水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

最後の証人

2010年06月16日 | おすすめの本・CD
 ジャンルとしては「法廷ミステリー」に入る作品だが、一人息子を交通事故で失った夫婦の絆を描き、心打たれる。
 事故は、飲酒運転による暴走が原因だった。
 しかし、加害者に下された処置は不起訴。
 加害者が県の公安委員長の職についていたからだ。
 飲酒は不問に付され、亡くなった少年の信号無視による事故へと変えられてしまった。
 この設定は、当然のことながら「高知白バイ事故」を想起させる。
 警察という巨大組織がその気になれば、人一人を罪に陥れるのはたやすい。
 大切な子どもを失ったばかりか、罪が正しく裁かれないという苦しみが加わった時、人はどう考えるか。
 自らの手で裁くしかない、罪を償わせるしかないという発想が生まれたとしても、実行に移せるかどうかは別にして、多くの人は理解できるのではないだろうか。
 夫婦はある復讐を企てる。
 夫は、妻の揺るぎない決意を受け止めながら、それが実現しないことをも望んでいる。
 いよいよ、行動にうつす夜。

~ 「あなた、ありがとう」
 何に対して礼を言っているのかわからない。光治の表情から、心の内を悟ったのだろう。美津子は言葉を繋いだ。
 「わたしのわがままを聞いてくれて」
 胸が一気に熱くなった。喉がつまり言葉が出てこない。
 「あなたの気持ち、わかっているつもりよ」
 たまらず、美津子から顔を背ける。いっそ自分の人生を恨み、悲しみ、泣きわめいてくれたほうがよかった。過酷な人生を受け止め、自分の中ですべてを昇華しようとしている美津子が不憫でならなかった。
  … 「ごめんなさいね、あなた」
 さっき礼を言ったかと思うと、今度は詫びる。こらえきれなかった。涙がとめどなく溢れた。
 美津子は光治の頬をつたう涙を、そっと手で拭いた。
「私ね、人間の絆で一番強いものは何か、って聞かれたら同士だって答えるわ。恋愛感情や友情より、同じ目的を持つ同士の絆が一番強いと思う。」 ~

 結婚して何年も経てば、そこに若いころのような恋愛感情はなくなるのは当然だ。
 夫婦を夫婦たらしめているのは、この同士感なのかなと思う。
 そしてそれは、ほとんどの場合、自分たち自身のことではなく子どものために発揮される。
 高校生には微妙だけど、保護者のみなさまがたには間違いなく楽しんでいただけると思う。
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はやぶさ

2010年06月15日 | 日々のあれこれ
 いま「はやぶさ」といえば、東北新幹線でもなく、FMWの隼でもなく、宇宙探査機はやぶさだ。
 ワールドカップでの勝利もすばらしいが、はやぶさの帰還こそ全世界に誇ることのできる偉業だ。
 で、「はやぶさ」といえば「加藤隼戦闘隊」という軍歌がある。昔は懐メロ番組などでよく耳にしたが、いまや寄席で川柳川柳師匠の高座にでも出会わないかぎり聞く機会がなくなった。
 若者は知らないだろうなあ。
 ♪ エンジンの音 ごうごうと 隼は行く 雲のはて …
 日本の誇る一式戦闘機「隼」。
 開発したのは、戦前において三菱重工とならぶ航空機会社である中島飛行機という会社だった。
 技師として開発に携わっていたのが、若き日の糸川英夫、のちにロケット工学の父とよばれる糸川博士だ。
 はやぶさが探査したイトカワはもちろん、糸川先生の名前にちなんだものである。
 なるほどねえ。
 言われてみれば自然のつながりだけど、勝谷誠彦メールマガジンで読んで、はっと気がついた。

 ~ 中島飛行機の遺伝子を受け継ぐ技術集団は先人たる糸川博士の名前を関した小惑星を選び、そこに自らの技術の誇りの結晶たる戦闘機『隼』の名前を関した宇宙船を送り込み、帰還に成功したのである。 ~

 この文だけでも泣けてくる。
 これをロマンといわずしてなんといおう。
 映画化する際には当然堤真一さんをキャスティングしてほしい。

 もちろん業界の方々にとっては常識なのだろう。
 で、さらに思ったのは、今われわれが演奏しようとしている曲も、あらためて言わなくても業界人なら当然知っている歴史や背景がある。
 バンドレッスンを受けたときに、なるほどそういうものなのか、と教えていただくことも多いが、やはりもっと勉強しないといけないと思う。
 なるほど、この曲のこのコード進行は、あの作曲科があの曲で最初に使ったのですね、なんて知ってれば、その分演奏に深みが出るような気がする。

