水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

東京佼成ウインドオーケストラ

2011年10月16日 | 演奏会・映画など

 佼成ウインドさんからのチラシが、いっとき学校あてにもよく送られていたが、来なくなった。
 そういうのやめたのかな。うちだけ?
 部員に紹介すると、けっこう希望する子もいて、池袋の芸術劇場にけっこうたくさんで行ったこともある。
 佼成ウインドさん側も、もっと宣伝してもいいんじゃないだろうか。 
 一昨日の演奏会はけっこう前にチケット買ったけど、当日券でもいい席がたくさん空いていた。
 もったいない。
 終わったあとに、やはりもったいない、少しでも多くの人が聞けばいいのにと思える演奏会だった。
 とくに最後の真島先生の新曲「地球」。
 佼成さんの委嘱新作ということで「三つのジャポニズム」級の名曲が聴ける予感で出向いたのだ。
 「我々の生命や文化を育んでくれている美しくも雄大な自然への讃歌」と先生がお書きになったとおりの曲だった。
 わかりやすく、華やかで、バンドががんがん鳴る曲だった。
 帰りがけ、真島先生が歩いてらしたのをお見かけしたので、面識はないけど「先生、すばらしい曲をありがとうございました」と思わず声をかけさせていただくと、「いえいえ、こちらこそありがとうございます」と言ってくださった。
 吹奏楽という合奏体を最もよく効果的に響かせ、繊細かつゴージャスなサウンドを作ることができる作曲家という点で、真島先生は今世界で一番の方だと個人的には思う。

 クラシックのコンサートで初めての曲を聞くのは、ほんとうはつらい作業だ。
 古典落語と同じで、ネタを知っててはじめて楽しめる。
 二部は初めて聴くのばかりだったが、全然眠くならなかった(前半がっつり寝たからかな)。 
 ストラヴィンスキー「管楽器のための交響曲」は、変拍子やら難しい和音のみでできた曲だが、心地よい緊張感が持続する作品で、こんなのが課題曲5だったらいいなと思う。
 ドビュッシー「第一狂詩曲」は、指揮者ポール・メイエ氏自身のクラリネットソロでの演奏。
 メイエ氏は、技巧も音色もすごいのだろうが、なんか吹く曲の思想が吹いてる感じがする。
 かりに譜面通りに吹いてなくても、思想がドビュッシーになってたんじゃないだろうか。
 シュペリッチ「インプレッション・トウキョウ」は世界初演ということだが、パリ管のメンバーでもある作曲者が、日本を訪れたときの印象を描いた作品だそうだ。
 日本というよりも、トウキョウの印象なんだろうなという、猥雑さとお洒落感とがほどよく混在する作品で、ときおり日本風、琉球風の要素も交じってきこえる。
 もうすこし簡単そうならチャレンジしたいんだけどなあ。
 アンコールはスパーク氏の「陽はまた昇る」。佼成さんの演奏で聞けてよかった。
 ひょっとしたら、今日演奏したすべての曲のなかで一番難しいのが、これかもしれない。
 これはまちがいなく再チャレンジするつもりです。

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おにぎり

2011年10月15日 | 日々のあれこれ

お弁当はおにぎりがいいという 娘のリクエストにお答えして
それも休み時間にも食べたいから ちっちゃいのをいくつかねということで
ミニおにぎりを 毎日3個ずつにぎって いろんな具を入れて
できれば毎日違う種類のを作ってみたかった

やろうと思えば具材はいろいろと何でもあるもので
市販のふりかけやら瓶詰めのをいくつか買って来てみて
子持ち昆布  肉味噌  長野の力 カレーピラフ 焼き明太子
ゆかり 鮭の西京味噌焼き ひじきちりめん 梅かつお

鮭フレークに 福井名産もみわかめを入れて
たっぷりごはんにまぶして にぎってみる
もしも もしも できることでしたれば
毎日 おいしく食べてちょうだいませませ

ツナおにぎり  高菜の油炒め すきやきふりかけまぶし
瓶詰め磯じまんの梅かつおだけは二回目の登場で
気付いたら もう週末 今日は学校説明会
毎日 残さずたべてくれて ありがとう

