理系班と、事情があって早帰りしないといけない文系の生徒2名とが朝5時半に宿を出る。その後空が明るくなってから気づいたが、宿はほんとにレイクサイドに建っていた。部屋からロビーから食堂から見る洞爺湖の光景はまさに絶景。生徒たちも、前々日スキー場のてっぺんからの眺望で、あれが羊蹄山、あちらが洞爺湖と指さしていた地にやってくるとは思わなかっただろう。これを良い思い出といわずして何と言おう。
文系班も8時に出発し、空港に向かう。午前中のうちには目処が立つと思いますとの言葉をうけて、昼過ぎまで空港内自由行動の時間になる。4Fのコロボックルシアターで映画でも観れないかなと思ったが、時間があわなかった。フードコートで外の様子を眺めながら、真山仁『マグマ』を読んでたら、「決まったので戻ってください」と連絡が入る。昨日帰京できなかった人があまりに多く、JALの通常の発着便では分けたところで乗れない、羽田からチャーター便を飛ばします、ということになった。すごくね? マークンか! ただし機材の到着を待つので夜八時になるという。無限に自由時間にするのもかわいそうだし、いい加減お小遣いもつきた頃だろう。15時頃再集合し、近くのノーザンホースパークで遊び、ドライブインで夕食を摂ろうということになった。再集合の段階ではさすがに飽きてきた子もいるようだったが、ホースパークで野に放つと、嬉々として雪合戦を始めるグループもある。男子は元気でいいですね、女子がいるとこうはいかないんですよと同行の看護士さんがしみじみ語っていた。石狩鍋、炊き込みご飯のセットメニューは、見た感じほとんどの子が完食していたのではないか。食べている間に、羽田に着く時間を家の人に連絡すること、帰りの交通手段を確認すること、川越、大宮行きのバスも出すことなどを連絡した。空港で最後の集合。羽田では集合しないから急いで帰ろう、明日は代休だよと連絡する。旅行会社さんからの最後の連絡事項のあと自然に感謝の拍手がおきた時、ちょっとこみあげるものがあった。
ボーイング767は261席。貸し切りなので、教員は前方のクラスJの席をいただいた。着席するとチーフパーサーの方が「ミズモチ先生、今回はご迷惑おかけしました」とご挨拶にきてくださる。「と、とんでもな … 。いや、くるしゅうないぞ」。着陸前はかなり揺れるかもしれないと機長から説明があったが、それほどでもなく無事長旅を終えることができた。旅行会社の方は、顔を笑っていたが、この三日くらい、けっこうひりひりしていたことだろう。感謝しかない。いい経験をさせてもらった。
修学旅行最終日。朝食後、担任チェックを経て班ごとに札幌市内に飛び出していく。JRで小樽まで足をのばす班もいくつかある。朝の段階で相当数の便が欠航になっている情報が入ってきた。どうなるにせよ、午後の新千歳空港集合まで予定通り行って、それから次の行動を決めようということになる。旅行会社さんは昨夜のうちから宿の手配に入っていたが、難航しているようだった。午後便はまだ欠航になってない、意外に飛ぶんじゃないかと話していた矢先に、理系班が乗る予定のANA便の欠航が決まった。JALが飛ぶならもちろん半分だけでも帰ってもらおう、理系はいくつかのホテルに分宿になってもいいですよと言ってるうちにJAL便の欠航もきまった。明日のANA便202席とれました! おお! 札幌は相変わらず晴れ。この旅行中、雪らしい雪は初日の30分くらいか。ホテルを出てJRで新千歳空港へ。出発フロアは「ごったがえす」の具体例のような状況。予定していた集合場所から一階の到着フロアの広い場所の移動して点呼確認し、これからの流れを説明する。どよめきの内容は、不安とか不満より、かるい高揚感の比率が大きいように感じたけど、違うかな。自分的には「おもしろくなってきたな」という感覚だった。問い合わせしてもらった中で最大収容人数の洞爺サンパレスに9クラス、洞爺観光ホテルに2クラスが入ることになった。夕食はさすがに人数分用意できないということだったので、夕方まで自由時間にし、早めに自分で食べるもよし、お弁当を買っていくもよし、もちろんその両方でもいいと伝え、しばし空港内ですごす。そういえば次女が修学旅行のとき、飛行機がおくれシンガポール空港内で長い自由時間があったけど実に楽しかったと言ってたことを思い出す。空港という設備はありがたい。生徒、教員で450人強の集団だから、移動のバスを手配するのも大変なはずだ。10台しか用意できませんと言われたが、何の問題もない。生徒も何の不満もなく分かれて乗車し、部屋割りも速攻で決まっていたようだった。