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つかむ

2010年06月13日 | 日々のあれこれ
 昨日のレッスンでおちこんでいた3年生のひとりが、今日の合奏でいい音を出していた。
 つかんだのだろうか。
 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
 自覚があるかどうかわからないが、いい音だった。
 自分でこれかなと気づいたとき、それをくりかえせるように、自分のものにできるようにするのが練習というものなのだろう。
 午前中、指揮法のレッスンの際に、ちょっとつかんだと思える瞬間があった。
 「pのとき小さくする」という開眼だ。
 何をそれ? と思われた方もいるであろう。
 そんなのレッスン受けなくてもみんな知っいるでしょ、というように。
 そうなのである。でもなぜか腑に落ちた瞬間があった。
 その昔、出口汪先生の『入試評論文超読解法』を読んでて、「現代文とは現代を論じた文章である」という一行に、目からうろこが28枚落ちたときの感覚に似ていた。
 その一瞬のつかみがあっただけで、はるばる幸手高校にでかけたかいがあった。
 つかむときというのは、一瞬だ。
 練習してて、なんかうまくいかないなあというもどかしい思いがあって、それでレッスンの先生にみてもらったとき、「これか!」というのがあると、そのあと変われる。
 昨日おちこんで相談にきた3年生も、その落ち込みがあるなら、きっとつかめる。
 レッスンというのは30分何千円とかの単位でとりあえずおこなわれるけれど、つかむのは一瞬だから、60分5000円も、3分5万円も、じつはそんなにちがわないのだ。
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合奏

2010年06月12日 | 日々のあれこれ
 授業2、レッスンの先生の送迎3、ホール練習のだんどり1、合奏1。
 3学年全員でハンティンドンの合奏をした。
 23年生はだいたい曲はわかっているし、先日やるべきことをおそわったはずだが、わかるとできるはちがう。
 上級生でも、よほど集中し続けないと、小さくするところなのに、そのまま大きく吹き続ける。やるべき箇所になってから気づき、一拍遅れて小さくしてもしょうがないのだ。
 臨時記号も見遁す。
 完全に体で覚えてしまうのが一番だが、そこまではさらいきっていない。
 なので、1年生をひっぱってごんごん進んでいく状態にはなれてない。
 1年生にひっぱられてしまう部分が相当あった。
 練習時間、吹いている時間、合奏する時間を多くとるのが、一番の解決法だ。
 しかし、時間はかぎられている。
 できるだけ、共通項に気づいてもらえるように話をする。
 たとえば、あるパートのある箇所をとりあげて、ここはこんなリズムでできている、このつながりは、タタンとタタタンとの二つのかたまりでできているんだよ、その間に線をひいておこう、と話し、次の部分のこっちのパートは同じ形だね、というように。
 次の部分も同じだね、と言われる前に、先回りして気づいている子もいれば、言われてもわからない子がいる。
 合奏という形体で何を学ぶか、何を練習するのか、そのこと自体の指導をしていかなと行けないのだと感じる。
 
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スポンジ

2010年06月11日 | 日々のあれこれ
 1年生たちは、合奏をすればするほど、うまくなる。
 昨日「タンタタ」というリズムがとれてなかったのが、今日はとれたりする。
 昨日間違えてた指が今日は出来たりする。
 なんとなく吹いていたところを、線できってフレーズを教えたり、リズムを分けたりしてあげると、その分吹けるようになる。
 いまはスポンジのように教えたことを吸収してもらえる時期だ。
 上級生は、そういうわけにはいかない。
 一通り楽器の扱いはわかったうえで、ピッチをほんとにあわせる、いい音にするというレベルが求められるので、簡単には上達しない。
 スポンジそのものの質の変化が求められているのだが、これが難しいのだ。

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パート練習

2010年06月10日 | 日々のあれこれ
 先週から、パートを少しずつ見させてもらっている。
 パート毎の出来具合がだいたいつかめてきた。
 A部門に出てもらうメンバーもだいぶ見えてきた。
 しかし、まだまだだ。
 このあたりは大体できてるだろうと思っていた部分が、指がまわらなかったり、音がとれてなかったりする。
 パート内での吹き方もそろってない部分がある。
 パート、セクション、個人も、どの練習においても、介入すればするほど、クオリティはあがっていくという確信はもてている。
 
