キク君が亡くなった。
御年92歳であった。
その日はノリノミヤの婚約発表がある筈の日で、本来なら慶事にわきたつ筈だったのだが。
皇后は複雑な思いでその死を受け止めた。
結婚の時に反対された事。名門、トクガワ家一門にしてアリスガワノミヤ家の血を引く
正真正銘の「御姫様」であった。
その誇りは誰よりも高く、民間出身の皇太子妃を迎えても決して揺らぐ事はなかった。
皇太后・セツ君、そしてキク君と3人が亡くなり、「時代の終焉」。
あの頃、本当に立ち居振る舞いの一つ一つについてため息をつかれたり、お小言を頂戴したり
若い身には辛い事ばかりだった。
皇太后の味方と思えば、どんな忠告も素直に聞く事が出来ず、無視した事もあった。
それでも、こまめに誕生日に花を贈るなどしているうちに、次第に心を開き
子供達をとても可愛がってくれた。
お子に恵まれなかった宮妃に対して、一種の優越感を覚えた事だってある。
誰よりもノリノミヤの結婚を望みながら、花嫁姿を見せてあげられなかった。
婚約発表の日に亡くなるなど、宮妃の最後の「恨み節」だったのか。
ノリノミヤの嘆きは大きかった。
「大叔母様・・・もう一度お目にかかりたかった」と人目もはばからずに泣く。
「私ね、ヨシキさんと結婚するのよ。幸せになるの。その姿を大叔母様に見て頂きたかった」
そのあまりの嘆きように皇后は言葉も出ない。
娘程悲しむ事が出来ない自分の心から目をそむけてしまいたくなった。
4日後、皇太子夫妻が宮妃の死についてコメントを発表。
「結婚以来、大変温かくしていただいたので、ことのほか残念に思っています」
「内親王を妃殿下に紹介する機会がなかったことを心苦しく思っております」
東宮大夫は、ほぼ棒読みでそれを読みながら、胸の内は静かな怒りの炎を燃やしていた。
ノリノミヤに至っては「ひどいわ。紹介する機会がなかったのではなく、
会わせなかったんじゃないの。大叔母様はどんなにかトシノミヤに会いたがっていたのよ。
トシノミヤが生まれた時だって、
めでたさを何にたとへむ八年(やとせ)へて この喜びにいましあふとは
と歌をお詠みになったくらいだもの。それなのに勝手に逆恨みして・・・・」
「サーヤ」
皇后は娘をたしなめた。
「皇女らしくない言葉はおやめなさい。私達はいつだって他人を非難してはいけないの」
「でも」
と珍しくノリノミヤは反論した。
「トシノミヤが生まれてから2年だわ。会わせる機会はいつだってあったわ」
皇后はそれに対して答える事が出来なかった。
「一姫二太郎」という言葉の解釈を間違えた皇太子妃。間違えたというより
「プレッシャー」と受け取ってしまったのだ。
あのおりの妃の精神状態からすれば無理からぬことだったのだ。
無理にそう思おうとしている自分がいる。
傷つく・・・・人がどんな気持ちで何を言おうと傷つく時は傷つく。
人はそれを「被害妄想」だというけれど、皇后はそんな風にばさっりと切り捨てる
事は出来なかった。
婚約記者会見はまたも延期になった。
今回は皇后も本当にがっかりした。
当の宮は「暫くそんな気になれないわ」と言い、ヨシキは「それならそれで」と言う。
全く・・・・なぜ皇女の婚約がここまで延期になるのだろうか。
結果的に年末になったのだが、その数日前、
「有識者会議」が立ち上がり、本格的に女帝の検討に入った。
総理大臣は女系と男系の違いもよくわからないような人物で、ゆえに
「アイコさまでいいじゃない」と軽くいい、今まで検討はしても実現しなかった
「女帝擁立」への動きを本格化させた。
まるで宮の婚約を待っていたかのように。
そしてインド洋で、大きな地震と津波が起こり、多くの人々が亡くなった。
「やっぱり延期を・・・・」
またも宮がそんな事を言い出したので、今回ばかりは宮内庁がストップをかける。
「これ以上は延ばせません。一々延期していたら宮様は永遠に結婚出来ないかもしれません」
「その通り。クロダ家の事もお考えになって下さい。マスコミが発表した以上
クロダ家への取材も増えています。あまり長くお待たせすると精神的な負担が増します」
そこまで言われては宮も納得せざるを得なかった。
というか、ここで初めてヨシキの気持ちを思いやらなかった自分に気づき、宮は深く反省したのだった。
「ごめんなさい。本当にごめんなさいね。ヨシキさんのお気持ちも考えず」
真冬のアキシノノミヤ邸の冬枯れした風景の中、暖色で彩られたリビングで
ノリノミヤは深く頭を下げた。
ヨシキは恐縮し「いやいや。宮様の気持ちはわかります。いつまででも待つつもりでした」
「あら、それでは歳をとってしまってよ」とキコがお茶を出しながら言う。
「共白髪もいいかなと。いつまでも新鮮で。宮様方のように」
「お世辞をおっしゃっても何も出ませんよ」とキコは笑った。
「私達、お姉さま達のような夫婦になりたいわね。いつも穏やかに笑っていられるような」
漸く宮も笑った。
「そうですね。宮様ご夫婦は本当に幸せそうで羨ましい」
「隣の芝は青く見えるのよ。私達だって何度喧嘩をしたかしれやしないわ」
キコはあっさりと言う。