サンパレスは昔ながらの観光ホテルで、浴衣とスリッパで大浴場を楽しもうという夜になる。これだけの規模の宿なら、もっとのんびりさせてあげたいと思った。理系は朝5時半出発、文系は現時点で全く帰る目処は立たないが、とりあえず空港に行って様子をみるよと連絡し、しおりにない6泊目をすごすことになった。
修学旅行5日目。クラス別自由行動は、5つのコースに分かれた。1、旭山動物園コース。過去このコースを選んだクラスの満足度は大変高いのだが、スキー場からの移動に4時間はかかのがネックになる。今回もここを選んだのは1クラスだった。2、札幌Aコースは、羊ヶ丘展望台でクラーク像を見て、メグミルクの工場見学、白い恋人パークとめぐる修学旅行らしいコースだ。3、札幌Bコース。羊ヶ丘展望台でクラーク像を見てから北海道大学に行き、博物館や図書館を見学し、案内してくれるOBたちと懇談する。このOBたちも三年前の修学旅行で北大コースを選び北大を志望してかなえた子たちだ。4、終日小樽コースは、ひたすら小樽を自由観光する。5、小樽をまわったあと白い恋人パークを経由するコース。5コースとも夕方は札幌ビール園に集合し全員でジンギスカンを味わう。ちなみにオプションの学年主任コースはインフルエンザの生徒さん限定で、一足先に札幌のホテルに行き安静に過ごす(ふと思ったけど、かりに共学校とか女子校だったら、このオプションが明らかになるや、急に発熱する女子が多数出てしまうのでないだろうか)。川越東さんはジンギスカンでもりあがりすぎて、ウーロン茶で一気とかはじめてしまうので、今年から飲み物は紙コップで提供させていただきます … とのご配慮もあり、ほどよく盛り上がったのち、最終宿札幌プリンスホテルに向かう。ニュースでは、関東の大雪一色になっていた。先生、明日は五分五分だと思いますと旅行会社さんから言われた。なるようにしかならないよね。
修学旅行4日目。午前中に最後の実習を終え、閉校式でインストラクターさんにみんなでお礼を言って解散。相変わらず晴天。お昼はイクラ丼。アレルギーで食べられない子にはローストビーフ丼を用意したが、ちょっと心ひかれた。午後はフリー滑走。昼ごろから天気予報どおり雪が舞い始めたが、フリー滑走開始時間になったら再びやんだ。手のつきかたが悪く指の付け根が痛いという子を医者に連れていく。けが人はこの一名。体調不良による欠席も若干名にとどまった。こんなに何もないのは天候によるところが一番大きい。つまり、この旅行の成功度合いは、偶然に左右されるということがわかった。でも、自分のざゆうのめいは1.0ずつなので、ちがったそれは左右の目だ、座右の銘は「運も実力のうち」なので、この学年の実力はけっこうなものだと思う。夕食は豚しゃぶ食べ放題バイキング。今夜はナイターがなく、生徒、教員ともに落ち着いて食べることができた。三日間のスキー実習を終え、明日はクラス別で観光、あさっては班別で自由行動をしたのち、内地を目指す。はたして帰れるのか。
修学旅行三日目。朝起きたら快晴。けっきょく一日晴れてて、この子たち、どんだけ恵まれているのかと思う。お昼はハンバーグ付ハヤシライス。少し強めの酸味が実においしかった。夕食は中華中心のバイキング。一番はずしにくい調理法で、案の定白飯がすすむ。昼間十分すぎるくらい滑ってそうだったから、ナイターはあまり出ないかと思ってたら約半数が参加した。インフルエンザが一名。近くの診療所の連れて行った。けが人は出ていない。実習中にツイッターを更新したメンバーを呼び出して注意する。三日新聞を手にしてないが、読まなくても大丈夫なことがわかってきた。オリンピックの結果は大体わかる。たぶん世間的に大きな事件は起こってなさそうだ。世界的に見ればかなり重要な出来事がひょっとしたら起きているかもしれない。かりにそうだとしても、今の日本のマスコミがきちっと報道できてない可能性は大きいから、結局同じだ。三日目が終わろうとしている。
