水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

壁はジャンプ台

2020年12月05日 | 学年だよりなど
3学年だより「壁はジャンプ台」


 壁にぶつかった(と自分で思って)もがいている時、当人はつらい。
 つらいのは、逃げ出したいという気持ちに打ち勝とうとする自分がいるからだ。
 はなから壁を避けようとする人は、つらさを感じない。
 一定の努力を積んでいないと、壁がそこにあることにさえ気づけないからだ。
 壁の存在に気づいて、もがき苦しむことができるのは、ありがたいことではないか。


~ ところで、なぜ壁が現れるのだと思いますか? それは、
「今のあなたではもう限界が来ているから、あなた自身が変わりなさい」
ということなのです。壁にぶち当たるということは、今のあなたの実力では乗り越えられないということ。もっと勉強して知識を身につけるのか、トレーニングしてスキルアップするのか、たくさんの人に会って話を聞いて、経験を積むのか。
「なんとかして変わる努力をしなさい!」
 と教えてくれているのです。そこで、勉強し、スキルを身につけ、いい経験値を積むことで、次のステージに上がれるのです。
 するといつか、また新たな壁が出てきて.同じように何度も乗り越えていく。それを繰り返していくうちに、人として、営業マンとして成長していくことができる。
 そうなってくると、壁の出現を「歓迎」できるようになる。「チャンス」と思えるようになる。そしてついには、「壁がジャンプ台」に変わっていく。
 プロの世界では、現状維持は衰退と同じこと。壁にぶち当たって立ち止まった瞬間、落ちていくだけ。であるならば、むしろ壁を歓迎してチャンスと捉え、ジャンプ台にして高く飛んでいきましょう。
  (川村和義『ラーメンを気持ちよく食べていたらトップセールスになれた』WAVE出版) ~


 壁を乗り越えた経験のある人は、もがき苦しむ人の姿を、優しい目線で見守ることができる。
 乗り越えた人にとっては、何事かをなそうとするときに壁が現れるのは当然であり、逃げようとしても新たな別の壁が登場することはわかっている。
 一度壁をジャンプ台に変えられたなら、壁はそれ以降welcome!だ。


~ この世の中には4種類の人間しかいないと言われています。
  ①チャレンジしつづけている人
  ②チャレンジしている人をサポートしている人
  ③チャレンジしている人を眺めている人
  ④何もせずただの評論家になっている人            ~


 みなさんは、今まちがいなくチャレンジする人だ。
 チャレンジして、壁にぶつかって、成長のチャンスをものにしよう。
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「目に見える制度と見えない制度」(中村雄二郎)1 一段落

2020年12月03日 | 学年だよりなど
一段落(1・2) テーマの提示

1 健康な人間が普通とくにその体を意識しないように、法律や制度も私たちの社会生活が順調に行われているときには、私たちはほとんど〈 それら 〉を意識しない。法律や制度を私たちがそれとして強く意識するのは、たとえば自動車を運転していて交通法規に違反したり、不動産の売買がこじれていやおうなしに法律的に問題を解決しなければならなくなったりしたときである。ふだんはいわば透明で気にならなかった法律や制度が、〈 そういうとき 〉になると不透明な抵抗物となって私たちの前に現れてくる。知らないでは済まないもの、社会的な、さらには物理的な拘束力を持ったものとして現れてくる。そのように法律や制度が透明で気にならないものから独自の存在性を持った抵抗物へ、そしてさらに社会的・物理的な拘束力を持ったものへとなっていくその変化がよく見られるのは、たとえば交通違反をして警官に捕まったときである。

2 そのようなとき、もとは些細な信号や標識の無視であっても、交通法規の全体系に、さらには法秩序の全体に私たちは対立するわけである。こんなことを言うと大げさに聞こえるかもしれない。しかし仕組みそのものは、もっと過激な国法の侵犯の場合と変わりないのである。とにかく、気にならないいわば透明なものから無視しがたい不透明な抵抗物へ、さらに社会的・物理的な拘束力を持ったものへ、というこの変化は、社会規範や制度の中でも最も明確な法規が私たちの日常の行動とどのようにかかわっているかを示していると言えるだろう。しかし、それにしても、法律や制度は私たち人間に対して、なぜこのような〈 さまざまの姿 〉を示し得るのであろうか。それは、法律や制度の固有の存在のしかた、自然にある物や物質的な製作物とは違った存在のしかたによるのである。この点について少し詳しく見てみよう。


