ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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女性宮家は必要なし

2021-06-20 21:28:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

宮本隆氏とやら・・・荒らしなのかな、削除すべきか?と思ったけどとりあえず承認しました。

あなたのコメントはいわゆる反日的皇室ブログの方に承認して貰った方がよろしいのでは?世の中にはそういうブログが沢山あるので。

中にはブログ主の本心がわからず、こちらに引用される方もいらっしゃいますが、大抵の皇室ブログは反日です。

つまり「将来的に皇統を雑系にして権威を失わせよう」というものです。

 皇統の男系継承は皇位継承争いを避ける為の施策

何度も書きますが、日本の天皇というのは「合議制」の象徴です。

朝鮮半島や中国大陸において数々の部族・民族の衝突を繰り返し、武力で抑えつけ王なり皇帝なりを立てた歴史とは違い、どの部族・民族にとっても共通の「神」の存在、それが天照大神であり天皇はその子孫。

国民統合の象徴なのです。

ゆえに実際の政治は蘇我氏や物部氏、藤原氏だったりが行い、天皇はひたすら「皇統」を繋げ、祭祀に精進するという存在でした。

表向き、どの部族の安泰をも祈る存在とでもいいましょうか。

男系に拘った理由は「父が天皇であること」を基本にしなければ、誰が天皇になっても構わないという思想が生まれる事を恐れていたからです。

継体天皇のように、何代も遡ってさえ男系男子に受け継がれた歴史は、その子孫たちにとって文書として明確化しなくても感覚として「男系でいくことが天皇家の存在意義」と思ったことでしょう。

無論、女帝も存在しましたが、彼女達の父は必ず天皇であり、天皇のなったのちには絶対に再婚及び出産しないという前提つきです。

女帝が子供を産んでそこに皇位継承権を与えれば、より皇位継承争いに拍車をかけることがわかっていたからです。

(その点をもっと納得したいなら中国ドラマ「ミーユエ」を見るといいでしょう)

 

男系・・・古代から中世においては父は天皇、母は蘇我氏もしくは藤原氏。武士社会になると五摂家の姫が妃となり、例え側室が生んだ親王であっても構わないことになります。

明治時代になり、イギリスやドイツなどの王家を参考に伊藤博文らが、西洋にならって今まで影に隠れていた妃達を公務に引っ張り出します。

勿論、皇室典範を作るにあたって「女帝」も考えたのです。

イギリスにはビクトリア女王がいましたし、女性差別の国と思われたくなかったからですが、結果的に「男系男子」と決まりました。

その理由は「女帝の夫」が政治に加担するのを防ぐ為・・と言われて来ましたが、私は違うと思います。蘇我氏や藤原氏をみれば天皇の后の実家が権力者になるのは自然な事だったからで、それが女帝の夫だからダメというのは理屈に合わない。

私が何かでちらっと読んだのは「過去に存在する女帝は全員即位後に出産せず、独身を通した。近代の女性にそれを求めるのは酷だ」という考え方からです。

 

 過去に女性宮家は一つだけ

江戸末期に桂宮家を継承し、「女性宮家当主」となった淑子内親王。

彼女がなぜ桂宮家を継ぐことになったか。

それは江戸時代の皇室制度と大きな関りがあります。

江戸時代になると天皇及び皇族の数を抑えないと経済的に成り立たなくなりました。厳しい禁中ならびに公家諸法度でぎりぎりに締め付けられていたからです。

しかし皇室としては皇統維持の為「世襲宮家」4家を存続させないと、何かあった時に怖い。

そこで、伏見宮・桂宮・有栖川・閑院の4家を定め、天皇の弟達によって継承されました。

桂宮家というのは度々断絶してはふっと復活する不思議な運命を持った宮家です。

そして当時の天皇家では例え天皇の子であってもすぐに親王・内親王になれるわけではありませんでした。

淑子内親王は、閑院宮愛仁親王との婚姻が決まった時点で「内親王宣下」を受けました。

しかし、そこに悲劇が起きます。なんと、閑院宮愛仁親王が婚約2日後に亡くなってしまったのです。

その当時、貴族の娘の嫁ぎ先は宮家、貴族、大名家。でも内親王は身分が下の者との結婚は望ましくありません。

ちょうどその時、桂宮を継承していた節仁親王が死去。

淑子内親王はその桂宮家を継いだのです。内親王宣下をしたばかり、婚姻がダメになった女性、父天皇としては可哀想に思ったんでしょう。仏門に入れてしまうよりは宮家の当主として大事にされた方がよいと。