修学旅行二日目。積雪380㎝。快晴。あまりに天気がよく、理系クラスだけの予定だったクラス集合写真を全クラス撮ってしまった。開講式を行ってスキー実習に入る。陽が出ているので気温もあがり、北海道バージョンで装備して外に出た子は汗をかいたようだ。午前中は本部ですごし、午後ゲレンデに出ると、昨年実習できなかった子たちを中心にした初級班が目に入る。たどたどしいけど、一生懸命すべっている。まったく初めてのスキーを北海道の雪で三日間専門家について習ったら上手になるだろう。そのうちの一人に実習後声をかけてみたら、楽しいですと言うので安心した。お昼はカツカレー。夕食はバイキングメニューでカニ食べ放題もついていた。夜は希望者だけのナイター。昼の様子から見てけっこう参加すると予想したが、それほどではなかった。食事の光景を見ても感じるけど、たとえば自分が高校生のときに比べてもみな上品で、がつがつ感がないのだ。なんかすごい大きな話になってしまうけど、日本の社会の成熟度がこんなところに現れてるんじゃないだろうか。いいことか悪いことかっていったら、いいに決まってる。ハングリー精神が足りないとか、草食系とか今の若者を評する人もいる。でも、われわれの諸先輩方が、日本人みんなが食うに困らないように、健康で文化的な生活ができるようにとがんばってきて、われわれもその流れで働いて、結果子供たちに今の暮らしを与えることができた。自分はできなかったことも子供たちのは与えようとしてきた結果だ。問題点はもちろんあるけれど、総体として今の若者たちは恵まれていると思う。彼ら自身がそれをどうとらえるかは全く別問題で、大人がああだこうだ言うのは大きなお世話なはずだ。自分たちに与えられているものは遠慮なく享受してもらって、そのうえで可能なかぎりいろんな経験をしてもらいたいなあと思う。まだ二日目なのね。
修学旅行初日。羽田空港の集合には、2学年435名中、遅刻1名、欠席0名。手のかからない学年だなと教頭先生からおほめの言葉をいただき、無事出発した。雪の影響は、理系班の飛行機が15分遅れた程度で、ほぼないといってよい。一日ずれていたら、もしくは土曜出発便だったりしたら、けっこうパニックになったことだろう。新千歳空港に着いても空は晴れ渡っている。むしろ関東のほうが寒くないですかと生徒が言う。バスで札幌へ向かい、大通り公園付近でおりて二時間ばかりだが自由行動になり、雪まつりを見学。平日でもけっこうな人出だ。ここで雪が舞ってきた。コートにかかった雪がそのままサラサラと落ちていき全然濡れないのをみて、気温の低さにそこで気づいた。再集合してバスで宿舎のルスツリゾートへ向かう。中山峠越えの道は、過去は必ず猛吹雪だったが、今回はここもスムーズに越えれて、予定よりはやくホテルについた。レンタルグッズの確認、入所式を行って夕食。朝空港のカフェでサンドイッチ食べて、搭乗時に配られた軽食のサンドイッチは機内で食べて、大通りでラーメン食べて、またそれなりに食べてしまった。なんか起きたときには食べる時間がないこともある、以前そんなこともあったではないか、食べられる時はしっかり栄養補給をしておくのもプロ教師の仕事術さと自分に言い聞かせた。室長会議、教員打ち合わせを終え、まもなく点呼、消灯になる。手のかからないお子様たちは、オリンピックなど見ないで早寝早起きするに決まっている。
佐村河内問題について語った人が累計8千万人ぐらいになったようだが、みんなつまんないなあ、誰か面白いこと言ってないかと思ってネットサーフィンしてたら、東良美季さんというライターのブログが、ちょっと楽しかった。
~ それにしても佐村河内ってインパクトのある名前だなあ。僕は好きですね。昭和40年代の少年漫画か、ヒーロー物ドラマの主人公みたい。暗闇から「フッフッフ」と現れて、「誰だ・・・? き、貴様、佐村河内!」とか、「むむ、佐村河内。お前、死んだはずでは・・・」なんてね。まあ、珍しい名字ではある。(東良美季「毎日jogjob日誌 」) ~
