水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

クリスマスジョイントコンサート

2020年12月20日 | 日々のあれこれ
クリスマスジョイントコンサート

12月20日(日) 新座市民会館

本校演奏曲「あんたがたどこさの主題による幻想曲」
     「ポップコピー1楽章」
     「ハナツ」
     「You Cant Stop the Beat」


 27日に予定していた「クリスマスジョイントコンサート」はいろいろあってできなくなったが、「ジョイントの灯を絶やすな」の思いが結実し、もともと練習日だった20日、新座市民会館で開催できた。
 思う存分できない面もあったのはたしかだが、集まった生徒さんたちの顔をみれば、やるべきだったと感じる。
 みなさま、ありがとうございました!!
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ダメ出し力

2020年12月20日 | 学年だよりなど
  3学年だより「ダメ出し力」


 プレ共通テストの結果が思わしくなくても、最終的な目標設定を動かす必要はない。
 現役生にとって、今時点の成績は結果ではない。過程におけるダメ出しだ。
 河合塾の方に前教わったように、E判定が全体の半分を占めるから、E判定の中で、どのレベルにいるかを見極める必要はある。感覚的には、現役生でいまD判定なら、ほぼ勝ちに等しい。
 目標校の入試日に力が発揮できることこそが目標なのだから、極端な言い方をすれば、その前日まではダメだしが続いている方がいい。
 想定外に悪い結果は、自分が早急にやるべきことをはっきり示したもらえたのだから、これ以上役立つものはない。
 予想よりよかった時の方がむしろ危険だ。


~ 模擬試験には滅法強いけれども、本番に弱い人というのがいる。
 ひょっとしたらあなたがそうかもしれない。
 本人たちにしてみれば途轍もない悩みであり、この悩みが克服できたらどれだけ幸せになれるかと思っているはずだ。
 率直に申し上げておくと、勝負の世界では本番以外の勝ちは何の意味もない。
 偶然の勝ちは無意味であるどころか、逆効果である。
 なぜなら模擬試験で偶然いい成績を獲得してしまったために、ただでさえ実力不足なのに油断してしまうからである。
 本番での偶然の勝ちは素直に喜ぶべきだが、模擬試験での偶然の勝ちはかなり気を引き締めて日々成長しなければならないということだ。
 もちろんこれは模擬試験なんて手を抜けだとか、模擬試験なんて意味がないということを述べているのではない。
 模擬試験こそが本番であり、本番は模擬試験と同様にリラックスして臨んだほうがいいと思う。
 プロスポーツ選手にもやっている人は多いが、練習試合(模擬試験)でミスったところは今後二度とミスらないようにノートなどにまめに記録しておくことだ。
 記録するだけではなく、意識し、それを繰り返さないように対策を練ることだ。
 それを習慣化して弱点が克服できた状態で、本番にピークを持ってくるのである。
 これが一つの、人生における勝つための戦略である。
 練習こそ本番のように悔しがり、敗因を分析して、二度と同じ過ちを繰り返さないようにして本番に臨もう。本番で悔しがっても、勝負の世界ではもう遅い。 千田拓哉『本当に「頭が良くなる」ためにやるべきこと』徳間書店) ~


 結果に一喜一憂していいのは5秒だけだ(それも表面には出さない)。
 解けなかった問題に感謝して、しかし、その原因を必ずノートに書いておく。
 本番直前には、その「失敗ノート」を見つめて一瞬しみじみしよう。
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あたりまえ力