淑子内親王は準三后、一品内親王の厚遇を受け、弟・孝明天皇の正室だった九条凪子よりも上位に置かれました。

(当時、天皇の子達は五摂家より立場が下ですから異例です)

今でいうなら眞子さまが、亡き桂宮家を継承していくようなものです。

しかし、彼女は生涯独身でした。

 

 明治以降11宮家

幕末の混乱と明治時代になり「天皇」中心の世の中を整える為、宮家が増えていきます。

その中でも明治天皇は策士で、なかなか男子が生まれず不安だった事で、ご自分の内親王を次々宮家の次男などに嫁がせ、宮家を創設させました。

つまり内親王は宮家の当主ではなく、あくまで「妃」の立場なのです。

中韓の後宮と違って、日本の場合、皇后以外の女性達に序列があまりなかったというか、明治天皇の場合、お子様の死亡率が高く序列云々と言っている暇がなかったと思いますが。

と、同時に宮家にも古いと新しいはあっても、序列があるわけではありません。

とりあえず伏見宮家が「長老」として存在していましたが、発言力があったかどうかは不明です。

明治天皇の4内親王が宮家に新しく創設された宮家に嫁いで「妃」となり、昭和天皇の長女、照宮茂子内親王も久邇宮家の長男に嫁いで東久邇宮家を創設。

 

 天皇の存在意義は国家安泰を祈る

天皇というのは、日本にとってとても霊的な存在と言えるでしょう。

天皇はことあるごとに「祭祀」を行い、国家安泰を祈りました。

大仏を作ったり国分寺を作ったりしたのも、全て「平和が長く続くように」との祈りの為です。

飢饉が起これば祭祀、戦が起きれば祭祀。全て祭祀です。

和歌を詠むのも、その延長にあり、歴代天皇は沢山の和歌を詠んで来ました。

明治・大正・昭和・平成もそうです。

しかし、今上も皇后も歌会始以外に和歌を詠んでいません・・・っていうか、かなりいい加減なものしか提出していません。

美智子上皇后はクリスチャンですし、今上夫妻は某宗教団体の信者と言われます。この3人に共通しているのは「宮中祭祀」を科学的でないと思っているところです。

神に祈ること、その対象が天照大神であること、八百万の神々であることが科学的でないと考える根拠は、経典がないからですよね。

キリスト教には聖書が、某学会には「朝夕のおつとめ」が。

そして、大きな勘違いをしていること、それは「天皇と国民の距離感」が大事だと思っている部分です。

天皇、皇室は国民と同レベルであってはいけません。

もっと高い所で、祈る姿を見せさえすればいいのです。

祈らない天皇・皇后がいくら公務で地方へ行っても、一時的な人気獲得しか出来ず、永遠に尊敬されないし、信仰も得られないでしょう。

 

 有識者会議が不必要なわけ

まず「皇室の安定的な存続」の為に女性宮家や女帝・女系が必要という考え方は間違っています。

このような事態を招いた責任は、まず平成の天皇皇后にあります。

皇太子にふさわしい妃を貰っていたら、仮に不妊であっても早くから治療に積極的に関わることが出来たでしょう。

また、秋篠宮家に産児制限をかけなかったら、悠仁親王に兄がいたかもしれない。

さらに遡れば、昭和から平成への代替わりを利用して「旧皇族」の復帰を画策していれば、秩父・高松・三笠・常陸の4家に特例的な養子・あるいは猶子を迎え入れることが出来たかもしれません。

つまり、4家を21世紀の「世襲宮家」とすることで皇統を安定させることが出来たかもしれないのです。

有識者会議は皇室の歴史を深く考えたり、研究したりすることなく、ただ体制の側に立ったり、小和田家の意思に従ったり・・・そういう傾向で集まっているにすぎないのです。

天皇の仕事は祭祀と国事行為であり、これは誰も代行する事が出来ません。

つまり女性皇族が何十人いても無駄なのです。

 

 皇統の安定を図る為の施策とは

 三笠宮家の2女王、高円宮家の女王らを一時金を与えて臣籍降下させる

 高円宮家の公務を洗い出し、国益に不都合な部分は切る

 百合子妃・信子妃・久子妃の住まいを一か所にする

これでかなりスリム化出来るのではないでしょうか。

 皇室典範を改正し「女性のみが残った場合」「親王が生まれた場合」何世までを皇族とするか範囲を限定させる。

 秋篠宮家に旧皇族から猶子を得る

 秋篠宮を今上の猶子とし、皇太子に格上げ。秋篠宮家の内親王と親王に称号を与える → 内廷皇族とする

 上皇夫妻の住まいは高輪にそのまま、赤坂東宮御所は秋篠宮家に。眞子内親王・佳子内親王の御殿、悠仁親王の御殿を別棟に作る。

 上皇夫妻は天皇の下に置き、誕生日等の祝いには参内すること。また内廷外皇族とする。

 悠仁親王の高校入学と同時にお妃選考に入り、20歳までに婚約。大学卒業までに結婚。

 眞子内親王・佳子内親王のお相手は旧皇族に限り、宮家創設可能とし、お二人は「妃」として残る。

 皇后と愛子内親王は公務を免除する代わりに那須御用邸で暮らす

 