そして東良さんは、同姓同名検索サイトで「佐村河内」を調べる、日本に7軒しかない、東国原は11軒、東良もめずらしいと言われるけど73軒もあったと書かれる。
なので水持も検索してみたら12軒だった。案の定めずらしい部類に属する。だが、残念ながらそれほどインパクトはない。せいぜい飲み屋の予約などで「ミズモチ」と伝えて一回では伝わらないぐらいの珍しさだ。
自分も「サムラゴーチ」ぐらいインパクトのある名前だったら、もう少しちがった人生を送っていたにちがいない。
あの名前で、あの風貌で、耳がきこえない、杖が必要だというキャラクターだと、ほとんどギミックに近い感じに見えるのがふつうだが、「騙された!」と文句を言う人は、プロレスを観たことないのだろう。
エンターテーンメントの世界には、ギミックが不可分だ。
エンタメ界にかぎらないか。われわれ教員の世界でも、自分のキャラクターを考えることは大事で、無理なキャラを演じようとして失敗することも多々ある。
教師として自分がこうありたいと願う姿と、周囲から求められている姿がぴったし一致する場合はまれだし、物理的外見との相関も大きい。
新任のかわいいタイプの女性教師が、生徒指導のチーフとして生徒の前に立つのは至難の業だし、巨体のおっさん先生が母親的役割を果たそうとするのは難しい。
そういう意味で、佐村河内さんの戦略は見事に成功していたと言える。途中までは。
ちなみに、吹奏楽の世界には、あんなふうに意図的につくりあげなくても、キャラのこゆーい先生はそうとういらっしゃる。人としてふつうタイプの自分としてはうらやましさを感じたこともあった。
問題なのは、「被爆二世」「全聾」という方だろう。佐村河内さんの問題ではなく、わたしたちの。
佐村河内さんの風貌を「なんかうさんくさい」「ギミックなんじゃないの」と感じた人は絶対いると思うけど、障害をもっている、そして被爆者という要素が加わると、ふつうに論評することがタブーになってしまう。
かりにバラエティに出演されて、にこにこ笑ってたとしても、同席した芸人さんが「つっこみ」を入れるさいには、最新の注意をはらうことになるだろう。
ダウンタウンのはまちゃんあたりなら、「グラサン似合うてへんやん!」と言えるだろうが、「つごうの悪いときだけきこえへんの、ちゃうんかい!」になると、抗議の電話を覚悟することになる。
「そこは触れないほうがいいよ」という部分が、考えてみると昔にくらべ、随分多くなった。
すっかりかげが薄くなってしまった「明日、ママがいない」問題と、本質の部分でつながっている問題のはずだ。
学年だより「修学旅行」
部活の合宿は何のためにあるのか、と考えたことはないだろうか。ふつうに長時間練習するだけなら、通いでできないことはない。
なぜ寝食をともにするのか。それは、日常を離れることにある。日常生活を離れ、練習して食事して寝て起きて練習してまた練習して … という浮世離れした生活をともにすることが目的だ。
その結果どういうことがおきるか。
自分以外のメンバーが次に何を言い、何をするかがなんとなくわかるようになる。誰かが笑えば自分もおかしくなり、笑うポイントもそろってくる。そして自分の身体行動が自分の意志で行われているのかどうかわからないような境地に達する。
すると、ともに生活していた集団が、あたかも一つの有機体のように動くようになる。
たとえば、サッカーの試合中に、あいつはあの辺にパスを出してくるはずだ、と意識した後に走り始めたのでは、もう遅い。無意識の段階で身体が先に動いている必要がある。そういう意識を共有できるようになるには、通常の練習だけでなく、合宿のような生活が極めて有効なのだ。
合宿しなくても、数時間でそういう感覚を身につけられる人たちが代表レベルなのだろう。
修学旅行というのも、合宿に近いものがある。
ただ旅行するだけなら、気のあった仲間同士で行った方が楽しいし、自由だ。しかし、なにゆえ一緒にいるのかわからないような人々となぜか仲間感が生まれてしまう行事が、こういう旅行だ。
