皇室典範の改正について
現在の皇室典範には
・皇族の範囲
・皇族の結婚の規定
・皇族の臣籍降下の規定
・皇族の義務と権利
・皇族に対する罰則規定
などが一切記されていません。
皇統は男系男子によって継がれる
天皇の子・孫・曾孫・・・直系優先
皇族は皇室会議を経て臣籍降下出来る
天皇は退位出来ない
皇位は天皇が崩じた時に継承
皇族女子は婚姻と共に臣籍降下
皇籍から離れた元皇族は身分を復する事ができない
天皇が成年に達しない時、あるいは国事行為が出来ない時は摂政を置く
現上皇はあっさり「退位出来ない」を破ってしまったので、今や皇室典範などあってなきがごとしと言えるでしょう。
そもそも「一世一元制」が施行された背景には、江戸時代までに何度も改元があって複雑化、なので明治になり一人の天皇に対し元号は一つとなったわけです。
また、「上皇」の存在は、過去の歴史から見ると「二重権威」の存在で天皇VS上皇の権力争いに発展しかねないから、退位は出来ない筈なのです。
上皇がどうしても国事行為が出来ないというなら皇太子を「摂政」にすれば典範通りだったわけです。
しかし、上皇は「摂政」を嫌がった。
その背景には、大正天皇の頃、病弱な天皇に代わり政府は皇太子を「摂政宮」として公務に当たらせました。その事に対し、大正天皇の后である貞明皇后が不快な思いをしたことが根底にあると思っています。
昭和天皇を否定することで存在意義を示してきた上皇が、素直に「摂政」を認めたら父に負けるとでも思ったのでしょうか。「摂政ではダメなんだ」と言い切ったようです。
じゃあ、昭和天皇が老齢に達していた頃はどうだったかというと、昭和天皇は戦後、全国行幸して以来、皇居においでになり、国事行為など以外は那須で植物の研究に打ち込んでいらした。海外もアメリカに一度行ったきりです。
その代わり、「代行」として皇太子夫妻が日本中、世界中を回っていたわけですね。
自分が前面に出るのはいいけど、潔く引っ込むことが出来ないというのが上皇で、結果的に今、天皇は何かあれば仙洞御所に挨拶に行く、つまり立派な「二重権威」になっているのです。
しかし、天皇や宮内庁はそれに気づいていません。
もしかすると、今上はまだ皇太子のつもりかもしれませんが。
ゆえに秋篠宮も皇太弟ではなく「皇嗣」などというおかしな称号を貰い、内廷外皇族のままにおかれました。
今の皇室は「皇位継承者」への敬意を欠いています。
本来であれば、皇太弟の秋篠宮家は東宮御所に居を据えて、内廷皇族として眞子様達は「〇〇宮」という称号を受ける筈です。
男系男子が2人もいる宮家が他の宮家と同等に扱われることがおかしいのです。
話がそれましたが、そのようなわけで、現在の皇室典範は天皇の「意思」によっていくらでも変更可能な脆弱な存在である事は確かです。
さらに、天皇の義務についての条項はあっても、皇后及び皇族の「義務」と「権利」についての条項はありません。
特に皇后が日本赤十字の名誉総裁であったり、養蚕をしたりというのは明治以降の慣例でしかなく、理由もなく止める事も出来るし、やらないでいる事も出来る。
皇室会議が招集される事も滅多になく、皇族の配偶者に関する規定もなければ、皇族が何か悪い事をした時の罰則すらない。これはかなり異常です。
イギリスのように、ヨーク公のスキャンダル公にされ、特権がはく奪されたり、サセックス公爵のように王族扱いもされなくなるというような自浄作用もない為、今の皇室は「本人の倫理観」に頼っている。これは大きな問題です。
皇室典範は、明治22年に正式発布されるまで2年以上、時間をかけて作られました。
その指揮をとったのは伊藤博文でしたが、その当時から「女帝を認めるべきか」「女系はどうなのか」などと様々な事を調べたのです。
なぜかと言えば、伊藤を始めとする新政府の面々は本来は皇室とは縁遠い出身であり、皇室とはどういうものかよくわかってなかったと思います。
皇族が減り、ご自分一人が皇位継承者だった明治天皇と、皇族を増やし過ぎず減らし過ぎず天皇の考えとすり合わせて様々な事が決められました。
その結果「皇位は男系男子が継ぐ」と決められ、最初は維新に貢献した法親王達を還俗させて宮家を作る事を許可し、そこから内親王と婚姻する事で枝葉の宮家が出来・・
けれど、最終的には「養子をとってはいけない。後継ぎのいない宮家は廃絶」という事になり、有栖川宮家は廃絶し、高松宮が祭祀を継承する事になりました。
最初は永世皇族制をとっていたけど、枝葉の皇族は「2世皇族」に処し5世までで臣籍降下する運命になりました。
最終的に
宮家の長子は後継ぎ、2番目以降は華族
皇族男子の婚姻は皇族・5摂家・大名華族から
皇族女子は外国人と婚姻してはならない
と決められ、慣習として「皇族・華族男子は軍に入ること」が定められ、皇族女子は嫁ぐ事で血の継承を求められましたし、また福祉や赤十字分野での活動も求められました。
戦後の皇室典範に欠けている所はそこで
「すべきもの」の規定を定めるべき
男子であれ女子であれ、宮中祭祀や天皇の補佐などの規定を設けるべき
例えば、令和になって天皇皇后は正月に歌を詠む事をやめてしまいました。
そのような「しきたり」をどのようにして守るか、守る気のない人に対してどのような罰則を与えるか、そういう細かい部分を「補足」として付け加えるべきと考えます。
また天皇皇后及び皇族の健康状態についてつぶさに国民に報告しなければならない。
「してはいけないこと」の規定を定めるべき
例えばですが国民を欺いてはいけない、騙してはいけない、脅してはいけない等々の規定を作ることで、一方の民間に対しても「皇族を憶測で貶めてはならない」などの要求が出来るようになるのではないでしょうか。
女性天皇を認めるとか認めないとか言う前に、目の前の皇室が明らかに典範を無視した動きをした事、それを許してしまった政府と宮内庁と御当人たちに責任を問うべきと考えます。