2020年12月17日 | 学年だよりなど
3学年だより「あたりまえ力」


 ふだん大宮バスの人が、共通テスト当日、初めて東上線に乗るとする。
 JRで川越に行く、はじめての乗り換え、高坂ってどっちのホーム? 下りだっけ?、え、次で急行に乗り換え? いくつ目で降りるんだっけ……。ふだんなら何でも無い行為だが、気づかないうちに脳内のエネルギーが消耗する。
 からだを動かすとドーパミンが分泌されてやる気の素になるものだが、それは会場に着いてからじわっと出すためにとっておきたい。
 「やる気」とか「気力」とか表現される脳内の働きは、量が決まっている。
 朝はフル充電状態で、午前中にピークに達すると、あとは減少の一途をたどり、起床後十数時間で消費される。朝から一日がんばって活動し続けると、夕方には「酩酊状態」になる。
 脳をムダに使い切らないように過ごせることも、「本番力」の一つだ。
 今、みなさんは、がんばらなくても普通に机に向かえる状態だ。
 過去の自分をふりかえってみると、どうだろう。机に向かって問題集とノートを広げること自体にストレスを感じていた頃もあったのではないだろうか。「よしやろう」とシャープペンを持ってみても、すぐにスマホやゲームに心が動いたり、ベッドに横になってしまったり。
 朝起きて準備ができれば、自然に学校に向かったり、机に向かったりできる。
 そのこと自体に「がんばる」とか「気合い」は要らなくなっている(はずだ)。
 勉強して自分が変わるとは、自分の「あたりまえ」が変化するということだ。
 分からないことがあれば分かろうとし、できないことがあればできるようになろうとし、目標があればそれに向かって具体的な行動をとり続ける。
 その過程においては「がんばる」ことも必要だが、その行動自体が日常になっていくので、結果として自分の「あたりまえ」レベルが上がっている。ムダに頑張る必要がなくなる。


~ モチベーションを上げるというのは、アクセルをふかすことです。
 これはエネルギーのムダづかいで、よくありません。
 暴走族のブォンブォンという騒音は、アクセルをふかす音です。
 運転がうまい人は、ムダなアクセルの踏み込みがありません。
 ヘタな人は、ムダなアクセルとムダなブレーキが多いです。
 そのため、クルマがガックンガックンとノッキングを起こします。
 モチベーションを上げなければならないようなことは、しなくていいのです。
   (中谷彰宏『頑張らない人は、うまくいく』Gakken)~


 超進学校の生徒はが「いやあ、全然勉強してないです。せいぜい7、8時間かな」と語る感覚。
 練習後にプロテインを摂り、栄養に気をつけた食事をし、試合が近づけば睡眠時間もシフトしていくといった作業も、運動部の人にとっては「普通」のことだろう。
 そんな感覚を知らない人は、「そんなに?」「そこまで……」と見えるかもしれないが、「あたりまえ」のレベルがちがうだけだ。
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本番力(2)

2020年12月15日 | 学年だよりなど
3学年だより「本番力(2)」


 水野先生に続いて、田村先生が「その2」を、水口先生が「その3」を述べる。
 桜木は、東大専科の指導に若い先生を抜擢し、教員にも自信と責任感を植え付けようとしていた。


~「その2 制服を着て勉強する
 東大二次試験に着て行く服は普段着慣れた制服にする
 つまり試験日まで制服を着て勉強を続け、試験日も制服を着て受験をする
 普段の力を100%発揮するためにイレギュラーなことは極力避ける
 いつもの服装で、いつものルーティンで、いつもの力を出す
 これが本番で結果を出すもっとも有効な方法です
 よく勝負スーツとか勝負ネクタイなどで特別感を出そうとするが、それがNG
 出掛ける段階で肩に力が入り、緊張を強めて失敗の原因を作ることになる
 本当に本番に強いのは、落ち着いている人! 
 自分を落ち着かせるために服装は重要なアイテム
 だったら普段着慣れている制服が一番です」 ~


 過剰に特別感をもって本番に臨むことの危険性は、人生のいろんな局面にあてはまるだろう。
 すぐれたアスリートもアーティストも、有能なビジネスマンも研究者も、日常と非日常に明確な線引きがない。オフの日にひらめき、オンの時もゆとりがある。キングカズは近所のコンビニに行くときもおしゃれなスーツで出掛ける。


~「その3 学校の教室で人と一緒に勉強する
 本番では、大学の大教室で試験を受けることになる
 これは家とは全く違う雰囲気の中で、問題に挑むことでもある
 家で一人で勉強することは、日常と本番の同一化と反する
 試験日がイレギュラーな日になってしまうからです
 試験日を特別な日にしないために、できる限り学校の教室で、人のいる空間で勉強する
 それによって、普段通りのパフォーマンスを発揮できる
 試験会場では、いろんな人や出来事と遭遇する
 ペンの音がうるさかったり、咳き込む声も聞こえる
 予期せぬことにも動揺しないためには、多少の雑音の中で勉強することが効果的だ
 制服を着て、学校の教室で、他の生徒とともに勉強することで
 本番力は一段と鍛えられるのです」 (三田紀房「ドラゴン桜2」モーニング2020.№52) ~