(さだまさし「雨やどり」にのせて)

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2011年10月14日 | 日々のあれこれ

 「もし一日48時間あったら … 」
 ふつうはこの後にどんな言葉が続くだろう。
 今まで時間がなくてできなかったあれをやりたい、これもできるかな、か。
 とにかく休もう、疲れをとろう、のんびり旅行に行きたいね、か。
 明石家さんま師匠はこう言ったという。
 さんま「1日が48時間あったらええのにな」
 「どうしてですか?」
 「倍笑わせれるやん」
 直接師匠の声で聞いた話ではないが、車のなかでこれを知って泣いてしまった。
 がんばろ、と思った。
 がしがし本読んで、問題つくって、添削して、譜読みして、コンサート行って、練習しまくろうと思った。
 時間があったらやれるなんてレベルのことは、時間があってもたいしてやらずに終わる。
 時間がなければ寝ずにやるのだ。ほんとにやりたいことなら。
 

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あなたが就職試験に受からない理由

2011年10月13日 | おすすめの本・CD

 「あいつも、もう少し周りに気を遣えると成績上がるんだけどなあ」と進路指導部長がふとこぼしたので、「そうそう、自己中な子って、なんか受かんないよね」とつい相づちをうってしまった。
 高い学力を持ちながら、もう一つ結果を残せない生徒さんはいるもので、そういう子って放課後教室で遅くまで残って勉強してるのはいいんだけど、帰ったあと机が使ったままでゴミが残っている子というイメージがあるのだ。

 『あなたが就職試験に受からない理由』という本を読むと、本質は同じなのかなと思う。
 著者の平野氏が最初に述るのは「基礎人間力」の必要性だ。
 ちょー具体的な事例がたくさん載っている。
 エレベーターでは操作盤のボタンを押し自分は最後に降りよう、狭い歩道では自分から道を譲ろう、トイレットペーパーを補充しよう … などなど。
 二十歳の自分がこれを読んだら、どう感じるだろう。
 「うっせーよ、そんな細かいこと、人間の価値に関係ねえよ」とか思ってしまわないだろうか。
 そんな人間だったような気がしてきた。
 そうか … 。だから教員採用試験落ちたんだ(泣)
 それから思えば、どんだけ立派になったんだろ、おれ。
 平野氏は、誰も見てないところでもこういう動きができる人間が求められるといい、昔はみんな自分の家の前だけでなくお隣さんの前の雪もかいたんだと述べる。
 内田樹先生の言う「雪かき仕事」と同じ主旨かもしれない。
 考えてみれば、仕事の本質的なところは「雪かき」の部分で、他人の目にふれる部分は氷山の一角でしかない。
 きっと、採用のプロから見れば、この若造はどんだけ雪かきが出来るかなんて、すぐわかってしまうだろう。

 そういえば、ずっと前の話。
 コンビニで風体がよろしくなく見えるお兄さんがいて、こっちもそんなに機嫌のいい状態でなく、読みたい本のあたりにそいつが立ってて、内心「じゃまだよ」とか思ってた。
 もちろん、怖いから「どけよ」とか言うわけないけど。
 で、レジ終わりも同じタイミングだったのかな。彼の直後に店を出るタイミングになって、あとに続こうとしたら、おれが出るまでドアを押さえて開けててくれるではないか。
 「あ、ありがとう」と言ってその方の顔を見ると、風体は悪者風だったが、目はきれいだった。
 つい「君、うちの社で働かないか?」と声をかけていた(ないない)。
 そういうちょっとした行為で、人の印象は真逆になったりするし、その彼はその瞬間だけではなく、たぶん常時ナイスガイなんじゃないかなと想定できる。

