水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

時間との闘い

2017年12月05日 | 学年だよりなど

 

    3学年だより「時間との闘い」


 秋まで試合が続いていた人もふくめ、部活動は全員が引退していると思う。
 三年の最後の大会の直前、みなさんはどんな練習をしていただろうか。
 できるかぎり本番に近い状況を設定し、最後のつめを行っていたはずだ。
 対戦相手のビデオを見てイメージトレーニングした人もいるだろう。
 試合当日のタイムテーブルにあわせて、何日も前から起床時間をずらしたり、食べる物を吟味した人もいるだろう。
 入試も同じだ。いかに本番を想定した形で勉強を積み重ねていけるかが大切になる。
 そのためにまず考えないといけないのは、時間感覚だ。
 「センターで失敗しました」と悔やむ先輩たちの多くが第一にあげるのは「時間不足」だった。
 しかし、これはすなわち準備が足りなかったということでもある。
 たとえばセンターは、80分、60分と決まっていて、どういうタイプの問題が、どの程度出題されるかは、すべてわかっている。
 かりに予想に反した内容の問題が出題されたにしても、時間と形式は変わらない。
 センター試験当日に目にする問題は、その新鮮さと、本人の精神状態ゆえに、すべてが新傾向の想定外問題に見えることさえある。
 「こんな問題は見たことがない」(あたりまえなのだが)と動揺しているうちに、時間が足りなくなってしまう。あげくのはてにマークする欄を間違えたりする。
 模試や練習で一回もしたことのないようなミスを本番だけおかしたりもする。


 ~ センター試験も速さとの戦いだ。英語や国語の解答時間は80分しかない。これが120分だったら平均点は大幅に上がる。「時間がなかった」はセンター試験では言い訳にしかすぎない。「時間がない」は「力がない」の同義語である。センター試験で失敗する理由の一つは、ふだんから時間を計って過去問を解くという、当たり前のことをやっていないからだ。
 ……時間切れを防ぐには、必ずストップウオッチで時間を計って問題を解き、日常の勉強で本番の緊張感を演出しなければならない。センター過去問演習にストップウオッチは必需品だ、陸上部でストップウオッチ無しの練習は考えられないように。 (笠見未央『センター前ヒット センター試験でこけない68の法則』高陵社書店) ~


 笠見未央先生は、こうも言う。


 ~ 「センター試験に対して臆病になれる受験生は強い。」 ~


 センター試験に対する「恐怖があるからこそ、日常の勉強で『本番モード』を演出し、本番で不測の事態が起きることを防ぐ」ことができるという。
 最後の大会前の自分を思い出そう。「練習は試合のように、試合は練習のように。」

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人のために(2)

2017年12月04日 | 学年だよりなど

 

    3学年だより「人のために(2)」


 日本で初めて起きたハイジャック事件が「よど号事件」だった。
 外国では、乗客全員が命を失ったり、犯人の亡命先から帰れなくなったりした例もある。よど号に乗り合わせ、死を覚悟せざるを得なかった日野原氏は、四日間拘束され解放されたときに、それまで感じたことのない生への実感を抱いたという。


 ~ それまで、わたしは生きて日本に帰れないかもしれないと覚悟していました。しかしソウルの空港の土を踏んだとき、わたしは足の裏にふつうではないインスピレーションを感じました。
 そのインスピレーションは、わたしにこう伝えていました。「これまでの人生は、自分のために生きてきた。これからは、世話になった人への恩返しでなく、出会ったどんな人にも自分のいのちを捧げよう」と。それ以来、わたしは自分のいのちを人のために使おうと決意し、毎日を生きています。 (日野原重明『明日をつくる十歳のきみへ―103歳のわたしから』冨山房) ~


 自分の命は与えられたものにすぎない。たまたま生きながらえた命を、自分の地位や名声のために使おうとするなどもってのほかだと決意する。


 ~ ……2013年(平成25年)の日本人の平均寿命は83歳となり、100歳以上の人は5万人を越えました。50年の間に、日本人は13年も長生きするようになったわけです。逆の言い方をすると、「13年分、いのちがのびた」ということになります。
 長くなったいのちは、どんなふうに使うのがよいでしょうか。一日中ねころんで、テレビを見て時間を使うこともできますが、それだとだれも幸せにできません。
 わたしは、寿命がのびて手に入ったいのちの時間は、できるだけ人のために使うべきだと思っています。「人のために自分の時間を使ったら、そんをする」と考える人もいるかもしれませんが、そんなことはありません。人のために時間を使っても、多くの人から喜んでもらうことができれば、幸せな気持ちになることができます。それは、まわりまわって自分のためにもなることです。 ~