 電車とバスに乗って毎日学校に来て勉強することが一番の対策になるということは、みなさんは今までの日常を積み重ねていけばいいということだ。受験だからといって、とりたてて変わったことをする必要はない。この時期、家にいた方が楽なのは間違いないのだ。しかし、ほんの少しだけ面倒くさいことを積み上げていくことが、メンタルを鍛え、自分を成長させていく。
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本番力

2020年12月14日 | 学年だよりなど
3学年だより「本番力」


 共通テストが終わり、二次対策を始めた東大専科クラスの生徒達を前に、「本番力を鍛える三箇条を教える」と、桜木理事長が語り始める。


~「本番力とは、試験日本番に自分の実力を100%出し切れる精神状態のことだ 
 勝負はメンタルが決め手だ
 いくら実力があっても、緊張したり動揺するようでは、結果を出せない
 どんな状況でも落ち着いている、アクシデントにも動じない、平常心で対処する者が勝つ
 では平常心をどうやって身につけるか
 それは、勝負である本番を日常化すること!
 裏を返せば、日常を本番として過ごすということだ
 つまり、当日まで、毎日を試験日と思って過ごすこと
 これから日常と試験本番を同一化する。試験日は特別な日でなくなり、毎日と同じ日になる
 おのずと平常心で試験に取り組むことができる!」
                   (三田紀房「ドラゴン桜2」モーニング2020.№52) ~


 具体的にはどうやって「日常化」していけばいいのか。
 水野先生が「本番力を鍛える3ヵ条」の1を説明する。


~「その1 本番と同じスケジュールで生活する
 人間の心理状態は時間の感覚が大きく影響します
 自分の生活リズムと違った状況に人はストレスを感じ緊張します
 ストレスと緊張は人が失敗する最大の原因です
 オリンピックに出場するマラソン選手が、
 早朝スタートに合わせて練習時間を早めるのはその失敗を防ぐため
 つまり、勝負が懸かった大一番では
 トレーニングも全く同じ時間に行う。これが鉄則!
 受験であれば、試験日と全く同じタイムスケジュールで日々を過ごす
 ポイントは「本番と同じような」ではなく、極力同じにする。これが大事!
 本番と同じ時刻に起き、本番と同じ食事を摂り、
 試験時間に勉強し、本番前夜と同じ時間に寝る
 このリズムを規則正しく刻めば、必ずベストパフォーマンスを発揮できるはずです」 ~

 
 公式戦の試合時間にあわせてトレーニングした経験を、多くの人はもっているのではないだろうか。こんどの共通テストは、例年以上にその比重が高くなるのは間違いない。
 多くの人の共通テスト会場となる東京電気大学や大東文化大学は、東武東上線の高坂駅から、さらにスクールバスに乗る。当然一度は高坂まで行ってみて、それにかかる時間まで含めて、日々の生活時間を設計していく必要がある。
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胆力

2020年12月12日 | 学年だよりなど
3学年だより「胆力」


 受験には「図太い」神経が必要だ。
 乗り慣れない電車に乗り、はじめて入る建物の、慣れない机で問題を解く。
 自分の机にだけ小さな疵があるかもしれないし、イスがガタガタ動くかもしれない。
 暖房が強すぎる場所になるかもしれないし、トイレの臭いが気になる席かもしれない。
 隣に座った受験生が、妙に落ち着かない奴だったり、やたら態度がデカかったり、筆圧が強くて机を揺らされたり、香水のきつい女子だったり、やたら鼻をすすっていたり……。
 地下鉄を乗り間違えて、開始時間ギリギリに到着することになるかもしれないし、急にお腹の具合が悪くなったのにトイレが見つからないかもしれない(不安な人は「ストッパ」を鞄に入れておくだけでも、ずいぶん違うだろう)。
 試験中、あと少しで解けそうというとき、試験監督の先生のくしゃみで集中がとぎれるようなこともないとはいえない。もちろん、それは自分の責任だ。
 『大学入学共通テスト受験案内』の「試験時間中の注意事項」には、こう書いてある。


