ふぶきの部屋

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祝!ご成婚30周年 雅子様語録 21

2023-07-01 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

周りが第二子を考えている間に、愛子様を誕生させた堤医師には突如降ってわいたような災難が起こりました。

それは彼が公金を流用したというスキャンダラスな記事で、どんなにご本人が違うと言っても聞きいられず、話はどんどん大きくなり、一度は就任した御用掛けを辞任せざるを得なくなり、名誉をひどく傷つけられたまま東大を去ってしまいました。

それは完全なる冤罪であり、堤医師はいわゆる陥れられたわけですが、多くの国民はその事を知らず「雅子様の主治医が不名誉な事をした」とずっと思っていました。

これは「男女産み分け」に失敗した医師への「しかえし」に他ならない事で、二度目のチャンスすら与えず、ただただ私怨が招いた結果でした。

そんな事とは露知らず、相変わらず東宮家は幸せの中にいたのですが。

 2002年11月15日

宮内庁の中で子育て経験のある人達は、内親王が普通のお子様とは少し違っているなというのは感じていました。

おもちゃを広げても関心をしめさず、親ばかりが必死に「これはどう?こっちは?」と勧めている姿。

それに内親王はお父様とお母さまの明確な違いに気づいていないようにみえますし、何よりも言葉が遅く、身体も月齢にしてはいつまでも腰が据わらない様子でした。

 2002年11月19日

3ヶ月検診や6カ月健診では異常はみられませんでしたが、医師としては「様子を見ないと」という気持ちでした。

もし、「様子を・・」などと言えば雅子様がどれくらい傷つくかわかりませんので言えずにいたのです。

 2002年11月21日

秋には神宮外苑までベビーカーを押して散歩にも行きました。

いわゆる「普通の人」のようにして見たかったのです。

宮内庁は反対しましたが、雅子様は「外に出る」と言ってきかなかったので、皇宮警察を動員して守りながらの外出になりました。

雅子様はご自分が皇位継承者の妻という自覚がないのでは?と誰もが考えるようになりました。

一般人なら外に散歩に行ってもいいし、スーパーへ買い物に行ってもいい。

しかし、東宮家は皇族です。

赤坂御用地は神宮外苑よりも美しい景色が広がっているというのに、なぜわざわざ大勢の人がいる所に行きたがるのでしょうか?

 

2002年11月21日 高松宮憲仁親王死去

悲しい出来事もありました。

皇太子様と雅子様の結婚をお膳立てして下さった高円宮殿下がテニスをしている最中に心臓発作で突然亡くなってしまったのです。

 2002年11月29日 高円宮殿下の葬儀

 2002年12月1日 愛子内親王1歳の誕生日

愛子さまが1歳になった12月1日。早速参内し両陛下からお祝いを頂きました。皇后陛下は大変喜ばれ内親王を抱っこされたり、あやされたりしました。

内親王の誕生で雅子様は皇后陛下との距離が少し縮まったような気がしました。

 

 2002年12月5日 雅子様誕生日会見

12月9日は雅子様のお誕生日。なので5日は単独で記者会見に臨まれました。

雅子様にはどうしても記者達に伝えたい事があったのです。

まず、結婚10年目の感想には

「はい。いま10目と言われまして,ああ10年目なんだなというふうにまず思いました。

自分の中では9年という気持ちが強かったものですから,10年目と言われて,10年と申しますと,十年一昔とも申しますし,十年一日のごとしとも申しますけれども,確かに考えてみますと,年が明けますと,1月19日に皇室会議を開いていただいて,そして婚約ということになったのがもう10年も前になるんだなあということを思い出しますと大変深い感慨がございます。

その後,皇室に入らせていただいて,私なりにいろいろと努力をしてきたつもりではございますが,本当に力の至らない点が多かったのではないかしらというふうに思いますが,常に皇太子さまに温かく支えていただきまして,いつもいろいろとご相談に乗っていただいて,励ましていただいてここまで元気に過ごしてまいることができましたことを,本当に有り難いことと思っております。

殿下との出会いは,さかのぼってみますと昭和61年の秋でございますか,ちょうどこのお部屋で,両陛下がスペインのエレナ王女さまのためにレセプションをお開きになっていらしたところに私の両親と一緒にお招きを頂いて,伺った時が初めてお会いした時で,その後,いろいろな事がございましたけれども,私自身,まさか自分が皇室に入らせていただくことになろうとは夢にも思っておりませんでしたので,本当に何年かの後にそういうお話になりました時には,大変驚き,その時は本当に大きな選択であったと思います。

