2006年9月2日 帰国報告の為参内
無事にオランダから帰国した東宮一家でした。
早速皇居に参内し、両陛下にご挨拶をしたものの、会話は続かず、僅か20分で退出する事に。
美智子様はともかく、陛下の頭の中には数日後に生まれるだろう秋篠宮家のお子様で一杯だったのです。
あいにく9月6日は北海道での公務が予定されており、皇居にいる事は出来ません。
「皇居で待ちたい。でも特別扱いをしたと雅子妃が怒るだろう」との配慮で、あえて公務を入れたのです。
「秋篠宮家に生まれる子はそれが女子であっても男子であっても大した出来事ではない」という印象操作をする為です。
2006年9月6日 秋篠宮家に親王誕生
9月6日の朝、その日は曇りでいつ大雨が来てもおかしくないという天気でした。
けれど、空には龍の形の雲が飛び、誰もが瑞兆を信じていました。
愛育病院の分娩室の前では、SP数人の他に銃を携帯した女性警官も立っていました。
紀子様ご懐妊以来、政府の左翼、フェミニストからのひどいバッシング、週刊誌等によるバッシングに危機感を感じていた宮内庁は、万が一の事があってはならないと、厳重に分娩室をお守りする事にしたのです。
朝、病室を出る時、紀子様は「行ってまいります」と殿下に挨拶され、分娩室に入り、帝王切開の処置をお受けになりました。
響き渡った産声、それは間違いなく男の子、つまり親王殿下のものでした。
「帰ってまいりました」
「ご苦労さん」の会話は穏やかで幸せに満ち、産着に包まれた親王殿下はもう泣くのをやめて、すやすやと眠っていました。
テレビ局、内閣各所に「親王誕生」の一報がもたらされました。
号外には人が群がり、国内でも海外でも大きく「40年ぶりの親王誕生」は喜びをもって伝えられました。
小泉首相は「よかったね」といい、安倍官房長官は「親王殿下のご誕生を心からお喜び申し上げます」と祝意を見せました。
北海道にいた両陛下にも吉報はもたらされました。
陛下はアドリブで「只今の秋篠宮家の出産に際し、皆さんから祝福を頂いた。ありがとう
と満面の笑みでおっしゃいました。
正式なコメントは「秋篠宮より、無事出産の報せを受け、母子ともに元気であることを知り、安堵し ました。様々な心労を重ねた10か月であったと思いますが、秋篠宮夫妻が、その全 てを静かに耐え、この日を迎えたことを喜び、心からのお祝いの気持ちを伝えたく 思います。2人の内親王も、この困難な時期を、一生懸命両親に協力して過ごして きましたので、今は、さぞ安心し、喜んでいることと思います。医療関係者を始め、 出産に携わった人々の労をねぎらい、この度の秋篠宮家の慶事に心を寄せ、安産を 祈願された内外の多くの人々に、深く感謝の意を表します」
秋篠宮家にとっては短いようで長い数か月でした。
眞子様と佳子様はお母さまの留守を守り、夏休みには病室で宿題をするなど、一生懸命妃殿下にご心配をかけないようにふるまわれました。
心無いバッシングに早熟な眞子様は傷つかれ、でも妹君やお父様には愚痴を漏らすまいと耐えました。
例え、「バッシングをやめさせて」と言ったとしてもご両親は「一々反論していたら、全てのバッシングに反論しなくてはならない。自分に非がないのであれば黙っていればいい」というお考えです。
眞子様達からすると、泰然自若としているご両親には見えますが、一方で糠に釘、ご自分達が傷ついている方がおかしいと言われたらそれまでです。
「宮家に子が生まれる」という目出度い事の筈なのに、なぜ「雅子様に気を遣わない紀子様」とか「そうまでして男子が欲しいか」と言われてしまう愚、わかってはいても、幼い内親王にはアイデンティティの問題も含めて重大な傷になってしまいました。
佳子様は単純にご自分の下に「弟君が生まれた」という事に素直に喜んでいらっしゃいました。手先が器用な佳子様は、もうすでに手作りおもちゃなどをご用意してご誕生を待っていたのです。
その日の東宮御所はしんと静まり返っていました。
東宮職の職員は、雅子様の様子が怖くて私室棟へは近づけません。
とりあえず、東宮御所からはすでに用意していたコメントが発表されました。
