ディズニーランドでの楽しかった思い出は雅子様に達成感と勝利の味をもたらしましました。妹一家も「準皇族」としての役目を果たしてくれて、少なくとも自分には味方がいるのだと少しホッとする事が出来たからです。
「準皇族」という立場は日本にはありません。
しかし、小和田の父君は「我々は準皇族なのだから」と妻や子供に言い聞かせました。
皇族である雅子様の身内なのだから皇族ではないけれど、それに準ずる立場で、そういう扱いをしてくればなければ困るという話です。
さあ、次は鴨川シーワールドへ行こうと日程を決めてホテルも予約して・・・と思った時に思いがけない言葉が皇太子様から。
「両陛下と一緒に葉山で静養すべきと思う」
「え?何で、一緒なんて嫌に決まってるじゃないの。それに鴨川はどうするの?」
「申し訳ないけど雅子、今回は諦めた方がいいと思う」
「何で?」
「ディズニーに行った事がかなり批判を受けているようなんだよ。それに今回は、愛子が幼稚園に入るから、両陛下に今後の事を話さないと」
そういう風に皇太子様がおっしゃる時は、皇后陛下から厳命が来ている時。
雅子様は最後まで抵抗の姿勢を示しましたが、結果的に鴨川をドタキャンして葉山に向かいました。
2006年3月27日 葉山静養
葉山の御用邸は、基本、本邸しか使わないのでまさに両陛下と一緒に宿泊する事になります。
雅子様はすぐに不機嫌になってしまい、ご挨拶をしても、あとは黙り込んでしまいました。愛子様は、どこに連れられて来たのかわからず、ぼやっとしています。
天皇陛下は「愛子は元気なんだね」と確認するようにおっしゃいましたが、言われた本人は無言、雅子様も無言、皇太子様だけが「ええ。元気です」とお答えになりました。
皇后陛下からは「これから学習院幼稚園に通う事になるけれど、大丈夫なのですか?集団行動が出来ますか?」と質問を受けました。
雅子様は「愛子なりにやるんじゃないでしょうか」とお答えになりました。
「あの幼稚園は浩宮の為に作ったようなもの。懐かしいわね。制服を着た愛子ちゃんを見るのが。愛子ちゃん、園長先生にお会いしたらちゃんと、ご挨拶をするんですよ」
そう言われても内親王は何を言われているのかわからず、無言のままでした。
雅子様は内心、皇后陛下の干渉を疎ましく思っていました。
姑ってこれだから困ると本気で思っています。
皇后陛下が心配しているのは、愛子内親王が幼稚園に入る事で、その「和」を乱してしまわないかという事だったのです。
皇太子夫妻の内親王あまやかしは千代田にも伝わっていますし、例の2時間40分事件で、内親王の障碍は相当重いのだと両陛下も理解しました。
「集団行動をきちんと学べるといいですね」と皇后陛下はおっしゃいました。
「先日のお遊びはあまりよい事とは思わないが」と天皇陛下はおっしゃいました。
「どうしてですか」と雅子様は反論しました。
「私達は私的な楽しみより、国民を思う立場である事を忘れてはならない。自分のお楽しみの為に国民を犠牲にするような事があってはならないのだ」
「愛子は喜んでいましたよ」
雅子様はハチの1針のような言葉を投げかけました。
「全て愛子の為です。私は、愛子を普通の子のように育てたいんです」
「普通って・・・」
「普通です。普通の子です。愛子は。回りと違うからって愛子が特別なわけじゃありません。いろんな体験をさせればきっと治ります」
目がキラキラと輝いている雅子さま。いつになく語る雅子さま。そんな雅子様を見て両陛下は少し怖くなりました。
皇后陛下には、またもや皇太子様がが不憫で仕方ありませんでした。
こんな時も嫁のいいなりになっている。
けれど、この嫁を庇っていかないと、今後、皇太子様がどんな目にあうかわからない。
皇后様は何もおっしゃらなくなりました。
結局、天皇皇后両陛下と皇太子一家が共に海岸を散策するという場面は見られることなく、ただ一緒にいたという既成事実を作っただけでした。
2006年3月30日 帰京
2006年4月11日 愛子内親王幼稚園入学