 電話に「もしもし」と出ないとか、履歴書に貼る写真を甘く見るなとか、実際の就活にかかわる細かい注意も載っている。
 そういうのって、今はきっと多くの大学で教えられる機会もあるだろうし、この本でなくても、いろいろ載っているだろう。
 でも、へんな、というかインスタントの写真を貼ってくる履歴書は、前に教科主任だった時代にけっこう目にした。国語科の採用なのに、ここまで字が汚いのはないだろ、というのも見かけた。
 そういう履歴書を送ってしまう人にかぎって、なんで自分は採用されないんだろと思ってしまうのではないだろうか。
 細かいことにすべては見えてしまうのだ。
 ただし、この本に載っている細かい事柄を、細かいまま全てをやろうとすべきでもない。
 それらは、つまりどういうこと? と本質に気付くことが大事なのだ(くぅーっ、先生ぽい)。
 

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2011年10月11日 | 日々のあれこれ

 昨夜、録画してあった、小朝師匠の「演芸図鑑」という番組を見た。
 佐渡裕氏と小朝師匠の対談を聞きたかったので。
「小学校の卒業文集に、ベルリンフィルを指揮すると書いたけど、まさか本当になるとは思ってなかった。おれの次のやつは天下統一とか書いてましたから、そういうのりですよね」と言われてた。
 松坂選手やイチロー選手にも同様のエピソードがある。 
 卒業文集に将来の夢を書いて、その達成率を統計的に調査したら、どんな結果が出るのだろう。
 おそらく、ほとんどの人は夢物語として終わっているのではないか。
 逆に書いてもいない、しかも素晴らしい成功人生を送っている人ももちろんいるだろうし。

 百田尚樹『プリズム』にこんな一節があった。
「大人の人ってすぐそれを聞くんだよね、大きくなったら何になりたいって。なんでだろ」
 主人公の女性が、家庭教師で教えている利発な少年に言われたセリフだ。
 意表をつかれた主人公(なまえが出てこない)は「それはね、大人は夢をなくしたり、かなわなかったりしてる人がほとんどだからよ」と答える。

 「大きくなったら何になりたい?」
 尋ねられなくなったのは、いつごろからだろう。
 聞かれたことはたぶんある。
 聞かれない子もいるだろうことを想定すると、そう尋ねられるような環境のなかで育っただけで幸せだったとも言える。
 なんでもないようなことが幸せだったと思う。

 夢ってなんだろう。
 もってないといけないものなのかな。
 「夢は何?」と尋ねられて即答できないのは、切実に求めている何かがない、もしくはわかってないからにちがいない。
 ひょっとしてあるのかもしれないけど、実体化できてないのかもしれないし、夢とよんでいいものかどうかわからないだけなのかもしれない。
 大人も子どもも高校生も同じではないだろうか。

 夢って欠落感を補う手段なんじゃないかな。
 イチロー選手は、けっきょく試合がなくても安打を打ち続けるような気がするし、北島選手はオリンピックがなくても泳ぎ続けて記録を更新してたのではないか。
 つまり、夢として具体化される事柄自体は、一つの形にすぎない。
 いわば偶像みたいなもので、それが象徴する何かが大事なんじゃないかと。
 何かとは「それをしないと自分でいられなくなるもの」で、それは人それぞれにあって、それを夢とか名前つけて一応論理が備わるようにしてるだけではないかと思うのだ。
 そう考えるとやはり夢は、かなえることよりも、もっていることが大事だ。もしかするとかなわない方が幸せなのかもしれない。

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エンディングノート

2011年10月10日 | 演奏会・映画など

 昨日は、指揮のレッスン、一日試験問題作成。
 今日は、さいたまスーパーアリーナでの塾主催の相談会。
 私立高戦士に休息はない。
 万が一のことがあっても、休息のない企業戦士には認められる過労死認定は、たぶん教員には認められないだろうなあ。