だから、せいいっぱい浮世離れしよう。スキーを滑ってごはん食べて寝て、がんがん滑ってわしわし喰って寝て、また起きてまた滑ってという暮らしをしよう(ときどき「ユメタン」はやった方がいいかもしれない)。
同学年同士の漠然とした一体感は、今後のみなさんの貴重な財産になる。
1 部屋にはタオルもドライヤーもありますし、たいがいのものはホテル内の売店に売っています。いざとなればコインランドリーも使えます。持ち物にはそんなに神経質にならず、こんなもんかなというぐらいでいいです。南極探検のような荷物は不要です。
2 去年、荷物をやたら部屋中散乱させる友に困った記憶をもつ人はいませんか。3、4人が快適に過ごせるようにお互いに気を遣いなさい。財布が見つからない、ルームキーが見当たらないなどという事態になって、自分のせいで他の人をいやな気分にさせないようにしよう。
3 みなさんの旅行にはたくさんのスタッフの方が関わっています。挨拶を忘れてはいけません。バスの運転手さん、部屋の掃除をしてくださる方、食堂のスタッフ、旅行会社の方、レンタルスキーの方など、すべての人にきちんと挨拶できるように。
4 最後に根本的な思想を確認しますが、修学旅行でのスキーは、文武両道の学校方針を具現化したもののひとつです。純粋なレジャーではありません。ものすごく寒いし、足が痛くなる人もいるでしょうが、がんばって三日間の実習に取り組んでください。
授業中にとなりのクラスから「ヘイジュード」が聞こえてきた。
Hey Jude, don't make it bad
やべ、意味わかる。何十年も意味も考えずにくちずさんでいいたのに、急に意味を感じた。
英語力が自然についていた … わけではない。あえて言えば、漢文の使役用法はmakeで考えればいいよって何回か教えてきたからだろうか。
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better …
やっぱり、あんまりわからないかな。
ロンドンオリンピックでポールマッカートニーのリードで観客が合唱したヘイジュードは、我が国で言えば、みんなで「負けないで」を合唱した感じなのだろうか。
とりあえず授業中に一節だけ歌って、教室をなごませておいた。
先日観た「アメリカンハッスル」は、1970年代後半、アメリカでおこった収賄事件を描く。
詐欺師、FBI、警察、政治家たちがだまし騙され、最後に大どんでん返しがあるという予告編にひかれて観に行ったが、ストーリーは普通だった。はらはらどきどきもしない。
でも70年代後半の風俗と役者さんのお芝居は楽しめる。
有名な俳優さんがたくさん出てるみたいだったが、一番若手なはずのジェニファー・ローレンスの存在感は圧倒的だ。はじめて共演するベテランさんは、すごいのが出てきたなと思ったりするんじゃないだろうか。
音楽は重要な働きをしていて、登場人物たちの髪型や服装のコテコテ感とともに、観客を一気に当時の世界にひきこんでいく。
洋楽に暗い自分でさえ、「あれだ!」と懐かしく思える楽曲があった。
アメリカ人にはたまんないんじゃないだろうか。
「麦子さんと」で「赤いスイートピー」がかかった瞬間に涙腺が決壊した日本人のように(おれだけ?)。
NACK5で、あれ、オリジナルラブ「接吻」を誰か若い子がカヴァーしたの? と思う曲が流れてきて、途中からちがうメロディーラインになったのだが、これって別曲と言っていいのかなと思い、ネットで「接吻 似てる」で検索したら、すぐにパクリ疑惑的な記事を見かけた。誰もが感じたのね。
これだけ有名な元曲を意図的にまねるということは考えにくいし、かりにそうであったとしても発表される前のどこかの段階でチェックは必ず入るはずだから、業界的には大丈夫なレベルなのだろう。
西洋音楽で作曲する以上、かぎられた音階で書くしかないのだから、理論的には同じ配列はいくらでも出てくる。
昨日気づいたけど、中島みゆき「糸」と植村花菜「トイレの神様」の冒頭は、リズムはちがうけど、音階は同じじゃないかな。