 受験は誰のためにするのだろう。
 「自分のために決まっているじゃないか」とみなさんは言うかもしれない。
 しかし、自分で自分の人生の方向性を決め、それに向けての努力できる身体と環境をもっている「有り難さ」を、純粋に自分のために用いるのは贅沢すぎる。傲慢と言っていいかもしれない。
 それに人は、自分のためだけにすることは、逆に簡単にサボりやすいという面もある。
 さぼっても、楽をしても、それをとがめられたときに「どうせ自分の人生だから」と開き直れるからだ。ちょっとつらくなった、具合がわるくなった程度で、やるべきことから逃げるのは、恵まれた状況に対する感謝の念が足りない。
 残された時間と現状を考えたとき、切羽詰まってくる人もでてくるだろう。
 そこでふんばらないと。自分のためではなく、家族、仲間、まだ見ぬ自分が支えるべき人のためにこそ今の自分はあると思い、乗り越えていこう。

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人のために

2017年12月03日 | 学年だよりなど

 

    3学年だより「人のために」


 今年2017年の7月、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、105歳で亡くなられた。
 100歳を越える長寿の方はめずらしくなくなったが、100歳を越えて現役の医師としてご活躍され続けていたことは驚かざるを得ない。日本に終末期医療という概念を確立させた第一人者であり、生活習慣病という名前は日野原先生が考えられたものだ。
 お医者さんとしてだけではなく、「命の大切さ」を子ども達に伝える講演会のために全国をとびまわり、晩年は自作のミュージカルも手がけていらした。
 100歳を越えてなお、3年先の予定までうまり、移動の時間は執筆活動に費やす日々を過ごされていた。このような人生を支えていたのは、自分の人生の一分一秒でも、他人のために使いたい、人の役に立ちたい、困っている人を救いたいという思いだった。


 ~ 子どものうちは自分の持っている時間をぜんぶ、自分のために使ってよいのですが、おとなになったら、自分の時間を他人のためにも使ってほしいのです。
 こまっている人やまずしい人を助けるためでもいいし、たくさんの人を幸せにするためでもいい。自分のためではなく、だれか人のために自分の時間を使うことこそが、その人が本当に生きていることになります。
 長生きをするということは、そうやって人のために使える時間がふえることでもあるのです。わたしはいま103歳ですが、一日のうちのかなりの時間を人のために使っています。2、3先まで毎日の予定がびっしりとうまっていて、110歳くらいまではこのペースをつづけていきたいとねがっています。 (日野原重明『明日をつくる十歳のきみへ―103歳のわたしから』冨山房) ~


 こういう思いを抱いたのは、およそ40年前、「よど号ハイジャック事件」に遭遇したときだった。


 ~ わたしは九州の福岡で開かれる内科学会の大会に出席するために、1970年3月31日の早朝に羽田発の日航の「よど号」に乗りました。すると離陸してまもなく、共産主義者同盟赤軍派の若者9人の犯人グループが日本刀や拳銃、ダイナマイトなどを手に立ち上がり、飛行機を乗っ取りました。そして飛行機を北朝鮮に向かわせようとしました。
 犯人たちは男の乗客を窓ぎわに移動させてロープでしばり、燃料補給のために着陸した福岡空港で、女性の乗客と病人、子どもなどの人質を降ろしてから、北朝鮮に向かいました。わたしは機内に乗せられたままで、生きた心地もありませんでした。やがて、「よど号」は朝鮮半島の空港に着陸しましたが、そこは北朝鮮ではなく、韓国でした。機転をきかせた機長が、犯人をだましてソウルの金浦空港に飛行機を降ろしたのです。だまされたとわかった犯人たちは怒りだし、いまにもダイナマイトで自爆しそうでした。 ~


 日野原氏は、死を覚悟した。それでも日本政府の必死の説得が功を奏し、当時の運輸政務次官、山村新治郎氏が身代わりとなることになり、人質だった乗客は金浦空港で解放されたのである。

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人生のコスパ(2)

2017年12月02日 | 学年だよりなど

 

  3学年だより「人生のコスパ(2)」


 夢に向かって努力することの「コスパ」はどうだろう。
 ピアノでもバレエでもフィギュアスケートでも野球でもサッカーでも、プロとして活躍する人には、幼い頃から莫大な投資がされている。
 親は、子供が物心つくかつかないうちから、先生をみつけ、お弁当を作ってレッスンの送り迎えをする。レッスン代や用具にかかるお金は、一般的な家庭が負担する額としてはきわめて高額なものになるから、親は生活のすべてを捧げるといってもいいレベルで子供に投資する。
 それらのコストに見合うパフォーマンスを得られる人はどれくらいるだろう。
 そこまでしても、プロになれるのはほんの一握りの人たちだ。
 かりにプロになったとしても、その時点までに投資された資本総額を上回る収入を得られる人の比率は、さらに低くなる。
 では、親子で夢に向かってがんばるのは、「コスパの悪い」ばかげたふるまいだろうか。