~ 試験時間中に日常的な生活騒音等(監督者の巡視による足音・監督業務上必要な打合せなど,航空機・自動車・風雨・空調の音など,周囲の受験者の咳・くしゃみ・鼻をすする音など,携帯電話や時計等の短時間の鳴動,リスニングのイヤホンやヘッドホンからの音もれ,周囲の建物のチャイム音など)が発生した場合でも救済措置は行いません。(「受験案内」49頁) ~


 試験中、リスニングの時間まで含めて、予期しない騒音が起こっても「何ら救済措置を講ずるつもりはない」と入試センターは言う。
 受験に必要なメンタルは、強大な敵に立ち向かっていく勇気のようなものではない。
 想定外のことが起こっても、精神的にアウェイの現場に行っても、(外見では)平然といつもどおりのジョブを行う胆力だ。
 一ヶ月後の共通テスト。
 開始の合図で問題冊子を開くと、予想もしなかったタイプの問題が出題されている可能性が高い。
 試験そのものが変わることが宣言されている今年は、何が出てもおかしくはないから、文句は言えない。
 ふだん考えられないようなことが起きるのが「本番」だ。
 何があっても動じない人というのは、たぶんいない。
 動揺している状態のなかで、その時点での最善を冷静に探っているもう一つの心が必要だ。
 そういう図太さを「胆力」とよぶ。
 そんな心を作るための特効薬はない。
 毎日学校に来て、何があっても平然とやるべきことを積み上げていくことでしか作れないのだ。
 ほんの少し面倒なことをして、ほんの少しずつの負荷を自分にかけ続けることが最適の対策だ。
 極力、学校へ来る。図書館や公民館でもいい。マックやスタバで瞬間的に集中できる人は強い。
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語彙力

2020年12月09日 | 学年だよりなど
3学年だより「語彙力」


 壁にぶつかっている原因がはっきりしている場合も、実はあると感じている。
 みなさんがどれほど自覚的かはわからないが、最も多くの人にあてはまる原因は「たんなる語彙不足」ではないだろうか。現代文のでき具合いや、教室での英語の勉強ぶりをみていてそう思う。
 数学も、そもそも計算力不足という原因はないだろうか。
 語彙が足りないまま共通テストタイプの模試を解くだけの勉強に浸るのは危険だ。


~ なかなか語彙を定着させることができませんというメールが届きました。共通テストまでに基本的な語彙を完璧にしたいのにということです。土台になるのは「絶対に自分を伸ばすぞ」という気迫ですね。それがないと、いくら始めてもダラダラしてしまうものです。
 次に「ではいつまでに定着させるのか」という計画が必要となります。時間は常に有限ですからね。特に受験勉強の際は時間を切ります。常に「いつまでにその仕事を終わらせるのか」が必要ですよね。それがないと「自分なりに頑張ろう」という甘い気持ちが働きますからね。 (「短期間で英単語を覚えるには」キムタツブログ11月27日) ~


 『ユメタン①』1000語中の950語が入っていれば、共通テストは大丈夫と木村先生はおっしゃらる。みなさんの使っている単語集でいうと、どれくらいだろう。12月31日までにこのレベルを確認するには、一日100語ではペースが遅い。1年かける人のペースで勉強しても無意味だ。


~ まずは毎日500語に設定するとします。
 11月28日ユメタン① 001~500、11月29日ユメタン① 001~500
 11月30日ユメタン① 001~500…… (中略) 12月10日ユメタン① 001~500
 といった具合に、単語集を使って、毎日500語を音読します。
 そのうえで意味を確認します。無理に覚えるのではなく、反復回数を増やします。
 1語1秒としても、500語であれば500秒ですから、8分から9分しかかかりません。
 それぐらいの速度でひたすら音読をしていきます。意味の確認をしながら。
 それを毎日5セットほど繰り返します。
 そうすると単語の勉強を毎日40分ほどすることになります。    ~


 同様に、12月11日からのクールで、501~1000の500語を音読する。
 その次の第3クールでは、同じやり方で001~1000までの1000語を音読する。
 1語1秒で17分かかることになるが、17分ぐらいは集中して気迫で声を出し続けろと、木村先生は言う。短期間に語彙力を身に付けるには、反復回数の絶対量が必要だ。
 気合いが入っていれば、1年かけてじっくり身に付けるレベルを、この2週間、3週間で身に付けることは可能だ。英語力はあるが語彙が少ないという人はいない。国語も同じだ。
 時間は平等だ。何をやるか、どうやるかで時間の価値が変わる。まだ間に合う。
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「目に見える制度と見えない制度」(中村雄二郎)3 二段落後半

