振り返ると、実に奇妙なことであった。昨年の自民党総裁選挙で、およそ一国の首相として相応しくない一人の女性候補があそこまで善戦するとは思わなかった。
男気の河野太郎が議員票では彼女に及ばなかった。そのバックに安倍氏が居たのであるが、あの業突く張りで自尊心の塊の国会議員たちが安倍氏の一声で一斉に票が動いたことが全く解せなかった。この時に実に危うい怖い政党だと思った。
客観的に視れば、一つの欲望の塊のような動きをする政党だとも思った。しかし、その不可解さは、2発目の銃撃で彼の命が奪われたと同時に、この欲望の党の片腹に穴がポッカリ開いて、其処から中が少し覗けるようになってきた。
彼が志半ばにして斃れて、僅か三日後にブリンケン国務長官が横田基地を経て、キシダ首相に弔意を示した。何と迅速で丁重な弔意で、まるで植民地の宗主国のようではないか。
彼が何を言いに来たのか、あるいは事務引継ぎに来たのか、分からない。この時に欲望の党は、アメリカの一つの機関ではないかと思うようになった。
一人の王が消えたからだろうか、もう忘れかけた昨年のコロナ禍のオリンピックのことが急に東京地検特捜部(東京地方検察庁特別捜査部)によって掘り返されていく。ちなみにこの特捜部の前身はGHQが設置した「隠匿退蔵物資捜査部」である。(孫崎享『戦後史の正体』創元社)
マスコミでは「清和会」の代議士は捕まらないという言説が今更に流布される。だから王様は捕まらなかったのかもしれない。
段々戦後の見たくない歴史の欠片が曝されてくる。此の國は歴史を嫌でも学び直さなければなるまい。
戦争は8月15日に終わったのではなく、9月2日に敗戦を認めたという歴史から紐解いて行かないと何も見えてこなくなる。
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