まず、富田メモによると。
「礼宮 陛下も承知し喜んでいる。伝えてほしい」と書いています。
1989年の夏に礼宮殿下と川嶋紀子さんの婚約が発表され、皇室会議を経て正式に決定。
でもその前4年間程、お二人は交際していたのです。
礼宮殿下は昭和天皇が亡くなる前年に恐らく「川嶋紀子さんと結婚したい。その時はお印にヒオウギアヤメを頂けますか」と了承をとっていたと思われます。
ヒオウギアヤメは昭和天皇最後の研究対象であり、礼宮も手伝っていたから。
この富田メモの日付は1988年4月28日となっています。
昭和天皇は1987年の4月29日、祝宴の途中に吐血して倒れ、手術。
1988年の8月15日の終戦記念日を最後に公務に出られなくなってしまいます。
覚えているのは入院する時の昭和天皇が車に乗って通り過ぎるのをテレビで見たこと。
「腸閉塞」とか言われてたけど、本当はがんだったんだよね。
侍医がいるのに吐血するまで体調不良がわからなかった事はありえないミスだと思います。
8月15日。写真週刊誌に「涙を流す天皇」と言う写真がのりました。
本当に胸に迫るものがあったのを覚えています。
恐らく、礼宮の結婚の話はベッドの上で聞く事になったんだろうと推察します。
いわゆる愛子天皇派がいう「昭和天皇は川嶋紀子さんに反対」は嘘だったとはっきりわかるメモですね。
昭和天皇は礼宮をとても気に入っていて、皇居に上がって、帰り道に「花が咲いているからみよう」と言って、途中まで送ってくれたりしたらしい。その時に咲いていた花は彼岸花だったそうです。
つまり。小和田雅子さんと違って、川嶋紀子さんは大学に入った頃から皇室とは深い関りを持ち、昭和天皇は温かく二人を見守っていたのです。
ただ、「可哀想」の名のもとに反対していたのは皇后美智子さまという事になります。
何が可哀想って、「皇室に入ったら紀子ちゃんが苦労する。学生で身分も低いしお金もないし」
って意味だったんですよね。
私はこの婚約記者会見が大好きです。
一応喪中と言う事で紀子さんは紺のワンピースにでかい白の手袋をしていました。
(本当は手袋なんて必要ないのに美智子皇后の【手袋事件】にまつわるトラウマがあんな変な手袋をさせたのだろうと思います)
たどたどしくも、しっかりと敬語を使って、言い間違いをしながらも必死に頑張る紀子さんに日本中が「可愛いこんな女性がまだ日本にいたのか」と驚いた瞬間でありました。
「どこに惹かれたのか」と聞かれて
礼宮:話をしていて楽しい・・人なんですね。また何となく愛嬌があるというか、可愛らしい
こんなセリフを互いに見つめ合ってちょこちょこ笑って言うから、記者さん達はさぞや暑かったろうと。見ていた私も「勝手にして~~~」状態。
紀子さん:御所内で飼っていらっしゃるナマズやあひるなどを可愛がっているお姿、また魚類の研究に熱心に研究されているお姿に惹かれました。またタイのお酒、メコンに誘われるまま、先生、ご友人たちと語り、またギターを弾かれたりするお姿や、あの、そういう所に惹かれました。
礼宮:付け加えますと、非常にこの話題が豊富な人じゃないかなと私、思っております。
どこかの誰かの「一言付け加えさせていただきますと」とは違い、テレにテレちゃってついつい口を挟んだ様子の礼宮が可愛い。またなぜか犬の鳴き声がするんですよね。
「皇太子殿下の結婚について」
礼宮:あの、兄の皇太子の方が勿論早く婚約・結婚等が決まればそれに越したことはなかったわけですし、私といたしましてもその事について強く望んでおりましたが、ま、先ほども申し上げましたような(川嶋家へのマスコミの問い合わせが多くなり結婚を急がざる得なかった事)、事情もあり、私の方が先になってしまったと。いう事でございます。
マスコミ;最近の雰囲気はいかがですか
礼宮:雰囲気。以前に30歳までに出来れば上出来という風に申しましたけれども、やはり30までに出来れば上出来なのではないかと私は思っております。
マスコミ:暗い見通しなんでしょうか?
礼宮:暗い・・・暗い見通しといいますか。私もよくわかりませんけど。
こういう率直な事が言えた時代だったんですね。最後はかなり投げやりに答えていました。
「どんな家庭を築きたいか。お子様は何人」
紀子さん:始めの質問でございますが、礼宮様とご一緒にあの、のんびりと明るくそして和やかな家庭を築けたらと思っております。それから次の質問についてでございますが・・・それは
礼宮:何人にしましょうか。
紀子さん:あの、それもこれからゆっくりと考えてみたいと思っております。
見つめ合って笑い、回りも笑い、さらに照れて笑う。最高の瞬間ですよね。どこかの誰かのように「お幸せにして差し上げたい」なんて言わないところがなんとも奥ゆかしい。礼宮の突っ込みが最高で、こういう一々どぎまぎする紀子ちゃんが可愛いんだろうなと。
で、ここからがすごいのですが、「結婚を知らされた川嶋家の反応」を聞かれて。
紀子さん:父は自分の人生は自分の責任や自分の判断で決める事が望ましい。
それからよく考えて、よく悩んだうえで結論を大切にしなさいと申しておりました。
また母は【紀子ちゃん、よく考えてみましょうね】って申しまして、その後で20歳前半の頃は色々な豊かな経験をすると共に、またよく勉強しライフワークの基礎となる、基礎を作る重要な時期ですよっていうようなことを申しておりました。
まず、この頃、紀子さんは留学をしようと考えていたんですね。ご両親もそれを後押しするような感じだったと思います。
でも、実は娘が恋をして、その恋に突っ走っていくのではという心配をしていたと思うのです。相手は皇族で人柄がいいのもわかるけど、それに流されていいのかと思っているようなお言葉です。
「自分の責任で自分で判断」は厳しい言葉で、以後、紀子さんは川嶋家に甘える事をせず、全て殿下と共に解決してきた・・甘えを許さない厳しい家庭です。
60過ぎても実家にべったりの皇后とは偉い違いがあります。
また、母、和代さんの「ライフワークの基礎を作る重要な時期」こういう事を話せる母親というのは、果たして当時存在したろうか?と思います。
自分を見失うなとおっしゃっているんですね。
紀子さんはゆえに、留学はしなかったけれど「福祉」分野の勉強をこつこつ続け、自分を確立していきます。だから美智子皇后に叱られても自分を保つことが出来たのではないでしょうか。
一方小和田雅子さんにとって学歴しか誇るものがなく、あとはスキーだ旅行だと遊ぶ事が主であった人の場合、皇室に入ってからのギャップに驚き、適応障害になってからは散々「ライフワークを持て」と言われたけど結局出来ませんでした。
紀子さんは母によって素晴らしい教育を受け、だから今があるのです。
正直「ライフワーク」というものを女性が持って続けることは難しい。やっぱり余裕がある家じゃないとそんな事を言ってくれる親には恵まれないと思うのですね。
私自身を振り返っても、そんな事は言われなかったです。ただ、私が好きな事、やりたい事に反対しなかった事だけはありがたかった。いくら本を買ってもドラマを見ても叱られる事はなかったし、それが今の「皇室」「宝塚」というライフワークに繋がっているからです。
私も一時期、手話が習いたくて教室に行った事もありますが、そういうことも絶対に反対しない親でしたが、うちの旦那の親は「嫁は嫁の務めをすればよい」という考え方だったので随分衝突したのは確かです。
紀子さんは、まるで皇室に嫁ぐ運命のような教育を受けてこられたのです。
紀子さん:礼宮様は大変理解がある方で、出来る限りお勉強を続けていきたいと思っております。
ともおっしゃって、学生結婚ですが互いを尊重し合っている風ですよね。勿論、皇族だからそれが許されるわけですけど、それでも紀子さんは出産や育児、公務、儀式と勉強のままならない時を過ごすのです。
マスコミがこの頃は非常に気さくでフレンドリーで「けんかをした事ありますか?この際・・・」って。そこで紀子様が「からかった事?」って聞いてます。やっぱりからかってたんだ~~とにんまり。
礼宮;双方からかったり、そういう事は致しましたけれども・・ね?
紀子さん:ええ。
マスコミ:紀子さん、涙を流されたようなことはないんですか?
紀子さん:涙を流した事がございますのが、あの、皆さんご存知だと思いますけれども英国にいらっしゃった日でございます。
マスコミ:けんかじゃないですね。
ほんと。はいはい。好きにして。そうだね~~お見送りで泣いてたね~けんかはどうしたって感じですが。これが一年後になると、同じ質問で秋篠宮が「喧嘩しても、あなた、すぐに謝りますね」と紀子様に言います。紀子様は「えっ」と言葉を失うんですけど。
多分、ちょっとした時間の遅れに秋篠宮が怒って、紀子様は謝ったんでしょう。本当は紀子様の方が怖いと思うけど。
さらに図に乗ったマスコミは「結婚前にタイへ行くという話はないのか」とか意地悪な事を言うのです。礼宮はタイでは超有名で、当時の国王が「実の息子」以上に可愛がっていたし、国民も「礼宮さま大好き」だったんです。今の国王なんて全然人気なかったですしね。
礼宮=タイで、ゆえに結婚式にも特別にシリントン王女が参列したのです。
その後「タイの愛人説」などが出て来るとは考えなかったでしょう。
最後、「本当に失礼な質問ですが、紀子さんは礼宮さまが初恋ですか」
紀子さん:申し上げてよろしいですか。
礼宮:どうぞ
紀子さん:はい。そうでございます。
質問されて驚いた紀子さんが礼宮を見て笑い、礼宮もますます照れている様子が初々しくて好きです
さすがに29歳の小和田さんには出来ない質問ですからね。
人間ね、30年以上連れ添っていると気持ちも覚めるし、喧嘩もするし、すれ違うし、結婚の時はあんなに好きだったのにって思うけど、秋篠宮ご夫妻は変わらず仲がおよろしくて、それは国民の模範となってますよ。
紀子様はより秋篠宮の後ろに隠れるようになってしまい、それはちょっと悲しいなと思うけど。眞子様の事は一日足りとも忘れていない筈ですし、その気持ちを思うと何とかして差し上げたい。
けれど、いつか雪は溶けると思って欲しいです。
なかなか頑固で親の事なんかみじんも考えない平成3年生まれですけど、そんなものだと思って下さい。
本当にご結婚記念日おめでとうございます。