雅子様の「欠席」はまるっきり改善されていませんでした。
愛子内親王を幼稚園まで送っていくと、そのまま帰宅せずラウンジでおとり巻と一緒にお茶をして笑っている。
愛子内親王がお休みの日には一日中部屋に引きこもっている。
昼夜逆転の生活は相変わらずです。
紀子様はご懐妊中にも関わらず、地方公務も赤十字大会もお休みになりませんでした。
意地悪な女性週刊誌は「紀子様は少し運動をした方がいい。体調管理の為に動いている」などと書き立てます。
時が経つにつれて「やっぱり将来の天皇は愛子様にすべき」という意見が出始め、女性議員達が「男女平等の観点から皇室典範の改正を望む」と言い始めます。
どうしてこんな事がいわれるようになったのかと言えば、紀子様がお産みになるお子様は「男子」という噂が流れていたからでした。
誰も何も言ってないのに噂が一人歩きして、それがある一定の人々の気に障ってしまうと言う事はありますが、高齢出産の紀子様に対してはあまりにもひどい言いようでした。
雅子様も、本当は気になってしょうがありませんでした。
結婚当初こそ「子供なんて馬鹿でも産める」と思っていたのに、そう思っていた自分が全然かなわないことだったのです。しかも8年かけてやっと授かったのは内親王。
それに比べると紀子様はあっという間にご懐妊されたように見えます。
「まるでネズミの子じゃないの」と毒づいてみても、もし男子だったら・・・と思うといてもたってもいられません。
2005年6月8日 両陛下東南アジアへ出発の見送り
それは、両陛下の海外訪問の前日にもたらせた吉報でした。
オランダの王室が雅子様の為に城を貸して下さるというのです。
交渉したのは、オランダの国際司法裁判所の所長である小和田家の父君でした。
父君は、紀子様のご懐妊で大そう傷ついている娘を何とか元気にしてやりたいという思いと、「皇太子妃であればここまでできず」という権力を表す為に、わざわざ外務省を通してオランダ王室に交渉させたのです。
外務省は今や小和田閣下の天下ですから、イエスマンばかりです。
オランダのベアトリクス女王は、夫君のクラウス殿下をうつ病で亡くされている事から雅子様にとても同情的になりました。
さらに、オランダ政府の目の前に「金」という人参をぶら下げられたら、城を貸すくらいどうって事ありません。
そこで、オランダ王室から招待状を取り付けて、「オランダ静養」は決定したのです。
まさに、両陛下不在のおり、さっさと発表してしまえばこちらのものです。
見送る雅子様の笑みは、すでに決まった事にとても喜んでいたからなのです。
2006年6月19日 電気自動車を見る
それからの雅子様は一層、自分勝手な行動に拍車がかかるようになりました。
自分が気に入らない事はとことん拒否して、好きな事だけ行うという姿勢。
これは「治療の一環」として大野医師が許可したので、誰も文句を言えません。
香淳皇后の祭祀はお休みになりつつ、翌日にオペラ鑑賞をした時は、さらに批判を招きましたが、「緩やかな回復を促す為」という大野医師のお墨付きがある為、誰も何も言えませんでした。
雅子様にとって「宮中祭祀」は永遠に理解出来ない壁のようなものです。
その意義がどうのと言う前に、雅子様は手順を覚える事が出来ないのです。
ご優秀な筈の雅子様に「覚えられないこと」があるなどとあってはなりません。
ゆえに「宮中祭祀を理論的に説明できない限りやらない」という事になっているのです。
オランダ静養については、結果的に両陛下には事後報告になりました。
両陛下は大変驚かれ、そして失望されました。
日本の皇族がバカンス目的で海外へ行くというのは今まで一度もない事です。
しかも、公務を全くしないで地方すら行かないのに、なぜ海外へ行くというのだろう。
オランダ王室から招待を受けたと言っても、無理やりとりつけたに違いない。
そのような「借り」を王室につくるなどもってのほかなのです。
「私達は静養目的で外国へ行った事はない。どうしたらそのような考えが浮かぶのか」
皇太子様は「お医者様の判断です。雅子は日本にいると具合が悪くなるんです」
しれっという息子に陛下は「それなら皇室を出て自分の力で外国へ行けばいい」と大声でおっしゃいました。
「陛下、お身体が」
皇后様は慌てて止め、皇太子様に「もう決まった事なのね」とおっしゃいました。
皇太子様は、叱られている風なので、少し目を伏せて
「それでオランダ静養の話をもっと詳しく申し上げたいので、葉山の静養にご一緒させて頂けませんか」と申し出ました。
てっきり快く応じて貰えると思っていた皇太子様ですが、陛下が「いや、来なくていい」とはっきりおっしゃったので、とても驚かれました。
「でも・・・雅子も私も両陛下と一緒に静養する事を楽しみにしています。愛子だって」
「別に静養に一緒しなくても、その気があるならいつでも愛子を連れてくればいい」
「そうよ。私達に何を言いたいのかわかりませんけど・・・今回はお断りするわ」
さすがの皇太子様も、両陛下が気分を害している事はわかります。
でも東宮御所に帰れば帰ったで、今度は雅子様が怒り出すでしょう。
葉山に合流したいと言ったのは雅子様なのですから。
これは小和田の父君からの厳命で「せいぜいご機嫌取りをしてこい」との意思表示だったのです。
困ってしまった皇太子様は、暫く無言でもじもじなさっていたのですが、やがて諦めて東宮御所に帰られました。
「何でダメだったのよ。言い方が悪かったんじゃないの?」と雅子様に責められ
「わからない。ごめんね。またチャンスがあるかもしれないし」
チャンスが意外と早く巡って来ました。
7月1日、その日はちょっと雨模様だったのですが、両陛下主催のホタル狩りに、東宮一家、秋篠宮一家、黒田夫妻が招かれたのです。
広い客間から見える闇の中に、沢山のホタルが光っています。
雨の音と、蛍、幻想的な風景に、雅な一時を過ごしていたのです。
やがて、眠くてぐずり始めた愛子様を連れ、東宮一家が一足先においとまをする事になりました。
皇太子様はその時「葉山静養の件、よろしくお願いします」とおっしゃいました。
秋篠宮家も黒田夫妻も何の話か分からず、「?」という顔を向けたのですが、両陛下はあからさまにご不快な顔を見せて「あれはもうお断りした事だから」と皇后様がおっしゃいました。
すると、雅子様は血相を変えて皇后陛下に食ってかかります。
「どうして一緒に行っちゃダメなんですか?私達が行きたいと言っているのに。いつもは全然訪ねてこないとか言うくせに何で今回はダメなの?」
「人には予定というものがあるのですよ」皇后さまは諭すようにおっしゃったのですが、雅子様は顔を真っ赤にして
「オランダへ行くのがお気に召さないって事ですよね。私達だけが海外に招待されるのが。両陛下だって何回も行ってるじゃないですか」
「雅子、もうやめて・・・」と皇太子様はぶるぶる震えながら雅子様の手をひっぱります。
「最悪!私達がいい思いをするのが気に入らないんだわ。わかりました。一緒にと言われてももう一緒に行きませんから」
と言うなり、雅子様はドアをどんと叩きつけるように閉めて行ってしまいました。
ついほんの数分前までの穏やかな雅な雰囲気は失われ、雅子様の暴言の響きだけが部屋に残りました。
眞子様も佳子様も凍り付いてしまいましたし、紀子様や秋篠宮殿下、黒田夫妻も黙り込んでしまいました。
皇太子様は大きくため息をついて「それじゃ、あとはよろしく」とおっしゃって部屋を出て行かれました。
結局、東宮一家は葉山ではなく、那須へ行かれたのです。
2006年7月24日 那須静養
那須の御用邸では、通常、両陛下などは近くの農家を訪れたり、満蒙開拓団の一部が帰国した際に作った村などを訪れたりするのですが、東宮一家が来た時は、急にSPでものものしくなり、店はばたばたと閉まり、全ていつ雅子様が来てもいいように準備をさせられます。
静養期間中、皇太子様は一度か二度東宮御所に戻られ、結果的に帰京は雅子様と愛子様だけになりました。
2006年8月3日帰京