元安芸広島藩主の浅野侯は、初めて天皇のお目見えをたまわった時、「なんだ天皇というのは将軍より偉くないのか」と思ったそうです。何故かと云うと、「見てもよかったから」でした。参勤交代の後、三百諸侯はそれぞれの格式の部屋に詰め、頭を畳に押し付け、決して将軍の顔を拝めなかった大名の台詞でした。見れないことの畏れがそこにはありました。
ところが近代国家は、君主に傅く者たちは何百万、何千万という国民です。彼らには、目に見える畏れが必要です。明治以後の天皇制は「御真影」を各学校などに下付して、儀式の中で見える畏れを造りました。いわば儀式の中では、≪写真≫が実際の天皇のように扱われる訳です。戦前の教育界においては、「御真影」をいかにして守るかが重要な責任となりました。
戦前、小説家久米正雄の父親は学校の火事で焼失した「御真影」の責任を取って自殺しましたが、その後、「御真影」を火事の中から救おうとして、多くの学校長が命を絶った。ここに見えるものの畏れがあります。
いま、テレビや映像で見えている政治家がいても、それは、ただ口をパクパク動かしているが、実は、中身は何も語っていない映像を見ても、何も感じないで、ただ漠然と見ている人々の恐ろしさがあります。
【参考文献】浅田次郎『日本の「運命」について語ろう』幻冬舎・多木浩二『天皇の肖像』岩波新書
路傍の石にしては大きすぎるかな。