 定年退職から数年後に癌をわずらい、たくさんの家族に見守れながら亡くなっていく「エンディングノート」の砂田さんの死は、あまりにも幸せな亡くなり方だと思った。
 67年の人生は平均寿命からすれば少し短いかもしれない。
 もちろんいろいろと辛い局面はあっただろうが、企業戦士として家庭をも顧みずとびまわり、そんな状態だったから夫婦の仲違いも過去にはあり、でも熟年離婚のような事態にはいたらず、病後かえって夫婦の絆は深まり、長男長女たちは結婚し孫をもうけてくれて、ファザコンの次女はいつもカメラで自分を撮影してくれている。
 のちに是枝監督の助手まで務めることになった次女の手によって、それらの映像は編集されて一本の映画となった。
 死を迎えることを宣告された砂田さんが行ったのは、「エンディングノート」をつくり、自分で自分の死を段取ることだった。
 葬祭場をみつける、遺産分与のだんどりをする、伊勢志摩観光ホテルの黒鮑のステーキを食べる、孫と気合いを入れてあそぶ、妻に「 … 」と言う、など。
 だんどりは自分のサラリーマン人生でもっとも得意としたことであり、そう考えるとこういう死の迎え方をすること自体が砂田さんなのである。
 死ぬ間際にこんなことをしたいと願っても、死期を悟った段階ではもう体がいうことをきかなくなっているのが普通だ。
 そう思うと、間際まで体も意識もしっかりしてて、意識が混濁したらすぐに召されていった砂田さんはうらやましくさえ思う。
 もっといえば、自分の願いを叶えるためのお金、虎ノ門病院の個室に入院できるお金を心配しなくていい状態であったことが、うらやましい。
 金持ちだからあんな死に方ができるんだと批判する気持ちはむろんないが、幸せな最期を迎える大きな要素ではあろう。
 ああ、やっぱお金って大事なのね。
 あと、アワビのステーキってそんなにおいしいのかな。今死を宣告されて食べたいもの何と聞かれたら、GOGOカレーとかヨーロッパ軒とか花田の味噌ラーメンとか言ってしまいそうになる自分を想像すると、おれって豊かとは言えないなと思い始めた。
 せめて … えーと、ズワイガニのセイコ(雌)のウチコとか言ってみようかな。
 セブンイレブンのおでんの牛すじも捨てがたいけど。あ、山田うどんで最近はじまった肉南蛮そば(480円)は絶品だ。
 死ぬ間際になってはじめて奥さんに「 … 」とか言うのはどうなんだろう。ぎゃくにひきませんか、言われた方は。
 ドキュメントというジャンルに入るのかもしれないけど、これはあくまでも次女の砂田麻美監督による「作品」だ。エンターテイメントとしての映画作品だ。
 そして砂田監督という一つの才能がまたあらわれたなあと思える映画だ。

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10月8日

2011年10月08日 | 日々のあれこれ

 朝日新聞の朝刊で「確約」という文字を見てドキっとした。
 また「私立の入試制度はおかしい」とかの話をむしかえしてるのか思ったら、全然ちがくて、県立入試が一本化したので私立の「確約」をもらっておく必要があるという記事だ。
 表だっては使われなかった「確約」と言葉が市民権を得た日として、今日は記憶されることだろう。
 鳩山文部大臣のときの騒動はなんだったんだろ。
 そのあとに私立は授業料が高いことがうんぬんという記事が載っている。
 高いかな。いま県立さんはただだから、数字的には無限大倍高いことになるかもしれない。
 でも、県立さんへの補助と同じ額の援助が私立もあるから、その分をひくと、授業料だけだと月々1万数千円になる。
 これは、うちの娘を通わせていた幼稚園より安い。
 朝から夕方とか夜までいられて、座ってるだけで教えにきてくれる人がいて、放課後は好きに部活ができて、一日500円ぐらいって高いかな。
 楽器を練習できる場所を毎日数時間確保することだけ考えても、スタジオを借りることを思えば、それだけでもとをとってしまう。
 部活中心の感覚だとそれだけで元はとれるから、授業はただみたいなものか。
 なるほど、あんまりがつがつしないわけだ。
 がつがつしてない人の前に、フルコースを並べるような授業をしてはいけないのかもしれない。
 でもなあ、無理矢理にでも食べてもらわないといけない時期にきているし。