2020年12月08日 | 国語のお勉強(評論)
6 人間関係がいっそう複雑化し間接化する中で社会生活が合理的に円滑に運営されていくためには、その中にいるものとして私たちが、その社会関係を全体にわたって見渡すことができ、また調整したり統御したりすることができるように、〈 社会関係そのものが合理化され、客観的に示 〉されなければならないであろう。逆に言うならば、〈 社会関係を合理化し客観化すること 〉によって社会生活が円滑な安定したものになるのであり、自然物へのはたらきかけによって生み出されたさまざまのものも、私たち人間にとって役立つものとして使われることができるようになるのである。法律といい制度というのは、このように集団内部での人間相互の関係を合理化し客観化したものにほかならないであろう。

Q8「社会関係そのものが合理化され、客観的に示」すために作られたものは何か。
A8 法律や制度

Q9「社会関係を合理化し客観化すること」とあるが、何のためか。40字程度で抜き出せ。
A9 人間関係がいっそう複雑化し間接化する中で社会生活が合理的に円滑に運営されていくため

Q10「社会関係」が「合理化され、客観的に示され」るとは、何がどうなることか。
A10 社会を構成する人間同士の関係が、
   法律や制度という形で、誰もが全体像を把握でき調整・統御可能なものとして
   成立していること

  (例)婚姻関係  賃貸契約  流通システム

法律・制度
  ↓
社会関係の合理化・客観化
  ↓
社会生活……円滑化・安定化
自然から生まれたもの……人間に役立つもの
(近代社会の様相)
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ミセス・ノイズィ

2020年12月07日 | 演奏会・映画など
 ~ 母親として日々家事をこなし、小説家としても活動する吉岡真紀は、スランプに陥っていた。あるとき彼女は、隣人の若田美和子から嫌がらせを受けるようになる。真紀は美和子がわざと立てる騒音などでストレスがたまり、執筆が進まず家族ともぶつかってしまう。真紀は状況を変えようと、美和子と彼女からの嫌がらせを題材にした小説を書き始める。~

 これが「yahoo映画」で紹介されているあらすじ文。
 それぐらいの知識で観に行った。隣に座っている同僚から「おもしろそうだ」と聞いて、調べてみて上映館が少ないことと、上記のあらすじを知った。これがどうやったら面白くなっているのだろう、気になる女優さんが出ているわけでもないしなと思いながらも、ふらふらと日比谷ミッドタウンまで行ってしまったのは、どこか嗅覚が働いたのかもしれない。
 すばらしい作品だった。
 年末なので決定します。
 今年の邦画ベスト1はまちがいなくこの「ミセス・ノイズィ」だ。洋画は「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」。
 人間のものの見方とは、いかに表面的なものか、見たいものしか見てないかということを感じさせられた。
 人は、自分が見たかったことだけ見て、それが正しいとか、普通だと言う。
 言うばかりか、違う考えの他人を批判したり、バカにしたりさえする。
 何年か前、現実にあった「騒音おばさん」事件を題材にした作品だ。
 おそらくワイドショーでは「迷惑な変人」として報じられ、見ているわれわれも「あんな人が隣にいたらやだなあ、困ったもんだなあ」ぐらいの感覚で眉をひそめていただけなのではないか。
 彼女には、もしかしたら映画で描かれたような事情があったのかもしれない。
 あ、観る方がいるかもしれなので、これ以上は書かないことにしよう。
どたばた悲喜劇風に進んでいくのかと思いきや、視点が変わると、深い人間ドラマに様変わりする(書いてんじゃん)。
 ご近所付き合いだけでなく、いろんな人間関係が希薄になっている現代社会では、なんらかの事情を抱えた人の悲しさと、それに気づかずに一方的に断罪する人々が生まれる。
 その溝は、SNSが発達した今だからなおさら深いという洞察も感じさせながら、主張をおしつけるのではなく、高度な泣き笑いのエンタメ作品として訴えかけてくる。こんなに泣かされることになるとは予想もしてなかった。ぜひ、劇場へ!
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「目に見える制度と見えない制度」(中村雄二郎)2 二段落前半

