1959年11月22日 正月用に撮影された写真
みんな、本当に楽しそうに笑っています。なぜ平成や令和にはこんな写真がないんでしょうね。
今思えば個性が強い義姉とうまくやれたおスタちゃんは偉い!!
1960年2月23日 浩宮誕生
宮内庁病院へ向かう車列
病院に向かう皇太子
見舞いを終えた正田夫妻
記者会見に臨む正田夫妻
祝賀にかけつける高松宮夫妻
両陛下
宝塚歌劇団もお祝い
記者会見の為、宮内庁入りする正田夫妻
天皇家にひどいことされたアピールがすごかった正田夫人ですが、こうしてみるとちゃんと宮様のお見舞いに行けてるし、一体何が不満だったのか・・・
1960年3月12日 退院日
今思えば、牧野女官長が怒って当然の写真ですよね。
生まれたばかりの宮を寒風とフラッシュにさらしているし、「主役は私」とど真ん中が美智子妃だったわけだし。美智子妃からすれば親王をあげて非常に鼻が高かったし、自分の唯一の味方である国民にアピールしたかったのかもしれませんね。
1960年4月12日 賢所皇霊殿に謁するの儀
公開された写真
1960年 ネパール・マヘンドラ国王妃ラトナ陛下と
1960年4月29日 天皇誕生日
1960年5月2日 貞明皇后の大宮御所の跡地に建てられた東宮御所を訪問
1960年5月16日 東宮御所入り
1960年7月1日 両陛下を東宮御所にお迎え
1960年7月18日 那須静養
1960年 夏 浩宮を連れて散策
自転車に乗ったり、殺生石を散策
1960年8月 那須ローンテニスクラブにて
いちゃいちゃと皇太子が美智子妃の手の手当てをする
1960年8月14日 島津夫妻と
実は、夏は皇太子一人で広島へ行ってます。公務ですが美智子妃の同行はなし。
夏中セレブな奥様だったんだなあと。
1960年9月 日米修好通商条約を記念して渡米する美智子妃の公式ポートレート
訪米前の記者会見
1960年9月27日 国務次官と空港で握手する夫妻
アイゼンハワー大統領夫妻と歓談
1960年9月28日 ディズニーランド
ディズニーのアトラクションは・・・お嫌い?「浩宮を連れて来たかった」のでしょうか
ポトマック川を航行するマウント・ヴァーノン号にて
ハーター米国務長官夫妻によるレセプション
ウォルドルフ・アストリアホテルにて
「皇太子明仁と美智子妃、日米修好百周年を記念して訪米中、ニューヨークのウォルドルフ=アストリア・ホテルにて写真撮影。プリンセスは白い足袋と金の草履を履いていた。
明仁と美智子はチャーミングだが全く正反対のパーソナリティを示し、皇太子はシェルターのような長年の皇室暮らしの産物である、抑制されたフレンドリーな威厳を見せている。美智子は平民の生まれで、暖かい格式張らない雰囲気を持っている。ロイヤルカップルの性格は、この稀な公式ポートレイトにキャッチされている。ライフ誌は両殿下がニューヨーク滞在中、撮影の独占許可を与えられた。美智子妃は特にアメリカ人女性に人気で、その人形のような美しさとエキゾチックな日本の衣装でうっとりとさせた。この写真の衣装は、伝統的な帯を結んだモダンなデザインの着物である。」
1960年9月 サンフランシスコのミュアウッズ国定公園訪問
シカゴの科学産業博物館訪問
ニューヨークのザ・ウォルドルフタワーズホテル訪問
ロサンゼルスにて
シカゴのミッドウェイ空港でシカゴ市長夫妻と
1960年10月 ヤンキースタジアムで
ハワイにて
一番最初の写真が一番ぐっと来ました。そうなんですよ!これが「ザ・皇室」なんですよ。威厳がありながら和やかで、自然体のご一家。もう何年、しゃちほこばって正面向いた天皇家のお正月写真のみを我々は見せられてきたんでしょうか。飾っても中は空洞、という気がしてならない昨今です。
清宮(当時)の笑顔が素晴らしい。この方の腰の細いこと!常陸宮殿下も優しい笑顔。いいなぁ~清宮は当時既に婚約しており、翌年3月に降嫁なさっていく。最後の天皇家お正月写真でもあったわけです。お見合い恋愛のような形で、皇室としては理想でしたね。
浩宮殿下誕生でお帰りの有名な写真。美智子様のお顔がキツネみたいに見えます。写真撮影が朝日の記者(マリアベールも撮影した正田家御用達男性)次代の皇太子をお生み参らせた美智子様は、いわば最強のアイテムをゲットしたようなものです。
一つだけ教えていただきたいのです。ネパール国王陛下とのお写真の上のお写真。これ、どういう状況なのでしょうか?女官たちが小袿を着ているように見えるのですが。
皇太子のデレデレ、マイホームパパぶりがすごすぎますが、まあとにかく昭和30年代というのは、皇室に日嗣の皇子が誕生し、若い皇太子夫婦は仲良しで、オリンピックが来るぞ!新幹線もできるぞ!高速道路ができるぞ!と、今日より明日、明日より明後日と「日本はどんどんよくなり生活は豊かになる」という希望を抱ける日々でした。同じオリンピック開催予定でもこんなに違うのかと唖然としてしまいます。
