもっと高いレベルでいかせていたなら、彼の時間は空費されなかった … 。
という話。
 クラリネットを吹いていて、どうしてもある音がいい響きにならない。
 ひたすら練習を重ねて、自分で奏法を編み出すより、先生に換え指を習ってしまえばいいのだ。
 中国のその子が、せめて一冊の本を手にしていれば、まったく人生は変わっただろう。
 楽器にしても、DVDを観れば、独学の何倍も効果がある。
 専門家に直接習うことを、本やDVDに換算したなら、いかにレッスン代がリーズナブルかということに気づくはずなのだが、それに気づくときには、引退が近づいてたなんてこともあるのだろうなあ。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする