ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

年の瀬まで週刊誌に書かれた東宮家

2011-12-28 07:10:00 | 皇室報道

今年の週刊誌の終わりを飾るのは「金正日」の死と皇太子妃に関することでした。

今週、朝日・文春・新潮・フライデー・アエラと書かれたようです。

朝日・・・元宮内庁職員による座談会

文春・・・愛子内親王の不登校事件をおさらい。「乱暴男子って本当にいたんでしょうか」

    という職員の言葉。以後、両陛下と夫妻の途絶。そしてクリスマス・イブは

    小和田家の妹宅で5時間以上のパーティ。

アエラ・・・小和田恒氏が79歳にも関わらず国際司法裁判所判事に再選。88歳まで

      現役を続けて雅子妃の後ろ盾になる。

フライデー・・・眞子・佳子両内親王の近況

 

私が手に入れたのは新潮で。

 雅子さまに御された「東宮」のラスプーチン 

 

 2004年から雅子妃の主治医を務めているのは大野裕氏。 

   国立精神・新家英医療研究センター勤務。

 宮内庁病院と折り合いが悪かった雅子妃にとって大野医師は部外に

   ありながら唯一無二の精神的支え。彼はゆるぎない地位を確立。

 大野医師は度々携帯電話で雅子妃と直接会話をする事で治療。

   東宮侍医らは大野氏の指示を仰がなくてはならず、公務の出欠可否も

   先生の裁量に。

 大野医師は、主治医でありながら一度も会見を開いた事がない程情報遮断を

   貫き、東宮侍医団や金沢医務主管の耳にも病状が届かないほど。

 金沢医師いわく

  「妃殿下は自分の情報が外部に漏れる事を極端に嫌う。特に両陛下の耳に

  入ることが嫌だ。ゆえに大野医師も自分を避ける。自分を両陛下の手先と考え

  ている」

 皇太子の人格否定発言後、詳しい説明を求めた宮内庁に対して雅子妃は

  説明を拒否。林田東宮大夫に「それなら皇太子妃をやめます」と発言。

  実はこのとき、隣には皇太子がいて雅子妃は

  「はっきり申し上げておきました」と笑って言った。

 大野医師は雅子妃の(感情の波)を受け入れる事には成功したが、

  「好きなことだけやればいい」とアドバイス。

  以後、用事があるたびに雅子妃から呼び出され、診療プランが立てられず。

 雅子妃と大野医師の関係悪化の原因は2009年の「医師団見解」

  これを具体的な病状に踏み込んだものにしようとした大野医師に雅子妃が激怒。

  それからは「ご機嫌うかがい」の主客転倒状態に。

 「ティスチミア症候群」の片鱗は以前から。

  雅子妃、懐妊数年前、地方公務での「県政事情聴取」・・産業や過疎化に関する

  話を聞き、食事を共にする公務があったが、雅子妃は

  「ああいう集まりはもう二度と出席したいと思いません」と発言。

  理由は「自分の暮らしと直接関係がないから

 「他罰的感情の集大成」が愛子内親王の付添い。

  これは学習院への強烈な「あてこすり」

  「娘にあれだけのこと(いじめ事件?)をしておいてどうするのかという抗議の

   意がこめられている。妃としてはどうしても学習院に非を認めさせたい」

 妃は現在「両陛下に会う事がストレス」状態。

  大野医師はラスプーチンならよかった。雅子妃に御されて追従者となった今

  「神通力」など望めないし、治療しない病気は周囲を飲み込んで

  悲劇を生みつつある

 

 いやはやすごい記事ですね。

  学習院付き添いが「いやがらせ」とはネット上では言われておりましたが、

  文章で書かれるとインパクトは強い

  大野医師とは2009年以降、一旦離れていたそうですが最近また復活。

  それでも彼に記者会見を開かせる事が出来ないのってどうしてなんでしょう?