正直、平成時代に倫理崩壊したジェンダーな皇室を元に戻す為には相当な努力が必要です。眞子さまにはあっさりと結婚を諦めて貰い、一生独身でも構わない覚悟を持って頂きたい。

今行わなければ皇室は断絶します。

宮内庁も政府も、はっきりいってどうでもいいやと思っているんだろうなと。

ただ政治的に利用したい一心でしょう。

そういうものに乗らない勇気が今は必要です。

 

 

コメント (9)
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皇室ウイークリー

2021-06-20 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

6月11日・・・皇后陛下 → 養蚕

       天皇陛下 → 離任大使に会う

              通常業務

              政策研究大学院大学教授から進講を受ける

6月15日・・・天皇陛下 → 通常業務

6月16日・・・両陛下 → 香淳皇后例祭の儀

       皇后陛下 → 養蚕

 

皇嗣家

6月14日・・・両殿下 → 外務省から進講を受ける

6月16日・・・眞子内親王 → 武蔵野陵(香淳皇后例祭)

      両殿下・佳子内親王 → 皇霊殿(香淳皇后例祭)

 神聖な祭祀に臨むのに皇后陛下は笑顔でお手ふり。

  自分が出て来たら皆が喜んで手を振って貰いたいと思っていると・・・そういうとらえ方ですよね。

 

 オランダのアマリア王女 年間2億円の王室費の受け取りを辞退

未来のオランダ女王、カタリナ・アマリア王女が先週、ノッテ首相に手紙を書きました。

2021年12月7日に私は18歳になります。法律に従えば手当を受け取ることになりますが、私は手当に見合うことをしていません。また他の学生たちは特にコロナ禍の影響で厳しい時期を過ごしています。その状況で手当を受け取ることは心苦しいことです

およって年間2億円に及ぶ国からの手当てを公務を始めるまで辞退したいというもの。

 オランダ王室に支払われる王室費はヨーロッパで最も高額。

  アマリア王女に支払われる2億円の内訳は、4400万は直接てわたされ、残りは人件費だそうです。

アマリア王女と言えば・・・・

この時の可愛い王女様なのです。

この時から二人の運命は大きく別れて行ったんですね。

女王になるというのは、国民に愛されなくてはならず、その努力を惜しんではいけないのです。例え18歳でも。

今回の辞退には裏があるようで、コロナ禍に国王夫妻がこっそりギリシャへ遊びに行ってしまったことがわかり、国民からかなり批判を受けていたのです。

王女は自分がお金を受け取ることを辞退することで、収拾をはかったと言えます。

アマリア王女の顔にはすでに女王の風格が・・・すごいですよね。

 

日本ではまだ結婚もしない、納采も終わってないうちから「辞退しろ」と責められてる可哀想な眞子さま。こんなにきちんと祭祀に出ていらっしゃるのに。神様の覚えはめでたい筈です。

 

 スウェーデンのニコラス王子6歳に

 この可愛い王子さまは誰か?

スウェーデンで美女で名高いマデレーン王女の長男、ニコラス王子です。

ハンサムで可愛いです。

でも実はこの王子様には王位継承権もないし、将来、公務につくこともありません。

現在の国王が王室のスリム化を図る為に、ビクトリア王太女の子供以外を王族メンバーから外したからです。

これによってマデレーン王女もニコラス王子に「プリンセス」「プリンス」と呼ばれていますが、実質的に王室からお金を受け取っていないし、将来公務にあたることもありません。

つまりマデレーン王女に日本流に考えると「降嫁」したわけです。

王室のスリム化はスウェーデンに限った事ではなく、イギリスでもチャールズ皇太子が王位についたら自分の子供達以外は主要メンバーから外す考えを持っていると言われます。そのうち、ハリーとメーガンは除外され、実質的にケンブリッジ公爵夫妻と3人の子、ウェセックス伯爵夫妻と2人の子だけになるでしょう。