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推薦書

2011年10月07日 | 大学入試

 今日から部活は休み。
 休みの間に曲探しとか譜読みとか本当はやりたいが、目先の仕事におわれている。
 これからは、担任の先生の記入する推薦書などの見直しも入ってくる。
 生徒さんの書くものでも、先生方が書く文章でも、落とし穴は主に2つ。
 なので、今日は先生方用のプリントをつくって気をつけていただくようお願いした。
 「主語・述語を対応させる」「一文に一内容を書く」の二つだ。
 一文一文を短く書くようにすれば、ほとんどの場合は回避できる。
 ただし、短い文ばっかだと、なんかおさまりがわるいのだ。
 「明るい生徒である。みんなと仲がいい。元気にがんばっている。推薦する」だと、さすがにけんか売ってるみたいに見えてしまう。
 なので、それなりの長さにしようと、複数のことがらつなげることになる。
 すると、「大変まじめな生徒で、薬剤師を目指している」とか「几帳面な性格で体育祭がんばった」というような不思議な文章をなってしまいことが多い。
 その辺りを見直すのが、こちらの仕事ではあるのだが、少しでも効率よく書いていただくために、マニュアル的な内容も載せた。
 こんな感じで。


  内容について(何を書くか)

1 これまで何をしてきたか

 ① 性格・人柄・人間性  ② 学習への取り組み  ③ クラス・学校行事・部活動への取り組み 

  次の手順で記述するのが定石だと思います。
   a 人間性を表す言葉  例:明るい
  b1 aの具体的内容         誰とでも気持ちよくつきあうことができる
  b2 aから導かれる内容     クラス中から慕われている
   c 具体例            文化祭においてクラスの中心となって …

 推薦書のスペースが大きくても、aばかりを羅列していくと、抽象的になり、かえって中身がないように見えてしまいますので、極力、具体例やエピソードをそえるください。印象的なエピソードがあれば、それだけでもいいくらいです。「長く書く」ために「具体化する」のが一番とお考えください。

例:(a)責任感が強く、
  (b1)与えられた仕事は最後までやり通そうと努力する姿勢を持っている。

例:(a)明るく活発な生徒で、
  (b1)クラスの雰囲気を盛り上げ役割を果たしたてきた。
  (c)3年次の文化祭においては、クラス参加に消極的な級友たちを説得し、高校生最後の文化祭を盛り上げるべく努力し、中心となってクラスをまとめあげた。

例:(a)明るく誠実な人柄で、
  (b2)級友からの信望が厚い。
  (c)毎年評議委員に選ばれ、ホームルーム活動の運営の中心となってリーダーシップを発揮した。

例:(b1)入学以来皆勤を続けている
  (a)まじめな生徒であり、(c)授業に対する取り組み方も申し分ない。

 a・b・cがちゃんとつながっているか、並立関係・因果関係が成立しているか気にしてください。

 悪い例:(a)明るく活発な生徒で、(b)入学以来皆勤を続けている。


2 これから何をしたいのか

 ④ 将来の夢・目標  ⑤ その大学・学部・学科を選んだ理由  ⑥ その大学・学部・学科への適性

 本人の記入する志望理由書や面接もあるので、こちらの比重は大きくなりすぎない方が無難です。

「 将来○○になって○○分野で働きたいという希望をもっている。
  ○○の時、○○という経験をしていらい、この気持ちが強くなった。
  自分の目標を達成するために、貴学で学びたいと考えるようになった。
  ○○が得意で、○○能力が非常にすぐれている。」

 という流れです。前項1とこの2をあわせ、しめの言葉をつければ完成です。


3 しめのことば

・貴学○○学部の推薦用件を満たし、自信をもって推薦できる生徒である。
・人柄、学科への適性、将来の目標などあらゆる面を考慮して、今後の活躍が期待できる生徒として、推薦する次第である。
・貴学において十分な成果が期待できる生徒である。
・本校の教育方針である文武両道の精神を高いレベルで実践した生徒であり、自信をもって推薦いたします。
・以上の理由により、本生徒を貴学○○学部へ推薦いたします。