「ご無事のご出産おめでとう。妃殿下の手術が無事に終わることを祈っています。 両殿下も親王殿下もお身体をお大切に」
「妃殿下の手術?」と誰もが思ったでしょう。
秋篠宮殿下からは8時40分に報告があったとの事ですが、それを無視してのコメントです。
川嶋夫妻からは「誠におめでとう存じます。『清流に臨みて詩を賦す』心に重なる感慨を覚えます。 お健やかな御成長を謹んでお祈り申し上げます」
(清流に臨みて・・帰去来という詩の引用。自然に任せて清流の側で詩を作ろう)
川嶋教授のような「何もかも自然に任せ俗世を離れ清流の側で」の心境に至る事は眞子様には無理でしたでしょう。しかし、その生きざまは紀子様に受け継がれていたのです。
黒田清子夫妻「ご無事にご出産になり、妃殿下、新宮様御共にお健やかでいらっしゃることを伺 い、お喜び申し上げております」
日本中がお祝いに湧きたつ中、東宮御所だけは静でした。
別段、親王が誕生したからといって、それが話題になる事もなかったですし、雅子様は次のお遊びをどうするかを一生懸命に考えていました。
2006年9月9日 恐竜展
2006年9月10日 大相撲観戦
9月9日は大恐竜展、10日は大相撲観戦と歩き回る東宮ご一家。
特に大相撲観戦は、愛子内親王が相撲好きで知られていたので、内親王の前には取り組み表が置かれ、それを見ながらの観戦となりました。
しかしながら、事件はその後、起こりました。
観戦を終えて帰る時、立ち上がって挨拶した後、雅子様と愛子様だけが皇太子殿下と正反対の方に向かって歩き出したのです。
「違うよ!雅子、こっちこっち」と慌てて手を振る皇太子様に気づき、はっとした雅子様も慌てて愛子様の手を取り、一緒に退出しました。
「やっぱり親王様誕生が・・・?」と誰もが思ったに違いありません。
2006年9月11日 愛育病院にお見舞い。
秋篠宮家に親王殿下が生まれたのが9月6日。
その日は、殿下と眞子様、佳子様がお見舞いに駆けつけ、両陛下は北海道から帰京するとすぐに病院に向かわれました。
しかし、肝心の東宮ご一家はいつまでも愛育病院に行こうとしませんでした。
小和田家と違い、慎み深い川嶋家は、東宮様他皇族方がお見舞いを済まされるまで病院に行くのを遠慮していました。
勿論、皇族方や黒田夫妻もいつ皇太子一家が愛育病院に行くのかとやきもきしています。
そして、やっと訪問したのが11日。
しかも、この日、皇太子一家はディズニー展にお出ましで、その帰りに立ち寄られたのです。
愛子様は外出で疲れているのかご機嫌斜めで、マスコミが駆け付けているのを見ると、すぐに皇太子様の後ろに隠れようとします。
雅子様は一生懸命に愛子様を真ん中に入れようと思ったのですが、愛子様は「やめろよ!」とどこから覚えて来たのかわからない暴言を吐かれ、それでも皇太子様はへらへらと笑い、その場をごまかしてしまいました。
病室に行くと、紀子様と秋篠宮さま、そして生まれたばかりの親王様がおくるみにくるまれていました。
「おめでとう」と皇太子様は屈託なくいい「元気そうな赤ちゃんだね」と笑いました。
愛子様は無表情で親王様の方を見るでもなく、ただ不機嫌そうな声を上げておられます。
雅子様はそれに気を取られて紀子様どころではない様子。
紀子様は優しく「敬宮様、こちらにいらっしゃいませ。赤ちゃんをご覧になりませんか?」
とお声をかけ、内親王に向けて親王様のお顔を向けました。
内親王はやっと眠っている赤ちゃんに手を伸ばしましたけど、触るのは怖いらしくつんと皇太子様の方へ行ってしまいます。
「大人が多いから緊張するね」と秋篠宮様はおっしゃり、それから皇太子様と病院の施設の事などを話し始めました。
雅子様は戸惑ったように「小さいわね。愛子のいとこになるのね」とおっしゃいました。
いとこと言えば、眞子様も佳子様も愛子様のいとこなのですが、何か初めてのようなおっしゃり方をするので紀子様もどう返したらいいか迷い、「よろしくお願いします」とおっしゃいました。
皇位継承権第3位の親王殿下がお生まれになり、皇太子一家へのプレッシャーはこれで終わったと誰もが思ったのですが、とんでもない事で。
「愛子天皇」の夢はまだ潰えていないのでした。