百合様のおっしゃっている事はよくわかりました。
この件については改めて自分の経験も含め、書きたいと思います。
確かにネットでは「依存」の事が危険であると書かれています。
私が危惧するのはこういう情報の氾濫により、心療内科へ行くことをためらう。あるいは必要な薬を飲まないで我慢する人が増える事です。
愛子内親王の伊勢参拝は年内には行われない事がはっきりしました。
理由は「黒田清子さんもしてなかったから」だそうです。
個人的には「だから何だよ」って感じですが。
確かに黒田清子さんは20歳で伊勢には行っていません。
理由は恐らく、昭和天皇が亡くなったばかりだからでしょう。
昭和の頃は、内親王に関しては特別にあれこれ要求された事はなかったんです。
なぜなら「内親王」は学校を卒業したら即、結婚に向けてまっしぐら。
24歳くらいで降嫁するというのは普通でしたので。
黒田さんも恐らくそういう目で見られていたので、回りも何も言わなかった。
もサーヤはそもそも成年式もなく、上皇がそれじゃ可哀想だと言って、政府関係者を招いて茶会を催したのです。
きっちりドレスとティアラを作ってお披露目、宮中三殿参拝→伊勢など参拝は眞子様あたりからの話です。
昭和の頃、内親王の扱いがあまりに軽くて華やかなシーンを作って上げたらいいのにと思ったのは事実です。
男子に加冠の儀があるなら女性は「裳着」をすべきと思ってました。
サーヤは大学の卒業式も袴じゃなくてワンピースだったし・・・ちょっと可哀想と思った事は事実です。
平成になって、眞子様のドレス姿を拝見し、伊勢での参拝を見た時は感慨深いものがありました。
サーヤは20歳の頃から噂のお相手の名前は上がっていたのですが、何年もそれを引きずった挙句に進展しませんでした。
それゆえに25歳での参拝だったのかなと。(当時24歳はクリスマスケーキと呼ばれていた社会的な感覚もあったでしょう)
当時、誰もサーヤの結婚が35歳までないとは思わなかったのです。
とはいえ、サーヤは成年皇族として海外訪問を担い、祭祀にも積極手に担い、大学卒業後は山階鳥類研究所にお勤めになり、きちんと公務をされていました。
そんな昔の元内親王の例をあげて
「だから愛子様は伊勢へは行かない」とするのは無理がありすぎます。
伊勢へいかないならなぜ武蔵野陵へも行かないのか。
学校が休みの時も祭祀をやらないのか。
そう言えば天皇皇后もイギリス訪問の後、武蔵野陵へ行っていません。
総じて、令和の天皇一家というのは、非常に祭祀、つまり国民的に言うと「法事」をないがしろにしているわけです。
庶民のようにお金がないわけではなく、お墓がないわけでもないのに、それらをないがしろにするというのは、「祭祀長」の家柄としては家業をないがしろにするのと同じ。
ましてや左翼が「愛子さまを天皇に」とか言ってるのに、やるべきことをしない、させないってどういうこと?
20歳になれば「伊勢へ参拝しないと」と自分から言いそうなものですが、愛子内親王は自分の意志がない人形ですね。
いい加減カミングアウトしなさいよ。
天皇一家が祭祀をないがしろにするのには「信仰」の問題もあるのかも。
かつて雅子さんは「神社の鳥居をくぐれない人」と言われて来ました。
なぜなら創価学会の教えでは神社の鳥居をくぐる事は禁忌だからです。
とはいえ、皇太子妃・皇后になり全然それをしないというわけにはいかないという事で、度々、必要に駆られてやってきた経緯はあります。
そういう事もあるの?と勘ぐってしまいますよね。
「愛子内親王を単独で何かに参加させることは絶対にしない」と天皇皇后は心に決めているのでしょう。
あるいは「皇居の外に出さない」と決めているような。
週刊誌などによれば、愛子内親王自身はちっとも苦に思ってないんですって。
いわゆる「おこもり」が普通になっているから不満なし。
皇居は広いからそれでもいいんでしょうけど。
両親そろって、全然娘の本当の幸せを考えていないんだなと思いましたし、宮内庁に沢山職員がいるのに誰一人として「何とかしてあげよう」と思う人がいない事も疑問です。