また,分からないこともたくさんございましたし,心もとない気持ちでおりました中を皇太子さまにいろいろとお教えいただきながら,また,天皇皇后両陛下にいつも温かくお見守りいただきながらここまでまいりますことができましたこと,大変有り難く思っておりますし,そして昨年は子供が誕生いたしまして,国民の皆さんから本当に温かい祝福の気持ちを折に触れてお示しいただいてることを心から有り難く感謝しております。

そうでございますね,後は私たちの結婚に至るまでの過程の中で,高円宮さまにはとても心を砕いてくださってましたし,そしてまた,結婚後も本当にいつも優しく心を寄せてくださって,皇太子さまにとっては五つ年上のお兄さまのような存在でいらした方で,本当にいつも温かく私たちを励まし,いろいろアドバイスしてくださってましたので,今回本当に突然の事でお亡くなりになってしまわれたことを本当に寂しく,本当に心が痛んでおります。

妃殿下の久子さま,3人のお子さま方,そしてご両親でいらっしゃる三笠宮両殿下にはどれほどかお力をお落としのことと本当にご心中お察しするに余りある思いでおりますけれども,ご生前に宮さまから頂いた本当にたくさんの温かいお励ましを有り難く思っておりまして,ご冥福をお祈りしたいと思います。

その意味で,一つとても思い出に残っておりますのは,結婚の日の私たちのパレードがございましたけれども,ずっと皇居を出て新宿通りから学習院の初等科前を通って,鮫が橋門から入門してこちらの赤坂御用地内に入ってまいりまして,そして当時は東宮仮御所でございましたので,後ほど,こちらと御用地の反対側になるわけですけれども,そちらに向かう途中,いつも園遊会が開かれております赤坂御苑の所を通りましたのですけれども,その時に思いがけず,高円宮両殿下がそのころまだ初等科の低学年でいらしゃった承子女王さまをお連れになって,お池の所でとても温かく優しい感じでお迎えくださったのが本当に予期していないことだったんでございますけれども,その光景が本当にうれしいこととして大変思い出に残っております。

この1年を振り返ってみますと,初めて親になりまして最初の何か月かは時間の流れがとてもゆっくりになったなあという感じがいたしました。

それまでは公務を中心にして,そして,その公務に合わせたいろいろな準備ですとか,そういったことで殿下と私と2人でいろいろなことの生活のペースというのが決まっておりましたけれども,子供がおりますとやはり子供中心の生活になりまして,時間帯もいろいろ不規則になったり,きっと子供さんがおられる皆さんは皆さんご経験と思いますけれども,初めて親になってあたふたとしている日々で,初めの半年間は何だかそれまでよりも時間の流れがゆっくりだったような気がいたしました。

その後,子供の方もだんだんと成長して活発に動くようになったりしまして,いろいろな表情も豊かになりましたし,活発に動き回るようになっておりますし,いろいろな反応が返ってくるようになって,それからはだんだんと時間が経つのがまた速くなって,あっという間にもう1歳の誕生日なんだわということで,先日1歳の誕生日を無事に迎えることができました。

お陰さまで,とても今のところ身体が丈夫で,そしてまた,おおらかな性格といいますか,皇太子さまに似ましたのか,何ていうのかしら,ゆったりと,どっしりとしておりますのでその点健康に恵まれた子供を持っているということは,そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので,本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っておりますし,また,こちらでは子供の世話を手伝ってくれる職員も配慮していただいて,手配していただいておりますので,公務などとのことで私自身が面倒を見ることができない時も,そういった職員がよく面倒をみてくれていることもとても有り難いことと思っております。

今後につきましては,子供を通してまた世の中のいろいろな新しい面も見えてくるのではないかしらと思っておりますので,一つ一つ新しい経験になりますけれども,その時その時できることを考えて,そして皇太子さまのお力にもなれるように努力しながら,子供の成長も見守りながら,私のできることをしていきたいと思っております」

雅子様は「そうでない子供」という言葉が差別的だとは思っていませんでした。

むしろ、自分の子供は他の子とは違うと考えていらしたのです。

1年を振り返ってという事に関しては

やはり日本の国内にあっては北朝鮮の拉致の問題でございますね,こちらが明るみに出て,そしてその被害に遭われた方のうちの何名かが帰国されたというようなこともございまして,また亡くなられてしまったと言われている方々もいらっしゃるわけで,本当にその被害に遭われた方々,そしてまた,そのご家族のお気持ちを思うと,本当にこれは胸が痛むことで,本当にお気持ちを察するに余りあることであったのではないかと思います。

