ご日程
両陛下
5月24日・・・天皇陛下 → 通常業務
5月25日~26日・・・両陛下 → 岡山県訪問
・県勢概要聴取
・岡山県立岡山工業高等学校視察
・国土緑化運動・育樹運動ポスター原画コンクール等入賞作品を見る・懇談
・第74回全国植樹祭式典出席
・復興状況等ご聴取・視察
5月28日・・・天皇陛下 → 通常業務
5月29日・・・一家 → ヴィオラスペース2024 vol.32 アメリカン・ドリーム! コンサートⅡ鑑賞
5月30日・・・天皇陛下 → 勤労奉仕団に会釈
皇嗣家
5月23日・・・佳子内親王 → 天皇陛下へ挨拶
5月23~24日・・・殿下 → 茨城県訪問
・水戸市植物公園視察
・「公益社団法人日本植物園協会第59回大会」開会式・表彰式・意見交換会
・研究発表会(口頭)(ポスター)
・昼食会
・水戸城大手門視察
・弘道館視察
5月24日・・・佳子内親王 → 賢所参拝
5月29日・・・殿下 → 「令和6年度公益社団法人日本動物園水族館協会通常総会」出席・昼食会・情報交換会
5月30日・・・殿下 → 「公益財団法人山階鳥類研究所 特定賛助法人懇親会出席
両陛下は地方へお出ましになっても、絶対に施設などは訪問しませんよね。必要最低限の事しかしない。昼食も二人だけでとるし。
被災地も行きたくて行ったわけじゃなく、仕方なくという感じがしました。
池田家への訪問も皇后はついていかない。私には関係ないって感じでしょうけど、こんなの一般庶民でも眉をひそめられる事ですよ。何と言っても陛下の伯母君なんですから。
自分の祖父が死んだ時は家族で行くくせににね。
最初から愛子内親王はいやそうな顔してますね。しかも、何で陛下が真ん中じゃないのかな。まるで小さい頃と同じ並びっていうか、上座が皇后なんですね。
ヴィオラスペースで、愛子内親王は1幕が終わるとさっさと帰宅したようです。映像を見ましたが、途中退出なのににこにこと窓をあけてお手ふりする・・その心境がわかりません。両陛下は2幕まで見て多分そのあと食事かな?
「ますますヴィオラが好きになりました」という陛下の言葉が幼稚園児みたいで腹が立つ。
こればヴィオラを始めたばかりなら許されるけど、もう何十年も演奏していながらこのセリフ。せめて「ヴィオラは奥が深いと感じつつ、これからも演奏したい」くらいは言えばいいのにね。
週刊文春だったかな。悠仁殿下は学校では「ひーくん」と呼ばれてお友達も多く、学友たちは「ひーくんが東大推薦枠に入っても全然おかしくない」「週刊誌に書かれているようなことはない」と言っているにも関わらず、雑誌は「悠仁殿下のトンボの論文は秋篠宮殿下の過保護の証。つまり研究者を読んでやらせている事がだ、と書いています。
しかし、悠仁殿下に専門家をつけたのは上皇陛下なんです。御所に遊びに来る悠仁殿下が虫が好きな事を知って、わざわざ専門家を読んで研究の仕方を教えたのです。これが皇族の学問の始まりなんですよね。
なのに今上は自分で水の分野を開拓したとか書いてて笑いました。
あれこそ、小和田家の援助を受けてむりやり「水の総裁」に押し上げて貰った結果ではないですか?その証拠に今上の「水」に対する認識は、回りと全然違って能天気ですしね。
わりと・・・子供に帰ってる?いやいや、うーんでも。な~~~~~
上皇夫妻、日光訪問
5月28日から31日まで、上皇夫妻は日光へ。
終戦前に疎開先だった田母沢御用邸や、奥日光の湯の湖へいかれました。
田母沢御用邸は日光駅からすぐ近くにあり、私も一度行った事がありますが、本当に素晴らしい建物で現役で使われています。
元々は大正天皇の静養先として作られました。終戦近くでは皇太子の疎開先にもなっています。この御用邸の部屋は沢山あるんですけど、皇太子ですら入れない部屋もあり、部屋の格付けがきちんとしていたと思います。
ここでだったか、奥日光でだったか、皇太子が軍から戦況を聞いて「それをする事に意味があるのか」的な質問をした事があったと記憶しています。当時から特攻とか、そういう合理的でない戦い方には疑問を持っていたんですよね。
湯の湖は今はバス釣りで有名です。陛下が疎開していたホテルはとっくの昔になくなっていますが、それでも宿はどこも素敵で、静かで私は好きです。
しかし、今年は中禅寺湖の水が減って観光船が走れなくなったり、クマが出没したりで大変ですし、インバウンドで宿の値段が上がりすぎて日本人には遠い存在に。私もいついけるんだろうなあ・・・・と。
イチイの木は上皇が植えたもの。
ここでは、ヒオウギアヤメの説明を受け、
上皇「ナスヒオウギアヤメね」
上皇后「ナスヒオウギアヤメ、紀子ちゃんがお印に頂いた」
上皇「そうなの。昭和帝もお喜びになったんじゃない」
という会話が。
上皇の頭の中では、まだ23歳の紀子ちゃんがよぎっていたんじゃないかと。
そんな思い出に浸りつつ、その紀子様に産児制限をかけたことは忘れていらっしゃるのね。
ナスヒオウギアヤメは昭和天皇が晩年に研究をしていたもので、秋篠宮殿下もお手伝いしてて、お妃にはぜひこの花を印にと考えておられたのです。
佳子様はわざわざドアマンに握手を求めました。
ドアマンは感激して言葉もありません。
そういえば、イギリスでドアマンをスルーしようとした天皇の袖を引っ張った皇后がいましたっけね。
その天皇皇后の訪英ですが、このまま消えてなくなりそうですよね。
何と言ってもイギリスでは7月4日の総選挙に向かって走り出していますし。
「国賓」として訪問したい気持ちはあるのはわかる。
わかるけど、大義名分がありますか?
○○周年でもないし。荒らしが佳子様を執拗に「ギリシャは単なる旅行」と言っていますが天皇皇后の訪英こそ、単なる旅行じゃないの?と言いたいです。
ま、行けたらの話ですけど。