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成長

2011年10月06日 | 日々のあれこれ

 だから、いろんなことに、より多くの対象に、切実な思いを抱かせるようにすることが、われわれの仕事なんだろうと思う。
 たぶん何に対して抱いてもらってもいい。
 そういう思いが、より生まれやすい環境をつくるうえで、ベストではないかもしれないが、学校はベターな環境のはずだ。
 学校というシステムがマイナスにはたらいてしまう人が一定数いるのも紛れもない事実だけど、アベレージとしては実に有能なシステムだと思うのだ(カタカナが多くなってしまったけど)。
 学校的文化の方向性とは別方向で生まれてもいい。
 毎日の勉強から手に入れられる「知」を積み重ねて、より知りたい、学びたいという「切実さ」につなげていくのが通常の成功例で、こんなことやってられるか、もっと他のことがやりたい、たとえばこれがやりたいという「切実な思い」が思いが生まれるのだったら、それはそれでありだと思う。
 そう考えると、学校をとびだすのも一つの成長であることは間違いない。
 ふつうは、そこまでできないものね。

 「成長」という言葉で気になってることがある。
 長澤まさみちゃんが、「つきあってくれ」という森山未來くんをふるシーンで、「わたし、○○くんじゃ、成長できない」と言うセリフが「モテキ」にあった。
 おじさん的には、こんな感覚もあるのか、と思ってしまったのだが、ひょっとしたら若い女の子の中に普通に存在する感覚だろうか。
 ちょっとラップぽい歌で、「なんとかかんとか~、成長したいねん」みたいな歌を聴いたこともあるし。
 「恋愛で成長」なんてつなげると、「anan」の特集みたいで、なんかいい感じに見えるけど、こういう感覚って自分らが若いころには誰ももってなかったんじゃないのかな。
 恋愛で成長?
 うそーお。恋愛って、そんな何かのためにするというものではなく、落ちてしまうものでしょ。
 そういうの、えっとなんて言うんだっけ? 「功利主義」?
 実は恋愛とは、成長とは真逆で、ぼろぼろになってなんぼのものなのだ。
 恋は品行方正じゃだめなんだよと、まさみちゃんに直接会って教えてあげたい。

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切実さ

2011年10月05日 | 日々のあれこれ

 指定校推薦の校内選考に合格した子たちに、校長先生から訓辞をいただく会があり、その後に志望理由書の書き方を説明した。
 基本的に、志望理由書とは「これから何をやりたいか」、自己推薦書とは「今まで何をしてきたか」を書くものだと説明する。
 いつもながらの話で、中谷彰宏氏の「メンタツ」のパクリだ。
 でも、おざっぱに言ってあげると、少しはわかりやすくなったはずだ。
 実際には志望理由書だけ書く場合が多いので、「今まで、こんなことをしてきた自分」が「将来こういうことをやりたい」ので「貴校を志望しました」とつながるように書くんだよと教える。
 なんていい説明なんだろう。
 ここに今の自分がいる。
 現時点での自分は過去の蓄積の上に成り立っている。
 将来の夢や目標がある。
 たとえそれが漠然としたものであっても、今の自分ではない、何かちがうものなりたいという思いがある。
 そのギャップを埋めるためにどうすればいいのか。
 それを考えに考え抜いたら、そちらの大学に入るしかないとわかりました、と言ってくれたら、たいがいは入れてくださるのではないだろうか。
 つまり、その思いの切実さが大切なのだ。
 自分に足りないものを手に入れるためには、あなたが必要だという強い思いだ。
 人間関係も同じだ。
 つきあってほしい人がいたら、自分にはあなたが必要だという思いをひたすら訴える。
 かっこつけないで。
 で、断られたら、また他の人に切実なる思いを訴える。
 より多くの対象にそういう思いを抱けるようになることを、たぶん成長というのだ。
 「かっこつけな」くていいけど、最低限伝わらないといけないので、伝わる方法はとらないといけない。
 裸で彼女に前に立ち、「あーー」と叫んでも伝わらない。
 結果、逮捕される。
 それと同じで、最低限伝わる文章を書く。
 そのためには、一文には一つの内容を書く、主語述語をととのえることは必要だ。
 TシャツとGパンでもいいから、それくらいの衣装は身にまとわないといけない。
 現実には、Tシャツは着てるけど、ズボンを穿いてない文章はあるし、なぜか十二単の文章もある。
 その辺の直しにけっこう時間がかかるのは現実なのだが。

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