 ~ ところが、そう考えるとスポーツ選手やアーティストは「ものすごくコスパの悪い人生」です。成功が保証されてないのに、子ども時代から遊ぶ時間を削って打ち込む。プロになれれば良いけど、99%の人はどっかの段階でプロを断念します。
 じゃあそういう人たちを私たちは「コスパが悪いから損」と笑うのか? いいえ。「打ち込む夢があって、いいなぁ」とうらやむんです。 ~


 受験勉強は、考えようによっては、ものすごくコスパはいいと言える。
 あまりにも露骨なデータになるので詳細は載せないが、どの大学を卒業したかによって、平均生涯賃金には相当の開きがうまれるという現実があるからだ。
 しかしそれはあくまでも平均であって、「最難関大学を卒業すること=稼げること」ではない。
 「収入の多さ=幸せの大きさ」と言えない面もある。つまり最後は個人の問題に帰する。


 ~  「白菜なんてどれも同じ」と考える味オンチは、白菜をコスパのみで考えます。
 同様に「人生なんてどう生きたってつまんない」と決めつける未熟者は、人生をコスパだけで考えちゃう。未熟者だから、自分の人生がどれだけ豊かになりうるのか、が発想できないからです。 あなたの場合、「育児が好きでもないのに、子どもが三人もいる」という現状は、あきらかにコスパの悪い人生です。でも同年代やその前後の男性からみれば、あなたはメチャクチャ贅沢に見えるはず。……いまどき、三人の子どもを持つ30代男性なんて、何十人に一人ですよ? 周囲から見たらあなたはものすごく「ゼイタクで充実してる」んですよ。……現状は「たいへんだけど、他人から見たらゼイタクで充実してる人生」です。これを楽しめるように、夫婦揃って負担を下げましょう。 (岡田斗司夫「悩みのるつぼ~子育てはコスパが悪い?」朝日新聞) ~


 コスパの悪い人生を送れるのは、実は幸せなことなのだ。

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人生のコスパ

2017年12月01日 | 学年だよりなど

 

  3学年だより「人生のコスパ」


 朝日新聞の「悩み相談コーナー」にこんな相談が寄せられた。


 ~ <相談文> 現在、夫婦共働きで3歳の息子と0歳の双子を育てています。正直仕事をしながらの3人の子育てはとても大変で、妻も殆(ほとん)ど眠らずに毎日頑張っています。
 こんな生活があと何年間も続くのかと思いながら、最近よく考えてしまいます。
  … 「子供が可愛い」というのは分かっていても、子育てにはたくさんの労力・時間・お金がかかります。私もそれらを自分の為に使えたらと考えてしまう時があるのですが、それは親として無責任過ぎるでしょうか?  … 子育てというのはコスパが悪いのでしょうか? ~


 「コスパ」、つまり「コストパフォーマンス」は「費用対効果」「対費用効果」と訳される。
 どれだけの費用(コスト)をかけて、どれだけの効果(パーフォーマンス)を生み出すかという数値だ。いろんな場面で用いられる。
 値段が安くて性能のよい製品は「コスパが高い」と評価され、巨額の投資を行ったのに期待していた利益を生み出さない事業は「コスパが悪い」と言われる。
 5000円のゲームソフトを奮発してつまらなかったら腹が立つが、500円でおいしくてお腹いっぱいになれる定食屋さんはうれしい。
 100時間勉強したぐらいでは偏差値が上がらない科目より、10時間やると目に見えて成果のあがる科目があれば、コスパのいい科目と言ったりする(ないけど)。
 そういう感覚で「子育て」を考えたときはどうだろう。
 実感しにくいだろうが、コスパという概念を持ち込むこと自体が違うのではないかと、多くの大人は思うはずだ。いや、みなさんも考えてみるといいかもしれない。オギャーとこの世に生を受けて以来、約18年の人生を過ごすにあたり、どれだけのコストがかかっているか。
 そしてそのコストを負担した親御さんが、どれだけのパフォーマンスを獲得したかを。

 岡田斗司夫氏はこう答える。

  ~ <回答文> コスパとは「投資に対して得られるものが同じ」時に、使える考え方です。たとえば「白菜なんてどれも同じ」と考えるなら、そりゃ安い方が良い。同様に「別に人生なんてどう生きたって変わりない」と考えるなら、そりゃ投資効率だけで考えるのが正しい。これが「コスパを前提とした人生観」です。
 ところが、そう考えるとスポーツ選手やアーティストは「ものすごくコスパの悪い人生」です。成功が保証されてないのに、子ども時代から遊ぶ時間を削って打ち込む。プロになれれば良いけど、99%の人はどっかの段階でプロを断念します。 ~


 子育ては、基本的に断念することすら許されない。

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