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ゴミ分別

2010年06月09日 | 日々のあれこれ
 「可燃ゴミ」と「プラスティックゴミ」の分別をやめることになった。
 川越市の場合、この二種の分別を行ってはいるものの、それらのほとんどを焼却処分しているため、実質無意味であることが確認できたからだ。
 だと思ったんだよなあ。
 パンのかすの入った袋とか、カレーのついたパック類とは、いちおう指示に従ってプラに分別してたけど、まさか再生対象になるとは誰も思ってなかった。
 もっと早く市に問い合わせすればよかったとも思うが、ちょっと前なら市の方も実質燃やしますからとは言わなかっただろう。
 行政には、もっと正直になってもらってはどうだろう。
 ペットボトルも、そんなにリサイクルできてないんでしょ?
 武田邦彦教授がおっしゃることだけが100%正しいとは思わないが、リサイクルより焼却の方が経済効率が高いことはまちがいない。
 となるとリサイクルの根拠は「環境問題」の方に求められることになるが、「温暖化」のデータ自体に疑問がもたれはじめている。
 おそらくゴミの分別については、今後ゆるやかになっていくだろうと思う。
 「リサイクルなんとか協会」みたいな天下り法人の実態にメスが入ると思うから。
 蓮舫さんにがんばってほしい。
 これで、昇降口そうじがすこし楽になる。
 昇降口そうじのあり方にまで、時の権力のありようが関わってくるのだなあ。
 
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孤高のメス

2010年06月07日 | 演奏会・映画など
 冒頭シーンで流れてくる音楽を耳にした瞬間に、間違いなくいい作品だろうという予感がうまれ、その期待は最後まで裏切られることなく、製作にかかわった方々の高い志に触れられた幸せにひたり続けることができた。
 そうか、「志」か。先日の人権映画に欠けていたものは。
 テーマ音楽は、いちばん好きな劇団「東京セレソンデラックス」の「夕」というお芝居のテーマにものすごく似てた。出だしの音の並びは同じじゃないかな。
 そう思ってウィキで調べてみたら、セレソンデラックスのテーマ曲を書いた河井英理さんと、この映画の音楽を担当した安川午郎さんとは、東京芸大作曲科の同時期に在籍されていたようだ。

 ある地方都市の市民病院に赴任してくる優秀な外科医を堤真一が演じ、病院の経営や、自己の保身を第一に考える医師や事務方と対立しながら、何より患者の命を救うことに全力を尽くそうとする主人公の生き様を描くという、ストーリーの骨格は、ものすごくシンプルだ。
 こう書いてしまうとなんかありきたりなのだが、まあ堤真一がかっこよすぎる。
 「かっこいいーーっ!」と二回ぐらいほんとに声に出してしまった。
 最高なのは、後半、生体肝移植に臨もうとする場面だ。
 脳死に基づく生体肝移植が法的に整備されてなかったおよそ20年前が舞台になっている。
 堤真一とともにアメリカに留学し、ともにその力を認め合う友人の医師がたずねてくる。
 そして、堤をいさめる。「手術をしたら、訴えられる可能性が高い。そうしたら、おまえはメスを握れなくなるぞ」と。
 「移植しなければ助からない患者と、臓器提供を望むドナーとが目の前にいて、それで移植しないとしたら、それは医師ではない。それならば、自らメスをおきます。」
 くううっ。思い出してても泣ける。
 お医者さんのなかで、外科医の先生って一番テンションが高いのではないだろうか。
 「ディアドクター」では、そんなの様子を、勘三郎さんが実に見事に演じていた。
 堤真一は、そういうイメージからみると冷静沈着すぎるようにも見えるが、手術のBGMに都はるみをかけたり、スタッフにそのBGMを拒否されたときの子どもっぽいリアクションで、外科医の先生の雰囲気もうまくつくっている。

