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オンライン講演 AIとゲームから人間を考えてみる
東工大教授の人工知能(AI)についての講演をオンラインで視聴。AIについては、どこまで開発が進んでいるのか、どうやって使っていけば良いのか、開発に規制をかけることの是非など、知りたいことがいっぱいあるが、本講演を聞いてそれを考える様々な情報や知見を得ることができて、面白くてためになる内容だった。お話は人工知能を開発した科学者達はそもそも何をしたかったのかという疑問から始まる。オックスフォード大辞典によれば「人工知能」という言葉が初めて使われたのは1955年のダートマス会議という場だったそうで、その時の文章を見るとその定義は曖昧、「学習あるいは知能の特徴を真似する」機能を人間の行動に当てはめたメタファーとして使われていて、要は「知能っぽいと思っていることを機械にやらせてみたい」という意味合いだったとのこと。そして、その根底にあるのが、13世紀のラモン・リュイの「学問の樹」や、ライプニッツの「無数の概念を網羅的に組み合わせること」「推論を機械的に処理することによって感情論でない結論を導き出す」などの考え方だったと続く。さらに20世紀に入って、アラン・チューニングが「知能機械」という概念で、記号の機械的な組み合わせを網羅することで思考の自動処理を行う機械を提唱、人間のような身体性のない機械、外部との接触がない機械でも、目、口、耳、脳などを代替する機械、ゲーム、翻訳などの機械はできるだろうと考える。講義では、機械でもできるとされたゲームについての話になったが、残念なことにこの辺りで時間切れ。この講義は単発のようだが是非シリーズ化してほしいと感じた。
以下は、講義後の聴講者からの質問に対する講師の答え。これがまた非常に面白かった。
①AIは感情を持ちうるか
→「感情」は生得的か習得的かまだ結論がでていないし、歴史的にも変化している。変化は学習できるかもしれない。
②AIは人間を超えるか
→何を物差しにするかで違う。
③AIに対する規制の是非
→人間はAIの答えを鵜呑みにする可能性がある。政策決定や医療行為など深刻な事柄については何らかのルールが必要か
以下は、講義後の聴講者からの質問に対する講師の答え。これがまた非常に面白かった。
①AIは感情を持ちうるか
→「感情」は生得的か習得的かまだ結論がでていないし、歴史的にも変化している。変化は学習できるかもしれない。
②AIは人間を超えるか
→何を物差しにするかで違う。
③AIに対する規制の是非
→人間はAIの答えを鵜呑みにする可能性がある。政策決定や医療行為など深刻な事柄については何らかのルールが必要か
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