「皇太子妃美智子」という方は、大根ながらも女優です。雰囲気は華やかだったろうと思います。まあこの方のお母さんの写真に対する辛気臭さもまた、群を抜いていますが。
やはり若い時の美智子さまはきれいです。
洋服も自分のデザインの主張が通るようになった時から、奇妙奇天烈路線になっていきましたね。香淳皇后のように、おおらかに、デザイナーにお任せが一番です。
母親の富美子さんは、当事者として、人には窺えしれない理解されない苦しみはあったと思います。そこは分かってあげたいなと思います。
島津貴子さんがテレビで喋っていたのを、見た事があります。すごく頭の切れる聡明な方ですが、でも威圧感がなくて、魅力的な方でした。これぞ皇族という感じでした。ファンです。
この方が男性で皇室に残られていたら、皇室はもっと違っていたのでは。
確か御子息がカメラマンで、カナダ人と結婚されましたよね。全然情報がありませんけど、ハーフの御孫さんと交遊されているんでしょうね。
1日三回お着替えで何日滞在?何組持っていったの?結構イメルダ症候群だったのね(笑)そりゃ悪女だわ(笑)
偶然かもしれませんが、つい目がいってしまうほど不自然な歩き方だったのかなあ、と思ってしまいます。
それにしても正田富美子さんの辛気臭い顔!
お孫さん誕生のお見舞いではなく親しい人のお通夜帰りみたいです。厄を呼ぶ表情ですね。そのせいで徳仁親王は「ケツ二」なんてニックネームをつけられるようなお子に育ってしまった、と言ったら言い過ぎでしょう・・・ね。
東宮御所をお訪ねになったときの香淳皇后、64歳でしょうか。若々しくておきれいですね。肌がとてもきれいな方だったと、どこかで読んだことがあります。
香淳皇后は1903年のお生まれだから東宮御所をお訪ねになったときは57歳でした。
間違えてごめんなさい。
それにしてもお若く見えますよね。
貴子様自然体で素敵です。
いつも本当に有り難うございます。
ふぶき様のお答えでなくて申し訳ございません。
浩宮様の「賢所皇霊殿に謁するの儀」のお写真の小袿の方々は、宮中三殿の内掌典です。
たくさんのお写真、ありがとうございます。
最初のお写真は、自然体で雰囲気が心地よく感じます。
平成以降のご家族集合のお写真は、とても不自然だと改めておもいました。
そして、気になったことは…
お着物の美智子様の、派手なネイル。
皇太子が美智子様のお手を取り、イチャイチャ。
(前に美智子様が皇太子の足をマッサージというのもあり、皇太子ご夫妻なのに、なんと生々しいことかと)
胸元の下がったローブデコルテ。
同じく、ハチマキのようなティアラ。
お着物なのに、カチューシャのようなもの。
どれもこれも品がありません。
でも、、
この頃の美智子様は、本当にお綺麗です。
お洋服もステキで、お似合いでした。
2014年に出ました「一個人」では、浩宮退院の時の写真に「ご成婚後、美智子さまいじめがエスカレート」などと書かれています。いじめられている演出に、牧野女官長の表情は好都合です。
工藤美代子氏の「皇后の真実」にありましたが、宮中の長い慣習で皇子が生まれて50日が経って宮中三殿の参拝が終わらないと写真は公開されず、しかも公開は宮内庁側が写した写真に限られていたのだそうです。
写真を大っぴらに撮らせて下品だとか、風邪でもひかれたらどうするとか、マスコミに媚びを売っているという次元の話ではなくて、宮中三殿のお参りがあるのでこの騒動の本質は信仰のしきたり破りだったのではないでしょうか。
余談ですが、王子誕生をSNSで発表したメーガンみたい、それよりひどいかも。
ともかく、単にいじめられているとアピールしてきた話と随分違います。
宗教的戒律を簡単に破れますか。この方本当に信仰心があるのかなと思うことが多いです。
どうして宮内庁はここで「ダメなものはダメ!」と押し切ることができなかったのでしょうか。やはり入内前から新聞記者を家に上げていたからこそ、マスコミの力が強くなったのだと思います。
一番最初のお写真、暖かさと威厳を感じさせてくれる美しいお写真の一枚。今はいかにもとってつけたような大根役者揃いで、ただの家族写真。
私もお召し物のとっかえひっかえ、国務次官と空港で握手する夫妻の写真で美智子さんの亀首の気持ち悪さ、見ていられませんでした。
いつも浩宮を抱いている様子を見せつけるような写真ばかり。1960年7月1日 両陛下を東宮御所にお迎えの写真で撮影だけのためにわざわざ高いヒールの靴を履いてポーズをとって。人前でイチャイチャの下品な2人。