日本と違って若い王子や王女がいるのでこういう事も考えられるのです。

ちょっとオカルトっぽ考えですが、そもそも日本の皇室で昭和天皇に3人もの弟がいながら末弟の三笠宮家しか男子が授からなかった原因は「徳川宗家」ではないかと思います。

後水尾天皇と徳川家には確執があり、天皇は最も愛する女性と引き離されて和子を正室としました。

その後、和子の子である明正天皇が立ちますがその他の男子は早世。

ここで徳川の血は絶えます。

秩父・高松・常陸の宮妃3人は徳川宗家と深い関係のある血筋です。

明治天皇は戊辰戦争で負けた側についた久邇宮家などに深い同情を示し、その意思を継いだ貞明皇后が息子達の嫁に徳川家を選んだわけですが・・・結果はご覧の通りです。

3人の親王に恵まれた三笠宮家の男子が一人も王を残さず父より先に亡くなるという、これまた何の呪いなのか?と思う程の悲劇を経験。

昭和天皇だってそこまでになるとは思わなかったでしょう。

昭和天皇の愛した礼宮は見事に皇室にふさわしい紀子様を得られ、結婚1年目には眞子内親王を授かった。

そのまま行ったら、お子様も4人5人と続き、親王も二人くらい生まれていたかもしれません。

しかし、「民間初の皇太子妃」である美智子皇后はそれを許さなかった。

さらにいうなら、溺愛する皇太子が選んだのは頭でっかちで社交不安症という発達障害を持つ女性でした。

二人の間に生まれたのは障碍のある内親王。

 

眞子様が学習院に行ってさえいたら小室と出会わなかったという話があります。

そうかもしれない。

だけどふさわしい結婚相手も見つからないでしょう。

黒田清子さんを見てわかる通り、堂々と「辞退」出来る環境が整っていました。

清子さんが一時、坊城家の方を望んでいた事は確からしいです。

坊城家も公家出身。本来なら内親王の降嫁を喜んで受け入れる筈。

しかし、お断りになった・・・・この時から35歳になるまで内親王のお相手候補は現れなかったのです。

旧皇族・華族側も美智子妃側もどちらも互いに反発を覚え、そっぽを向いたわけですから婚姻などありえません。

その溝を埋めることが出来たのは皇太子ただ一人だった筈。

親の因果は子に報い、子は親のしでかした事に対し責任を取り家を存続させる義務があるのです。

秋篠宮が選んだのは旧華族でも皇族でもないけれど、学習院という皇族の古巣の中のお嬢様。先祖を辿れば会津に行くことで秩父宮妃に愛された、誠に皇室にふさわしい女性でした。

黒田清子さんのお相手も、秋篠宮の学友で同じサークルにいた名家の長男。

そういう意味ではしっかりあがなっていたのです。

なのに徳仁親王だけは母親の「超学歴主義」だけを見て妃を選び違えた・・・

それが今の結果です。

このままいくと、悠仁親王が全ての責を背負い皇室の存続を一人で考えなくなります。

愛子内親王の安泰、二人の姉宮の幸せ、そして将来自分に親王を得ること。

大変に重い。

有識者会議が何をどう議論しようと、解決がつくものではありません。

女帝や女系を認めても愛子内親王の障碍が治るわけではないし、悠仁親王にふさわしいお妃が現れるかどうかもわからない。

有識者会議が行うべきことは、男系維持をする為に一日も早く悠仁親王に結婚して頂くことです。

そのお妃選びを今からしておかないとダメということです。

学歴や語学能力で選ぶのではありません。

 素直で吸収力が早いかどうか

 血筋がよく、男子の多い家系

 社交性があり、明るく頑張り屋

 姿勢がよく言葉遣いがよく、趣味が多彩で虫を怖がらない

 日本の歴史や皇室史への理解が深いこと

上記の条件を満たす女性がいるところ・・・・それは学習院ではありません。

宝塚音楽学校です。

トヨタの御曹司と星蘭ひとみが結婚した理由は「価値観の共有」そして、御曹司は彼女の立ち居振る舞いを見て選んだのです。

105期辺りから選定を始め、娘役トップになっていきそうな女性達を洗って行けば必ず悠仁親王にふさわしい女性がいると思います。

何と言っても歌劇団には「実は名家の血筋」がぞろぞろいるんですから。

なんなら星組にいるといわれる「お見合いおばさま連」を活用するのもいいのでは?ジェンヌってわりと男腹なんですよ。

本当は娘が欲しい~~と言っていながら男子が生まれることが多い。

つまり政治家ではなく、財界に求めよ・・・って事ですね。

冗談抜きで悠仁殿下はもうすぐ15歳。顔見知りになっておく必要もありますよ。

それに二人の姉宮がくっついていけば、さらによいご縁がと思っています。

 

コメント (17)
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