現役の時は忙しくて、本を読むにも効率性を重視した。今でも目次を見てから、一番知りたいところから読む癖がある。
この『開戦神話』は著者の論文を読んでいたので、その該当の個所から読んだので、読了日を記入した後に、幼少期の体験部分を読んでいなかったことに気づき、急いで読み直したら、結構おもしろいことを見つけた。
真珠湾奇襲攻撃の、いわゆる「だまし討ち」というルーズベルトの罵りに対する、日本側は、大使館職員の遅いタイプ打ちによる事務的ミスによる「宣戦布告」の遅れと弁明してきた。
著者の井口武夫は、その当時の日本大使館の井口貞夫の息子なのである。それを前提として、此の本を読んできたのだが、幼児期の体験の章は大使館の外交官の子供たちのことが書かれている。
其処には、あの『天皇独白録』の寺崎英成の娘マリコとの交流の話も出てきた。
井口武夫は1930年生まれ、マリコは1932年生まれで、真珠湾攻撃をラジオで聞いた時は11歳と9歳であった訳である。
武夫少年は直ぐにマリコに電話したら、既にマリコは父親から外出しないようにとの電話が入っていた。少し経って、武夫の家にも、大使館にいる父の井口貞夫から一切外出するなという電話が入ったことが書かれていた。
1958年、マリコの母親がアメリカに戻って書いた『太陽にかける橋』にも、ちょっと違うがその開戦の時の事が出てくる。二つの本を突合すると俄然おもしろみが出てきた。
当時の10歳前後の子供たちが共有した数奇な体験のシーンや日米開戦の日の夫々の外交官の家庭で起きたことが、二冊の本で偶然に確認できる。それだけでも、本を読む楽しみが増す。
ネットで調べたら、マリコは2016年に既に他界していた。
それで2017年に「天皇独白録」の原文がオークションに出され、高須クリニックに落とされ、国へ寄贈されたという流れが腑に落ちた。
マリコが生きていれば、原文は父親の筆跡なのだから、まだ大切に所持していただろうと思う。
【 次回へ続く 】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます