2004年3月25日 雅子妃 愛子内親王を伴い軽井沢の小和田家別荘へ
初春はいえ、軽井沢はまだひどく寒くてコートがなくては外を歩けない状態でした。
そんな時期に、数ある別荘地に突然検問所が設けられ、そこを通る人達が職務質問を受けるという事件が発生しました。
何事かと住民が不安に思っていると、やがて、タクシーが小和田家の別荘に入って来て、雅子様の母、優美子さんが降りて来ました。
沢山の荷物を抱え、さらに急ぐようにスーパーへ買い出しにも行かれたようです。
そしてその後、先導車や護衛の車30台以上に、白バイ付きで黒塗りの車が小和田家の別荘に到着。
そこから出て来たのは皇太子ご一家でした。
雅子様は内親王を抱きしめたまま、無言でドアの向こうに消えました。
皇太子様も少しためらい別荘の中に入ります。
「まあちゃん!」母君は、小さい頃から呼び慣れた言葉を発しました。
「まあちゃん、可哀想に。こんなにやつれて・・・やせたんじゃない?何があったの。まあまあ、愛子も。さあ、おばあちゃまの所へいらっしゃい。
母君は一緒にいる皇太子様を完全に無視していました。
そんな扱いをされるのは初めてで皇太子様は驚き、屈辱に震えました。
お付きのSPや女官達も黙ってその様子を見守るばかりです。
たまらず、SPの一人が「皇太子殿下もいらしています」と言うと、そこで初めて母君は気づいたように「ああ、そうでしたね」と冷たい言葉を発しました。
「妃殿下と内親王様は暫くこちらでお預かりするのでご安心下さい。残念ながらこの別荘は狭いので皇太子殿下のお部屋は用意出来ません。もしご宿泊されるのであれば、駅の近くにホテルがあるのでそちらへどうぞ」
「な・・・皇太子殿下にホテルに泊まれと?」
「だって仕方ないでしょう?私どもの別荘は狭いのですもの。明日あさってには主人もオランダから帰国しますし、他の娘たちも見舞いに参ります。とても皇太子殿下を接待する暇も部屋もございません」
急にそう言われて皇太子様はどうしていいかわかりませんでした。
母君は構わず、一緒に来た女官に荷物を運ばせ、雅子様と愛子様をお部屋に移されました。雅子様は振り返りもしないまま、皇太子様の視界から消えたのです。
完全に邪魔者になってしまった皇太子様はただただおろおろと回り見ます。
「殿下、東京にお帰りになりますか」
「いや・・・」
「では、ホテルを取ります。その間、車の中でお待ち頂いた方がよろしいでしょうか」
女官が荷物を置いて戻って来たのですが、SPに「雅子様のご様子は」と聞かれると「すぐにベッドに入られました。愛子様は今、小和田家の方が見ていらっしゃいます」
「皇太子殿下に挨拶もなしでは無礼すぎる。早く呼びなさい」
女官は弾かれたように母君を呼びに飛んでいきました。
すぐに愛子様を抱いた母君がやってきました。
「まあまあ、お構いもせず申し訳ありません。なんせ妃殿下がたいそうお疲れの様子なのでね。母心と思って勘弁してくださいな。それで皇太子様はどうされるのですか?」
「今、側近がホテルを・・」
「そうですか。季節柄ホテルは空いているんじゃないでしょうかね。お手数をかけますけど、それでよろしくお願いします。ちょっとそこの」
母君は女官を呼びつけました。
「台所に茶器があるからお茶を入れて頂戴。皇太子様、こちらの椅子にかけて下さいな」
「愛子は私が」
「そんな、皇太子様にお預けするような事は出来ません。それに愛子ちゃんもそろそろおねむよね?私はちょっと失礼して、ねかしつけてまいりますわ。女官さん、あとは頼みましたよ」
いうなり母君は内親王を連れて奥へ引っ込みました。
勝手がわからない台所で女官は、必死にお湯をわかし、お茶を入れ何とか運んできたのですが、内心では(なんで私がこんな事)と怒っていました。
皇太子様はホテルが決まるまでぼんやりとそこに坐っておられ、やがてひっそりとホテルに向かったのでした。
「まあちゃん、こんなになるまで我慢したわね」
母君は娘が不憫で仕方ありませんでした。
「愛子、普通じゃないの」
「普通じゃないわ。無表情だし私と目も合わさないの。歩くのもおぼつかないし。でも何とかしようと思って音楽教室を開いたり、同じ年頃の子供達を集めて遊ばせたりしたけど、全然ダメなの。愛子はちっとも話さないし、楽しそうじゃない。着替えをさせるのも機嫌が悪いと暴れるし、食事もうまく取れない。何で私ばかりこんな目に合うのかわからない」
「女官がいるでしょう。任せればいいのよ」
「それが出来ないから悩んでいるんじゃないの。あいつら何を考えているかわからないわ。愛子の面倒みながら心の中ではざまあみろって思っているのよ。私はそれが耐えられないの」
「何て事なの。たかが女官のくせに」
「女官だけじゃないわよ。東宮大夫も侍従達も長官もみんな私の事をあざわらっているのよ。だから私林田に言ったの。定例記者会見は東宮御所でやるなって。記者がそこらへんをうろついているだけでも嫌なの。みんな愛子の様子を気にしていると思うともう頭がおかしくなりそう」
「ここにいれば大丈夫。あの女官には家事だけさせとくから。お父様もお帰りになったら相談しましょう」
一方、千代田側では皇太子を普通のホテルに宿泊させた小和田家の行いに激怒していました。
「次の陛下になられる方をホテルに宿泊させ、別荘に通えとは何たる言い草。小和田家はあまりにもおごり高ぶっているのではないか。ただでさえ雅子妃はわがままで困っているのに、さらにそれを助長させるなど」
宮内庁長官は頭から火が噴き出すのではないかと思う程怒っており。東宮大夫も「女官を一人同行させた所、小和田家の使用人のように扱われております。しかし、殿下がこれまた小和田家のいいなりになってホテルに宿泊されているのですから我々は何も言えますまい」
「離婚した方が双方の為ではないか」
「果たして皇太子殿下がそうおっしゃれるかどうか」
両陛下も事の重大さに驚き、しかし騒ぐわけにもいかず、側近に「どうなっているのだ」と聞くしかありません。
全ては皇太子殿下が帰京してからの話になります。
話し合いは小和田家の父君が帰国してから行われました。
父君は黙り込んでいる雅子様をよそに、隣に座る皇太子様に言いました。
「雅子は全てのキャリアを棒に振って皇室に入ったと言う事をおわかりですかね。あのまま外務省にいればそれ相応の地位まで出世していたでしょうし、それこそ本人のいう海外を主軸とした活動だって出来た筈。それを諦めてもあなたの為に尽くすと決めた娘の心をおわかり頂きたい」
「はい」皇太子様はただ頷くばかりです。
「愛子に障碍があると言う事は私達は墓場まで持って行かなくてはならない秘密ですよ」
「どうしてですか?それ相応の療育を」
「皇室の恥になりますよ。それでもよろしいのですか?」
「え・・・・」
「あなたは確かに将来天皇になる方ですが、男子を得ていません。このままでは秋篠宮が次の天皇になります。それは殿下の本意ですか?男子がいない以上、あなたが天皇になっても地位は盤石ではありません」
「そうなんでしょうか」
「ええ、そうなんです。あなたと我が娘が天皇皇后として将来、安泰になる為には、愛子が女帝にならなくてはなりません。いいですか。女性天皇にするんです」
「そんな・・・女子には皇位継承権はありません」
「8代10人の女性天皇がいますよ。もし愛子がただの内親王として一生を暮らすとしたら、秋篠宮の代になった時、どのような扱いを受けるかわかりますか。まあ、あなたは墓の下にいるかもしれないが、わが娘と孫娘はそうはいかない。狭くて暗い大宮御所に閉じ込められ、天皇になった秋篠宮にどれ程嫌がらせされるかわかりません。私は親として祖父として不憫でならんのですよ。