「お兄様は短気でいらっしゃるし、人をからかう癖がおありよね。私も被害者だわ」
「それは男と女の解釈の違いなのでは?」
「ヨシキさんはお兄様のお味方をするのね。嫌い」
「宮様」
ヨシキの困った顔を見て、みな笑った。
そこに「殿下のお帰りです」と声がする。
「今の話は内緒よ」
キコはにっこりと笑った。
そしてついに二人は「婚約記者会見」を迎えた。
前日、緊張して眠れないと言うヨシキに「私が合図をするから大丈夫」と励ましたノリノミヤ。
その通り、しっかりと会見のリードをとり続けた。
「午前に陛下よりお許しをいただいて、
こうして婚約内定の発表を行うことができましたことを大変うれしく思っております。
タカマツノミヤ妃殿下がお亡くなりになり、この日をご一緒に迎えていただくことのできなかったことを
大変残念に思っており、また災害の多かったこの年の暮れにインドネシア・スマトラ島沖の地震によって
日本人を含む非常に多くの犠牲者が出たことに対して深い悲しみを覚えております。
このような時期に発表を行うことを心苦しく思っておりますが、既に二度の延期を経てきたことでもあり、
皆と相談の上、年内に発表することに致しました。
これまでの過程を優しいまなざしで見守ってきてくださいました両陛下、
そしてクロダさんのお母さまに深く感謝申し上げております。
また、お付き合いを静かに支えてくださったアキシノノミヤ両殿下をはじめとする方々にもお礼を申し上げたく存じます。
先月以来、正式な発表前ということで、多くの方々が控えめにお祝いを述べてくださるのをありがたくも、
申し訳ない気持ちでおりましたので、そのことについても今は少し安堵(あんど)しております」
合図をうけてヨシキは
「天皇陛下よりご裁可をいただきましたこと、誠にありがたく存じております。
本日に至りますまで、天皇、皇后両陛下には温かくお見守りをいただき、
アキシノノミヤ・同妃両殿下には格別のご配慮をいただきました。
また多くの方々のお力添えもいただきました。今は感謝の気持ちでいっぱいでございます」
とやっと答えた。声が震えていないかどうか心配だった。
二人の出会いを教えて欲しいという記者に対し、ノリノミヤは
「昨年の1月にアキシノノミヤ殿下が主催され、亡くなられた親しい知人をしのぶテニスと懇親会が
赤坂にて行われた際に、出席した懇親会で久しぶりにクロダさんとお会い致しました。
私が小学生のころは、お背が高くていつもまじめなお顔をしてらっしゃる方という印象が強くございましたが、
しばらくぶりにお会いしてとても温かな笑顔で人々の中に入っておられる姿が心に残り、ま
たお話も楽しく致しました。 それからは主にアキシノノミヤ邸でお会いすることが多くございましたが、
少しずつお話を重ねて行く中でだんだんと自然に結婚についての意識が深まってまいりまして、
今年に入ってだいたいの意思を固めました」
受けてヨシキは
「久しぶりにお目にかかった時の宮さまは常に細かいお心配りをなさり、
どなたとも楽しそうにお話をなさっておいででございました。
私もその時、お話をさせていただくことが大変楽しく、
また心の安らぎのようなものを感じておりました。
その後何度かお目にかかり、お話を重ねさせていただくうちにやがて結婚ということを意識するようになって
いった次第でございます」
ーープロポーズの言葉は・・・・という問いに
「時期につきましては、今年の初めであったかと存じます。
私から宮さまに「私と結婚してくださいませんか」と申し上げました。
場所はアキシノノミヤ邸で、確か、お茶をいただいていた時であったかと存じております。
私の母親にそのことを報告致しました時のことでございますけれども、
母は私に、それは恐れ多いことではあるけれども、あなたが決めたことなのだから、
何事にも責任を持って当たるように、といったようなことを申したかと存じます。
なおアキシノノミヤ・同妃両殿下に対しましては、あらたまってご報告と申しますより、
いつの間にかご承知おきいただいたというような形でございまして、本日発表の日を迎えまして、
あらためてすべてをおおらかに見守りいただきました両殿下にお礼申し上げたいと存じます。」
ノリノミヤは
「お返事はその場でお受けする旨を申し上げました。
両陛下は、これまであまり多くをおっしゃらずに静かに見守ってきてくださいましたが、
お話申し上げますと、とてもうれしそうにほほ笑まれて「おめでとう」と喜んでくださいました。
またアキシノノミヤ両殿下は基本的に場所を提供なさるというお立場に徹され、
2人のことについては立ち入らずに静かに見守ってきてくださいましたが、
こちらもあらためて細かなことは申し上げておりませんでしたが、
お尋ねがございましたのでお話申し上げますと、穏やかに祝ってくださいました」
ーーどのような点にひかれたかというお決まりの質問には
「一つ一つのことをエピソードでお話しするというのはできませんけれども、
ご自分の考えをしっかりとお持ちになりながら、ゆったりと他人を許容することのできる広さを持っておられるところや、