 一方、生瀬さん演じる嫌な役の医師。
 自らの保身が第一で、手術の失敗はひたすら覆い隠し、自分の派閥をつくろうとし、主人公をやっかみ、生体肝移植の時にはマスコミにリークし、主人公を悪役にしたてあげようとする。
 ここまでの悪い医師に描いてしまうのは、類型的にすぎるのではないかと批判する人はきっといるだろう。
 でもね、実際にいると思う。こういう存在は。
 生瀬医師の典型的な悪者性の根本には、こどもっぽさがある。
 同じクラスの中に勉強や運動ができてかっこいいヤツがいると、それをやっかんでいたずらしてやろうと思うこどものような性向。
 偏差値のものすごい高い人たちが集団で大人になっていくと、そういうこどもっぽさをそのまま持ち続ける人はけっこういる。
 持ち続けることを許された集団と言えるかもしれない。
 たとえば仕分け作業のときに見かけた官僚の方が、妙に幼なかったのも同じ。
 考えてみると、主人公堤真一の生き方も、ある意味「子どもっぽい」純粋さに支えられていると言えるかもしれない。
 大人になるにつれて失っていくものを持ち続けているのだから。
 そういうものへの憧憬も、主人公に心惹かれる要因かもしれない。
 まあ、しつこいけど、堤真一という役者さんは、もう財産だと思う。
 そして、それに輪をかけてよかったのが、ナース役の夏川結衣さんで、年末の映画賞ですべての助演女優賞をもっていくことが間違いないと思われる仕事だった。観てよかった。
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土曜日

2010年06月05日 | 日々のあれこれ
 古文1、コンクール書類作成1、人権映画1.
 LHRは人権教育映画「新しい風」の鑑賞。
 人権映画は、質が低くても文句は言われないだろうと考えられているのだろうか。
 または製作を依頼される会社に競争がないからだろうか。
 もしくは、お役所の人権担当部署の方に勉強しようという気がないのであろうか。
 製作途中でこの脚本を読んだ人の誰もがダメ出ししないのだから、感覚がおかしいとしか言いようがない。
 そんな映画でも、本校の生徒諸君は苦笑をうかべながらまじめに鑑賞してくれた。
 立派だ。 
 途中からわらいころげて、やる気を失っていたおれの方がよほど子どもだった。
 こういうちょっとした事業にも仕分けが入ってもらえないかと思う。
 とはいえ、企画側にいるのだから、今後対応策を提案してみたい。
 午後は1年合奏1、パート練2、上級生合奏1。
 終えてバンドレッスンの先生および盟友と新都心で食事。
 陳麻家という四川のお店はおいしかった。
 昼間あついくらいでも、夜風がつめたいのにおどろく。
 
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金曜日

2010年06月04日 | 日々のあれこれ
 2年生の河合模試。
 朝国語の問題がまわってきたので、ぱらぱら見てみる。
 古文の文学史で「発心集」の作者が書いた作品として「方丈記」を選ばせる問題があった。
 おお、今週授業で教えたばっかじゃないか。
 みんなできてるかなと思ったが、そうでもないか … 。
 漢文で「適」の読みがでている。
 なんだっけ? 「まさに?」ちがうな、つながらない。
 「たまたま」かな? 解答集で確認できたが、この読み方は一度も教えてない。
 今後教える予定の単語一覧を確認しても載せてなかった。
 いいや、こんなの知らなくても。
 漢検準1級(ぐらいのレベルかな)に受かることや、平成教育委員会でガッツポーズすることが目標じゃないから、気にしない。
 漢文を読む際に、つまり古代中国語を日本語として読むという知的作業を行う際に、知っておいた方が効率のいい単語は、丸暗記でいいから脳にぶち込むべきだ。
 そして、それを知っているかどうかは、テストで調べるべきだ。
 日本語から、または文脈からの類推で訓読する能力を調べるのもテストとしては必要。
 このどちらでもないマニアックな読みは、読み仮名を付けてあげるべきで、そんなところにストレスをかけるべきでない。
 よけいなストレスは除いたうえで、読解力を調べればいいのに、と思う。
 このへんに問題作りのセンスがうかがえる。
 もちろん、大学入試にも、無意味にマニアックな問題はあるから、そういうものへの耐性をつくる意味はあるかもしれないが。
 模試の監督中は、実はもっとも頭がはたらく。
 なので、次の教材のプリントとか、課題曲のスコアとかをもって教室に向かったのだが、前日の夜更かしと、あまりにも心地よい気温のせいで、ずっとぼおっとしたままだった。
 もったいない。
 一日がけっこう無為に過ぎていった感があり、夜更かしはやめようと、生まれてから6万回目の決意をする。
 放課後気を取り直して、ClとHrのパートを見る。
 やればできんじゃん。合奏でやってくれよとと思いつつ、やっぱパートはしつこく見ることにしないといけないなと、6回目ぐらいの決意をする。
 
 
 
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