世界的に見ても,中東の情勢がやはり緊張が続いておりますし,また,テロの事件があちこちで起こっているといった,大変心配される事態もあります。

というのは,私は昨年の誕生日の記者会見を出産後で控えさせていただきましたので,それ以前からの話になりますが,やはり昨年の9月のアメリカにおけるテロが起きて以降,何か世界の枠組みといいますか,世の中の情勢,流れが大きく変わったのではないかというのが,率直な印象でございます。

それまでも,冷戦の構造の崩壊ということによって,地域紛争ですとか,内戦ですとか,世界のあちこちの地域でそういう問題が起きていましたけれども,今度はまた,テロという形で相手が見えない脅威が一般の市民に降りかかってくるということで,こういった問題の背後にあるいろいろな貧困の問題ですとか,格差の問題,いろいろな問題について,これから世界の人々が手を取り合って,知恵を出し合って,対処していかなければいけないのではないかというふうに思っております。そのような中にあって,アフガニスタンの復興に向けていろいろ支援がなされていますけれども,長いこと内戦で傷ついた国がだんだんといい形で復興してまいりますことを,本当に祈らずにはいられない気持ちでおります。

身近なことは,やはり1問目でお答えした子供の成長ということと,それからやはり最近の高円宮殿下の急なご逝去というのは,本当に大きなことでございまして,私も高円宮さまに大変お世話になっておりましたので,とても,なかなかその悲しみをまだ乗り越えることができずにおります」

さすがに中東が・・・世界情勢が・・・と喋り始めると記者達がわけがわからない顔を始めたので「しまったつい・・こういう難しい話は彼らはダメなのだ」と気づいて、「身近なことは」に繋がりました。

 

続けて皇太子様と共にオーストリア・ニュージーランド訪問の記者会見がありました。

「両殿下にお尋ねします。約8年ぶりの両殿下そろっての外国親善訪問になりますが,どのような感慨をお持ちでしょうか。また,両殿下ご自身の外国親善訪問の意味や在り方についてどのようにお考えでしょうか。今後の外国訪問の中で,どのように「自分らしさ」を出していこうと考えていらっしゃいますか」

という質問について雅子様は

 

ご質問にありましたように,今回公式の訪問としては8年ぶりということになりまして,ニュージーランドとオーストラリアを訪問させていただくことができることになり,大変うれしくまた楽しみにしております。

中東の諸国を訪問いたしました折のことは今でもとても懐かしく本当にいい経験をさせていただいて,その時の思い出は今でも皇太子さまとよく話題にしたりしておりますけれども,その後8年間ということで,そのうち最近の2年間は私の妊娠そして出産,子育てということで最近の2年は過ぎておりますけれども,それ以前の6年間,正直を申しまして私にとりまして,結婚以前の生活では私の育ってくる過程,そしてまた結婚前の生活の上でも,外国に参りますことが,頻繁にございまして,そういったことが私の生活の一部となっておりましたことから,6年間の間,外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は,正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます。

今回,昨年子供の愛子が誕生いたしまして,今年,関係者の尽力によりまして,ニュージーランドとオーストラリアという2か国を訪問させていただくことができることになりましたことを本当に有り難いことと思っております」

要するにはこれはお子様を産んだご褒美の旅行だと思っていらしたのです。

ゆえに雅子様は、独身の頃から海外に行く事は普通にあったのに、皇族になった途端にそれが許されない事、東宮様とのお約束が長年破られて来た事について訴えるようにおっしゃったのです。

「また子供が生まれましてからいろいろ状況も変わっておりますので,その前のことをはっきりと思い出すのもなかなか難しい面もあるのですけれども,やはり国民の皆さんの期待というものが,いろいろな形での期待があって,その中には子供という期待もございましたし,他方,仕事の面で外国訪問なども国際親善ということでの期待というものもございまして,そういう中で,今自分は何に重点を置いてというか,何が一番大事なんだろうかということは,随分考えることが必要だったように思います」
 

雅子様はこの時点で大きな勘違いをされていたのかもしれません。

皇太子妃というのは海外で華やかに活動する事ではなく、まずは日本という国の安泰を祈り、そして皇統を繋げる為の役目を負っている事を全くおわかりになっていなかった。

だから、ご結婚10年目にしても「子供を産むか海外で仕事をするか」で悩んでいたという事なのです。

悲しい事に、いくつになっても独身時代の海外旅行と贅沢な買い物をひきづり続ける雅子様なのでした。

 

コメント (11)
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