私が無理に皇室入りを勧めなかったらとかね。あなたの事を考えすぎて。しかし私とて日本人ですから。皇室の大切さはよくわかっているし、あなたのお気持ちも十分わかった上で娘を差し上げたのです。それがこのような事になるとは」
皇太子殿下はもう何も言えませんでした。
全てが面倒になってきました。
さすがの皇太子様も小和田家の父君のおっしゃる事がかなり無礼である事には気づいていました。でも生まれてこのかた罵倒されたり意地悪されたりの経験がない皇太子様にはすぐに言い返す事も出来なかったのです。
内親王を天皇にまでしたいとは思わなかったものの、自分の死後の事まで言われると急に不安になってしまいます。
結局、皇太子様は結論を見せずに29日に帰京しました。
早速参内し、両陛下に全てをお話になったのですが、その場で皇太子様は年甲斐もなく大泣きしてしまったのです。
びっくりした皇后さまは必死に慰めます。
「ナルちゃん、泣かなくてもいいの。おたあさまがついていますよ」
「おたあさま、もう離婚したいんです」
「そうね・・それがいいかもしれないわね」
「全く不甲斐ない。妻一人御せないとは」と陛下はお怒りです。
「仕方ありません。東宮妃は大宮様のご葬儀だって欠席する程の娘ですよ」
そんな「娘」を推したのは他ならぬ自分であると言う事はすっかりお忘れのようでした。
「僕では雅子を幸せに出来ません。東宮御所にいたらきっともっとおかしくなるでしょうし、僕も毎日のように荒れた姿を見るのは嫌なんです。それに小和田家に任せた方が愛子にとってもいいような気がして」
「さっさと離婚して新しい妃を迎えるべきかもしれない」
天皇陛下は前向きでした。
雅子様さえいなければ、新しいお妃が来て男子を産む可能性があるのではないかと思っていたのです。
宮内庁はすぐに「離婚」に向けて動き出そうとしました。
ところが・・・・
「離婚?離婚ですと?よろしいですよ。では東宮御所を明け渡して頂き、慰謝料として10億円を支払って頂きましょう。娘はそれだけの精神的苦痛を皇室から受けましたからな」
小和田家の要求に宮内庁は心底驚いてしまいました。
まさか脅されるなんて。
今までは、静かに娘を引き取っていく・・というのが慣例だったのに。
「まさか赤坂御用地にお住まいになると」
「当たり前でしょう。離婚された妃が一般人として生きていけると思いますか?まあ、東宮御所が無理なら新しく御殿を作って貰いましょうか。さもなくばこの事をマスコミに流しますよ」
この事は両陛下の心を絶望に陥れました。
皇室がそんな憂いに沈んでいることなど国民にはわかる筈もなく、行事は粛々と進んでいきます。
春の園遊会も雅子様は欠席しました。
長すぎる静養に段々疑問が湧いてきて、週刊誌などがうるさくなります。
2004年4月24日 みどりの愛護のつどい
皇太子殿下はお一人で公務に臨まれました。
その寂しい姿ははたから見ても気の毒な事でしたが、さらに周囲を驚かせたのは、式典の最中、お言葉を読み上げる時に思わず涙がぼろぼろ流れ落ち、鼻をすすってしまうという事が起きたのです。
皇太子様の心も限界でした。
東宮あてには、デンマーク、ポルトガル、スペイン3か国訪問の話が上がっていました。しかし、雅子様を帯同したい皇太子様は答えをずるずると引き延ばし、ついに3週間を切ってしまいました。
皇太子様はわざわざ軽井沢まで車を走らせ
「今回は一人で訪欧する事にするから、留守番をお願い出来るかな」
という言葉に雅子様も頷くほかはありませんでした。
4月26日、雅子様と愛子様は帰京しました。