Q1「それら」とは何か。5字で抜き出せ。
A1 法律や制度

Q2「そういうとき」とはどういう時か、該当箇所を抜き出せ。
A2 自動車を運転していて交通法規に違反したり、不動産の売買がこじれていやおうなしに法律的に問題を解決しなければならなくなったりしたとき

Q3「さまざまの姿」を具体的に述べている部分を三つ抜き出せ。
A3 透明なもの 
   無視しがたい不透明な抵抗物
   社会的・物理的な拘束力を持ったもの


 体 無意識
     ↓ 病気
   意識

 法律・制度
   透明
    ↓ 問題
   抵抗物

法律や制度
 気にならない透明なもの
    ↓  
 無視しがたい不透明な抵抗物
    ↓ (具)交通違反
 社会的・物理的な拘束力を持ったもの   ↓
法秩序の全体に対立
    ∥
 固有の存在の仕方
   ↑
   ↓
 自然にある物や物質的な製作物
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森の入り口

2020年12月01日 | 学年だよりなど
  3学年だより「森の入り口」


 頑張ってるつもりだが、結果が出ない。思ったように成績が伸びない。もしかしたらこれが自分の限界なのかもしれない … 。
 そんな思いを抱いている人がいるなら、この言葉を贈りたい。
 「おめでとう!」 


~ 板鳥さんのつくる音が、ふっと脳裏を掠(かす)めた。初めて聴いたピアノの音。僕はそれを求めてここへきた。あれから少しも近づいてはいない。もしかしたら、これからもずっと近づくことはできないのかもしれない。初めて、怖いと思った。鬱蒼とした森へ足を踏み入れてしまった怖さだった。
「いったいどうしたら」
 僕が言いかけると、
「もしよかったら」
 板鳥さんがチューニングハンマーを差し出した。チューニングピンを締めたり緩めたりするときに使うハンマーだ。
「これ、使ってみませんか」
 差し出されたまま柄を握った。持ってみると、ずしりと重いのに手にひたっとなじんだ。
「お祝いです」                  (宮下奈都『羊と鋼の森』文春文庫) ~


 高校卒業後、専門学校でピアノの調律を学んだ外村は、楽器店に勤めながら調律の修行を続けている。はじめて大きな失敗をしたとき、あこがれの先輩である板鳥が声をかけてくれた。
 お祝い? 「僕(外村)」は訝る。自分の人生最悪の日とも感じていた今、どういうことだろう?
「ハンマー要りませんか?」と問われて、思わず「要ります!」と答えていた。
 失敗してやりきれなくて、深い森に迷い込んだ気分だった自分だが、決して調律をやめたいとか、絶望したというわけではない。
 自分の選んだ道だ、引き返すつもりはないと気づいた。
 使いやすいからどうぞとハンマーを差し出す板鳥さんに、「何のお祝いですか」と尋ねる。
「なんとなく、外村くんの顔を見ていたらね。きっとここから始まるんですよ。お祝いしてもいいでしょう」
 ここから始まる――。そうか、いま自分はやっとスタートラインに立てたということか。
 調律の技術は一通り身に付けたつもりでいた。
 しかし、自分のめざす音に近づけている気が全くしないもどかしさを抱いていた。
「いったいどうしたら」と思わず口にした瞬間、ここから始まると板鳥さんは教えてくれたのだ。
 努力しても結果が出ないとき、人は「壁」にぶつかったとそれを表現する。
 努力を積み重ねたからこそ、自分の持つ能力がどれほどのものかを知ることができる。
 そんな時、自分の力はこんなものだろうと、潔く「分をわきまえる」手もある。
 やっと、自分の本当に気づき、スタートラインに立てたと「奮い立つ」手もある。
 「ふつうの人はへとへとになってトレーニングが終わりだけど、ぼくらはそこがスタートなんですよ」と、その昔ジャイアント馬場も語っていた。
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