二〇一七年の見たくない顔、衆院選挙後の安倍と相撲協会の池坊。二人とも共通するのは、強く言えば道理が引っ込むと思い込んでいることだ。毎日テレビで彼らの顔を見せられ、気分が悪くなることが続いた。
そういえば、もう一人いた。パンダの誕生騒ぎにさっそうと現れた希望の党の小池元党首は、実は相当に右翼だった。それなら、安倍の方がましだということになる。
偽りの政治家、いや、勝手にまわりが清廉だと偶像化してしまったのだ。中身は権謀術数の旧い政治屋だった。
確かに風に流されやすい国民性だが、どうも最近はメディアに巧妙に引きずられている気がする。彼らは二〇一八年も同じ人間だろう。これ以上、地上波テレビで見たくない顔が増えないことを願うのみである。
宝永四(1707)年富士山の噴火、この時江戸でも30㎝の火山灰が降った。翌五年にはさらに宝永山も噴火した。この地鵠沼村も大量の灰が降り、田畑の半分が潰れた。この供養塔は宝永六年とある。
為政者はこうした惨状にあっても「言わず、聞かざる、見ざる」を民衆に強いたのか。どうも支配者という者はそういうものらしい、…。いつの世も。
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