さて、いよいよ、愛子様の入園の日がやってきました。
内親王は少し大きめの制服に帽子をかぶり、鞄を持っています。鞄の刺繍はお母さまがすると決まっていいるのですが、雅子様はさっさと外注しました。
これから幼稚園に入れば何とかなる・・・雅子様はそう思っていました。
青山劇場でのリトミックや体操だけでは友達もそんなに出来なかったし。でもこれからは・・・
園長先生の名前は小山とおっしゃいます。
皇太子ご夫妻は「これからよろしく」とお辞儀をしました。
しかし、愛子様はしませんでした。慌てた雅子様が一生懸命に頭を下げさせようとしましたが、かえっておむずかりになるのでやめました。
とりあえず、園の関係者に引き渡したのですが、愛子様はぐずぐずと後ろを振り返ったり、横をむいたり指を振ったりと落ち着きません。
そんな様子を心配そうに見守る雅子様。
「大変自然なお子様ですね」と小山園長はマスコミの取材に答えました。
「自然な」という言葉の裏には何があるのかと、色々意味深な言葉ではありました。
早速クラス分けされました。
愛子内親王のクラスの前には、常に屈強なSPが護衛に着く事になっており、他お子供達と保護者をびっくりさせました。
実は、愛子様のご入園が済めば、雅子様も地方公務が出来るのではないかと計画を立てていたのですが、雅子様は拒否されました。
理由は「育児で大変だから」というもの。
しかし、学習院の毎日のお弁当は大膳課が作るのであり、制服を着せるのは女官で、雅子様がやる事はほとんどありません。
でも、週刊誌には「入園ストレス」で雅子様は公務が出来ないと書かせました。
16日には早速「オール学習院の集い」が行われ、幼稚園から大学生に至るまで、様々な文化的催しをします。
通常、あまりこれに親子で参加というのは少ないのですが、皇太子一家は、嬉しそうにかけつけました。
雅子様はこの手の遊びが大好きで、ヨーヨー吊りをやってみたり、屋台で買い物をしてみたり宇土存分に楽しんだのですが、愛子様は無表情。
少しも楽しそうではありませんでした。
また、舞台での演技を見る時、幼稚園生はみなまとまってみるのですが、愛子様だけはご両親と皇族席に座りました。
つまり、この時から「ヒエラルキー」をはっきりと示されたのです。
というのは、このオール学習院の時、学習院にやってきたマスコミの連中は、ところかまわずにヨーヨー吊りなどを楽しむ雅子様達を撮影していました。
それを東宮職が一生懸命になって「写真は撮るな!」「誰が取材をしてもいいと言った」と声高に蹴散らしたのです。
学習院側からは誰も出てこない事で東宮職はなおの事、怒りまくり、それがのちに宮内庁と学習院の長くて冷たい戦争に発展していくのでした。
2006年4月16日 オール学習院の集い
2005年4月29日 車椅子バスケットボール大会
雅子様は春の園遊会も欠席しましたし、赤十字大会も欠席しました。
しかも赤十字の欠席の翌日には乗馬を楽しむという事をやってのけたので、またも批判にさらされる事になりましたが、「治療の一環」という言葉が雅子様を救います。
つまり「治療の一環」は伝家の宝刀、水戸黄門の印籠と同じ効力を持つのです。
そこまで雅子様が何をやっても平気だったのは小和田家の父君の力が大きいです。
父君は小泉首相に直談判して、オランダ王室からの招待状をとりつけていました。
つまり雅子様を「海外」で静養させようという腹積もりなのです。
それは雅子様の為ではなく、小和田の力がここまで影響するのだぞという事を皇室中に知らしめる為でした。
2006年5月16日 学習院幼稚園遠足
雅子様は雅子様なりに愛子内親王の幼稚園生活を一緒になって楽しんでいました。
愛子様が幼稚園に行ってる間、他のママ友と一緒に園内のラウンジで珈琲を飲みながらおしゃべりする。そんな普通の生活が気に入っていたのです。
勿論、相手方は本当は皇太子妃とお話などしたくありません。
でも逆らったらどんな目に合うかわからいので、自分達のグループに来た時には「ようこそ、ごきげんよう」と受け入れるしかないのです。
それを週刊誌は「雅子様の親衛隊」などと書き立てるので、本当はみんな迷惑していました。
5月には初の遠足があり、雅子様は嬉々として参加しましたが、愛子様はあまりそういうのは好きではないように見えました。
新宿御苑ではシートをしいてお弁当を食べるのですが、あいにくの空模様で突如雨が降ってきました。
みんな慌ててシートを畳み、雨が入ってこない場所まで逃げたのですが、ふと、みると、雅子様と愛子様が雨の中でぼーっと立っているではありませんか、
この日は、女官はついてきていませんでした。
「あの人、何をしているの?」と一人が言うと「シートを敷いてもいないわよ」
「敷き方が知らないんじゃない?」
「え、まさかあ」
「だって、棒立ちになってるもの」
「誰か、行って傘をさしかけてあげたら」
「えーーお付きの人いないの?」
仕方なく、いつもラウンジで一緒に珈琲を飲むママ友の一人が傘を持って走り、シートを片付け、雅子様達をつれて木の下まで避難させました。
「風邪をひいてしまってよ」
「ええ・・・どうして誰も来ないのかしら」
「え?」雅子様は放心したようにぶつぶつと言っていました。
「何で誰も来ないのよ・・・馬鹿にしてるわ」雅子様は自分から女官を遠ざけた事をすっかり忘れているのでした。
けれど、この時の出来事は少し経ってからようやく週刊誌に載りました。
最初に載ったのは愛子様が「(傘が)ふたつあるから、ひとつ貸してあげましょう」
「(カメラマンの)みんな寒いところで待っていてくれるから、ワンちゃんの手を振ってあげましょう」
そんな、今時ありえないようなセリフだったのです。
この時も東宮職のSPが何人も取り巻くようにしており、保護者達に写真を撮るなと厳命していました。
保護者達は「なぜいけないのか」と抗議しましたが「許可なく両殿下を撮影することは許さない」の一点張り。
「だけど、あっちはマスコミがいい写真をがんがん撮ってるじゃないの。何で私達だけいけないの?」
保護者の不満は募る一方でした。
一見何事もなく、内親王の幼稚園生活は始まったように見えましたが、実は全くそうではありませんでした。
新学期早々、愛子様はお休みされたのです。
ゴールデンウイークには風邪を引いたので休まれたとか、あるいは溶連菌、あるいは下痢といった症状で幼稚園を休みがちになっていました。
先生に呼ばれても全然気づかに、どこか遠くを見ているようなときもありますし、誰とも仲良くする事なく、教室の中をうろうろ歩き回っては自分の世界に引きこもっているような事もありました。
一番大変なのか「お弁当」の時間です。
学習院幼稚園は子供のしつけに大変厳しい場所で、幼稚園生は全員がお箸を使って食べなくてはなりません。
基本、お弁当はお母さまの手づくりではなくてはなりませんが、愛子様の場合は、大膳が用意したもの。
さらにお箸が使えないので、おにぎりとフォークなどが入っています。
他の園生は「ずるい」「フォークじゃダメなんだよ」と直接内親王にいう子もいましたが、話しかけられるとびくっとなって、叫び出すので、先生が慌てて止めます。
「愛子さんはいいんですよ」と。
子供からそんな話を聞いた保護者が抗議する事もありましたが、園長は「愛子様は特別」なのだと言ってはばかりませんでした。
いくら皇族が通う場所とは言っても、眞子様や佳子様はきちんとルールに従って来たのに、なぜ愛子様が?とみな不思議がるし、露骨に嫌な顔すらしました。
2006年6月18日 学習院幼稚園父親参観日
そんな事は意に介さない皇太子様は、嬉々として父親参観の時は、愛子様の手を取って歩きました。
いつもなら玄関口まで車を寄せるのに、この日はわりと遠くまで歩きます。
しかし、内親王は父殿下に一瞥もくれず、どこかあさっての方向を見てぶつぶつ言うだけです。
問題だったのは、この写真が世界に配信されてしまったということ。
皇太子様も雅子様も、それでも世界を騙せていると思っているのでした。