聞く振り、やる振り、説明する振り、全部振りだけの舞踊のような空っぽの政権。この空虚さは民主党から交替したアベ自民体制以降の世襲政権のもつ属性かもしれない。
いや、よくよく考えると、議員や大臣の黒子である官僚がいろんな言葉で情報公開(という名の隠蔽)の限界点を確かめているのではないか。
昔々は「遺憾」はあったが、「懸念」は無かった。法令違反や違法性が「コンプライアンス」に変わった。
言葉を難しくしたり、古い言葉を使ったり、無理やり横文字にしてみたり、要は本質をずらすのである。それが昨今の官僚の行政行為ならぬ東大用語の幻惑行為でもある。
窮すれば、切り札とばかり「答弁を差し控えます」との丁寧語で「お上のダンマリ」が許されるようにマスコミを手懐けた。
議員は官僚原稿を読む生気のない無能な自分の顔を見た事があるのだろうか。
圀がやれば、民間も倣う。ビッグモーターも日大も同じような答弁をする。林真理子さんもすっかりウーマン度を下げてしまった。
(普通に「女」と言うとハラスメントが待ち受けているようで、庶民も「言葉替え」という安全弁を使わざるを得ない。難しい世の中、…。)
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