2020年12月06日 | 国語のお勉強(評論)
3 そこでまず、交通法規や物権法など、一般に法律が、また制度がなぜあるのかということから考えてみる。言うまでもなく私たち人間は、単なる個人としてではなく、集団のうちで他人との関係において生きている。それも、初めに個々人がありそれらが集まって社会となるのでも、また、初めに社会がありその一部分として個人があるのでもない。集団あるいは社会といい個人というのは、私たち人間の在り方の二つの相であり側面であって、両者が結びついているところに現実の私たち人間の姿がある。もしも集団や社会のうちに個人が含まれているというならば、同時にまた、〈 個々人のうちにも社会は内面化されている 〉のである。

〈内面化〉
 社会学的観点:社会の価値や規範を自然に受け入れている状態。
 心理学的観点:自分の担う役割をそった行動や態度が自然にできる状態。

人間
 個人→社会・社会→個人
     ↑     ではなく
     ↓
 社会〈個人〉― 個人〈社会〉
          ∥
        社会の内面化

Q4「個々人のうちにも社会は内面化されている」とはどういうことか。40字以内で説明せよ。
A4 自分は社会の一員であるという意識が、個人のなかに自然に備わっているということ。


4 だが、この集団の中での他人との関係は、集団が大きくなり複雑になるにつれて、直接的ではなく間接的なものになるだろう。家族や友人仲間のような小さな集団では、通常とくにそれを律する規則がなくとも秩序が保たれる。しかし居住地の地域社会でも学術団体や政治団体でも、とにかくその成員の数が多くなると、どうしてもそこでの人間関係が間接的なものにならざるを得ない。けれども人間関係の間接化はそれだけに尽きない。もっと本質的なことがほかにある。すなわち、私たち人間は社会の中で集団生活を営みながら、〈 労働 〉によって周囲に存在する自然の物体にはたらきかけ、さまざまなものを作り出してきた。それは衣食住の必需品からそれを超えたいろいろな技術的製作物や文化的な諸施設にも及ぶ。そして、そのような活動は、〈 自然物に人間の刻印を押すこと 〉であり、自然物を人間化して自己の所有とすることであった。この場合、そのようにして作り出されたさまざまのものは、強く人間的な意味を帯びるだけではない。それ自身が私たちの社会生活にとって不可欠な部分となり、それらの仲立ちなしには社会生活が円滑に営めなくなるのである。

5 人間によって加工され、作り出され、所有されたさまざまなものを仲立ちにして社会生活が営まれるとき、私たち人間相互の関係は直接的なコミュニケーションではなくなって間接的なものになり、そこでどうしても『 意思の疎通を欠きやすくなる 』だろう。従来にはなかった争いごとがあれこれ起こることになるだろう。たとえば、自然のままの原野であったならばなんらの争いごとも起こりようがないところに、人々が開墾して農作物を作ったり牛馬を放牧したりして住みつくようになると、そしてまた土地の所有権を主張するようになると、そこに、所有地の境界をめぐって争いごとが起こるようになる。その所有者たちがその現地に住んでいる場合には、境界線がたえず確認できるから、まだいい。ところが、境界を接している二人の地主の一方が他の地方に移り住んでいるような場合には、意思の疎通がいっそう難しくなり、悪くなり、もめごともいっそう多くなるだろう。

〈 人間関係の間接化 〉

 ①集団が大きくなり複雑になる → 他人との関係は間接的なものになる
    +
 ②労働による自然の人間化、所有 → 物を仲立ちにする社会生活ゆえの間接化
    ↓
 人間関係の間接化 → 意志の疎通が難しくなる
  具 土地の所有権


Q5「労働」によって私たちが行っていることはどういうことか。20字以内で抜き出せ。
A5 自然物を人間化して自己の所有とすること

Q6「自然物に人間の刻印を押すこと」を端的に言い換えた漢字二字の語を抜き出せ。
A6 加工

Q7「意思の疎通を欠きやすくなる」のは、どういう状態のときか。25字で抜き出せ。
A7 さまざまなものを仲立ちにして社会生活が営まれるとき
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