 一部に、大野医師が雅子妃に追従するメリットとして

  「妃殿下にくっついていれば逮捕されない」というのがあるといわれていました。

  北朝鮮がらみで疑惑が発覚。今も払拭されてはいないのよね

 彼から言葉を引き出すには、彼が勤務しているセンターや彼の出身大学からの

  圧力が一番いいかもしれません。

  あるいは宮内庁長官からの直接的な呼び出しでもいいと思います。

  それでもダメなら国会しかないよね。

 12月27日、雅子妃は両陛下主催の午餐会に出席。

  毎年の事ですが旧皇族らを招いてのもの。本当は皇太子単独予定だったものの

  「体調を勘案し」ドタ出

  「未定」のドタ出を来年も続けるつもりなんでしょうか?

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皇室総括

2011-12-28 07:00:00 | 皇室報道

 色々な事のあった1年でしたが、皇室に関して例年以上に騒がれた年でもあり

問題提起された年でもあり、そして雅子妃問題が大きくなった年でもありました。

「雅子妃問題」を調べ始めてからかれこれ5年以上経ちますが、ここまで世間の空気が

変わるとは 夢のようです。

主で場「ディズニーランド貸切状態」で疑問を持ち、オランダ静養に怒り、夏の長すぎる

お遊びと春スキーに怒りを通り越してあきれ果て・・・批判すれども報道されず、ブログには

あらしがやってくる始末 よく耐えたなあ・・・(涙)

 皇太子の誕生日会見

「今時の若者は内向き」とか言い出して「なんじゃ?」と思ったものですが、小和田氏が

今月帰国して大学で講義したないようがこれとそっくりだったようで、もしかして皇太子の

誕生日会見文書は小和田家が書いている?

 皇太子夫妻、イギリス行き決定に唖然・・・・

身位から言えば格下の王族の結婚式に何が何でも「行く」と画策し、イギリス側に

両陛下へ招待状をださせ、結果的に「陛下が行けないので代わりに」という形で

行く事に 

しかも、その際、愛子内親王を同伴するのではないかとか、雅子妃は公式行事には

一切出席せず内輪でお祝いしてあとは「静養・観光」になるとか・・・

この恐ろしい企みに国民は怒り、「チラシ撒き」作戦を実施

何とか「雅子妃がお可哀想なのは嘘」という認識を一般の人にも持って貰いたいと

思ったようですね。

もし、皇太子夫妻がイギリスへ行ったら日本の恥をさらすことになる・・・何とか阻止

する事は出来ないだろうか。本当にイギリスへ行ったら増長した夫妻が今度は

何を要求するかわからない・・・と思われた頃、大震災が起きたのでした。

 天皇陛下の玉音放送と被災地訪問

それまでもあれやこれやが吹っ飛ぶような出来事が起こり、16日。天皇陛下が

ビデオで国民に呼びかけられました。

これは「戦後の玉音放送」と呼ばれ、多くの国民に皇室の存在を印象付けました。

その後、両陛下は7週連続で被災地を訪問。秋篠宮夫妻も同様に訪問、または

ボランティア活動などを行いました。

皇太子夫妻の被災地訪問は3回。テレビの「上げ」報道の裏で週刊誌に叩かれ

はじめました。

 皇太子夫妻の3週間もの夏休み

東宮家では震災一ヵ月後の4月11日、東宮御所で丸一日かけた「お楽しみ会」

を開催。物資不足が深刻な中、愛子内親王と学友、そして夫妻は飲んだり食べたり

しながた過ごしたのでした。

夏休みは丸3週間那須に引きこもり、あちこちを貸しきって楽しみ、宴会は常に

午後11時すぎまで この頃、皇太子の公務は週1ペース。それも会釈や

接見のみ。それでは・・というので無理やり「聴講」「鑑賞」公務も。

 山中湖事件

すでに雅子妃の学習院付き添いは1年を超え、それも一日中教室で見張る、

貴賓室を選挙してい続ける・・というような異様な雰囲気になっていました。

皇太子も授業参観や朝練習に付き添うなど、雅子妃と思想を同じにして行動。

夏頃からそれが疑問視しはじめられていた所に「山中湖事件」が発覚

娘の校外学習に雅子妃は警備車両10台で全部付添い、マウント富士の

インペリアルスイートに宿泊し3000万円使ったといわれています。

その後、運動会の席取りに侍従を並ばせ、自ら父兄を監視しつつ皇太子はカメラで

自由に撮影。これが学習院父兄の怒りの導火線に火をつける結果に。

 愛子内親王入院事件

11月1日。3日が悠仁親王の着袴の儀だったいも関わらず葉山に静養をもくろんで

いた皇太子一家。しかし、1日に突如愛子内親王が東大病院に入院。

貴賓室があるフロアを全面貸し切って雅子妃も宿泊。4泊5日、東宮御所に

戻らず。公式には「マイコプラズマ疑い」と発表されましたが、本当に入院が必要

だったかどうかは不明。雅子妃の「プチ家出」とも。

本当は8日までいる予定が、6日に天皇陛下が(こちらは本当に肺炎)入院する

ので追い出され、そのあてつけか14日の校外学習も欠席させるすごさ。

さらにあてつけは一度も陛下のお見舞いに行かなかったこと。

 眞子内親王の成年の儀、悠仁親王の着袴の儀

10月23日、眞子内親王が20歳を迎え、成年の儀に。重々しくも華麗なドレスと

素晴らしく豪華なティアラを披露され、若き成年皇族誕生に大きな希望を見出しました。

眞子様は最初の公務でブータン国王の晩餐会や天皇誕生日の行事に参加。

鴨場接待も経験し、着実に歩んでいます。

悠仁親王は11月3日に着袴の儀に臨まれました。秋篠宮以来の着袴の儀。

本当に装束がよくお似合いで、しかもほがらか。小さな光源氏の登場に海外も

驚嘆。記者団に「ありがとうございます」「ごきげんよう」とご挨拶。愛くるしい皇子の

行く末を守る事が皇族の使命だろうと思いました。

 天皇陛下のご入院

2月に心臓がちょっと悪くて検査をされ、その直後に大震災。

被災地を日帰りで移動されるお姿に国民は感動しつつも心配しました。

被災地訪問を終えても地方公務はおやめにならず、その無理がたたったのか

「マイコプラズマ肺炎」でご入院。

当初は1週間くらいかとおもいきや、おもいもかけず3週間も。

その間、公務を代行した皇太子はお召し列車からカメラ片手にお手振りや、ポケットに

手をいれたまま話を聞くなどの失態を演じ、しかも陛下への見舞いが遅れて

批判の対象に。

陛下の退院後は早々に代行を解除されるというお粗末さ

 

山中湖事件以来「離婚」が取りざたされるようになった皇太子夫妻。

そして「女性宮家」の創設を考え始めた政府。

その背景には18年にも及ぶ「小和田雅子・外務省左翼一派」と「皇室」の

激しい戦いが透けて見えます。

もはや雅子妃に取り込まれ一部となっている皇太子ではありますが、最近は

そうでもない?離れたがっている?という雰囲気も(もはや遅いけど)

秋篠宮家がクローズアップさっれればされるほど、意地でも現状維持か?

雅子妃側としては夫である皇太子があまり役に立たず、世論が背を向け始めた

事に焦っているように見えます。

その分、愛子内親王を盾にして女性宮家を成立させ「女帝擁立「女帝の母」

の立場を得ようと最後の攻防戦を始めるようですね。

民主党・小和田恒氏、某学会勢力VS保守派の戦いが来年も続くという事。

それでも2012年はだらだらとはいかないんじゃないかと

何とか「離婚」「廃太子」ですっきりとした皇室を取り戻して欲しい。

そして気の毒な愛子内親王は身の丈にあった教育を施されますように。

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