物事に誠実でいらっしゃるというところでしょうか。
趣味ですとか、興味を持つ事柄についてもお互いに異なっていて、
あまり共通点というのはないのですけれど、何を大事に思うかということについて共感することが多くあると
いうことも、ご一緒にいて安心できると思うことの一つかもしれません。
最近のことで申しますと、このたびの発表の時期のことについてでございますが、
まだ中越地震の被害に苦しんでいる人が多くある状態の中で行うべきことではないと思いながらも、
一方で時期を遅らせますと、例えばスクープのような形で騒ぎが起こってしまい、
そのような場合には、私よりもずっとクロダさんの方にご迷惑が掛かるため、
とても悩んでおりましたが、時期のことについてご相談申し上げたときに、
自分の迷惑のことについてであるならば、それは気にせずに今何を大切にすべきかということを
最優先に考えよう、とおっしゃってくださいました。
そのことは本当にありがたく、そうした感覚をともにできることをとてもうれしく思いました」
ノリノミヤの合図があり、ヨシキは緊張しながらも
「宮さまはいつも細やかなお気配りをなさる大変お優しい方でいらっしゃると同時に、
さまざまな物事についてきちんとしたお考えをお持ちでいらっしゃる、ということにひかれました。
具体的なエピソードということでございますけれども、個々ある日ある時の出来事と申しますより、
いろいろなお話をさせていただくうちに徐々に理解が深まって気持ちが固まっていったというような、
そういったプロセスであったかと存じます」
言葉遣いは大丈夫だろうか、どこかで突っかかっていないかとヨシキは不安そうに宮を見つめ
宮は微笑む。
ーー皇室を離れる事に関しては
「幼いころから、いつか結婚する場合にはこの立場を離れるという意識を持っておりましたので、
新しい生活に入ることについての不安や戸惑いはあっても、
皇籍を離れるということに対して、今あらためて何かを感じるということは特にないように思います。
両陛下も結婚した後のことはお心におきになりながらも、内親王という立場にいる間は、
この期間をこの立場で実り多く過ごすということを大事に育ててくださいましたので、
私なりにこの立場でさまざまなことを見聞きし、体験し、
心で感じて本当に貴重な日々を過ごすことができたと思っております。
そのことに深い感謝の気持ちを抱いております」
ノリノミヤの脳裏に母と旅行した時の思い出が蘇って来て、本当は少し泣きたくなった。
結婚は確かに嬉しい。けれど、やっぱり少しさびしいものなのだと実感する。
ヨシキを見ると、彼はあまりふりかえる余裕もないようだった。
「確かに内親王さまをお迎えするということは責任も重く、私もずっとそのことについて考えてまいりましたけれども、
今までお話を重ねさせていただいた中で、宮さまがお大切にお思いのことと私が大切に存じておりますこと
との間に大きな違いというものを感じることはございませんでした。
宮さまにはこれからの生活の多くが新しいことで、ご不安をお感じになることも多くおありかと
存じますけれども、私といたしましてはできる限りのことをさせていただきたいと存じております。
互いの考えを尊重しつつ、心安らぐ静かな家庭を築いていきたいと存じております」
そしてノリノミヤは
「家庭像につきましては、だいたい同じように考えております。
両陛下に申し上げたい言葉ですが、今はその時期としては、まだ早いように感じておりますし、
またもし申し上げるにしても、直接にお顔を拝見しながらにしたいと思っております」
「ねえね、結婚しても私達と仲良くして下さるかしら」
ちいさな、マコとカコがテレビの画面を見ながら少し不安そうな顔をした。
今まで、自分達だけの「ねえね」だったのに、急にヨシキにとられてしまうような感じがしたのだ。
「大丈夫。ねえねにおめでとうございますと申し上げましょう」とキコは言った。
「何だか長かったような気がする。本当にもっと早く結婚させてやれたらよかったんだが」
とミヤは感慨深い様子で言った。
「兄として不甲斐なさを感じるよ」
「でも、だからこそクロダさんと出会ったのですわ」
夫の妹に対する深い愛に、少し妬けつつも、そんな夫を心から愛しいと思うキコだった。
テレビの画面を見ながら皇太子は心がざわめきたって仕方ない。
何なんだろう、この記者会見は。
そもそも記者会見を開く話だって今日、知らされたくらいだ。
しかも、「アキシノノミヤ」という名前が何度出て来ただろう。
あの二人は・・・クロダも含めてグルなのだろうか。
殊更にノリノミヤ達が「アキシノノミヤ殿下に感謝」している事に腹が立って仕方ないのだった。
これでは「皇太子」としての面目が丸つぶれだ。
そもそも妹の結婚など眼中になかったくせに、こういう事だけはすぐに考えつくのが
皇太子の性格だった。
本来なら心から妹の婚約を喜ぶべきだったが、「ないがしろにされた」感情は抑えがたく
祝う気になどなれないのだった。