1999年5月31日 ベルギー王太子フィリップ殿下を江戸東京博物館に案内
1999年6月2日 オーストリアのクレスティル大統領来日歓迎式典
1999年6月4日 フィリップ王太子を出迎え
1999年6月26日 小和田節子氏の結婚式
1999年8月26日 須崎静養
雅子様の不妊治療は何度も行われていました。
最初は自然に・・・と考えていた医師団も、うまく行かない事に焦り、ついには顕微授精へと踏み切ったのです。これなら男女産み分けも可能ではないかと思われました。
ここまで来ると雅子様も観念したというか、どうしても子供をうまなければならない環境にいる事が理解できるようになりました。
週刊誌は、早々と「妊娠ではないか」と書き立てます。
一体どこからそんな情報を掴んでいるのかわかりませんが、噂が噂を呼び誠しやかに語られます。
でも日々の公務に忙しい雅子様はそんな噂を気にしている暇はありませんでした。
嬉しい事に双子の妹の片割れ、節子さんが結婚する時はあまりのうれしさに真っ白のドレスを着て行きました。
とはいえ、節子さんの夫になる渋谷健司という人は、結婚前から女性スキャンダルが報じられるなど少し心配な面もあります。けれど、彼が医師である事に小和田家の人々は信頼を寄せたのです。
とはいえ、本音を言えば雅子様は外国へ行きたいという気持ちに違いはありません。
実はこの年、ドイツ訪問が計画されていたのですが、突如秋篠宮夫妻が行く事になったのです。
雅子様は「行きたい」といい、「妊娠してないからいけるわ」と何度も言いましたが、宮内庁は許しませんでした。
この頃になると雅子様は少しも儀式の手順を覚えない事や非常識な衣装かぶりをすることなどが宮内庁の中で問題になっていました。
中東訪問も震災の後、嬉々として行った事も問題視されていましたし、勿論、馬も貰ってきてしまった事も。
下手に海外に出してどんな粗相をするかわからないお妃。
そしてそんなお妃を導く事が出来ない皇太子様の信頼は地に落ちていたのです。
1999年11月29日 雅子様36歳の誕生日の記者会見
雅子様はドイツに行けなかった事を本当に悔しく思いましたし、許せないと思いました。
けれど記者会見でそんな事は言えませんので「特に、あの 難しい境遇に置かれている人々や様々な困難に直面している子供達には常に心を寄せていきたいと思っております」とおっしゃいました。
12月にはベルギーのフィリップ王太子の結婚式に行ける・・・それだけが心の支えです。
本当は11月下旬に微熱があったのですが雅子様はまだその事を秘密にしていました。
1999年12月1日 ヨルダンのアブドゥラ国王とラーニア妃来日
何だかこの頃、雅子様はやたらだるくて眠かったのです。
でも大好きな海外の要人ですから張り切ってお迎えもしたし、晩さん会にも出席しました。
そしてその後、侍医の診察を受けました。
侍医は信じられないというような顔をして雅子様を見ました。
「ご・・ご懐妊です」
ああ・・ついに雅子様はご懐妊されたのです。
一瞬、雅子様の回りは喜びに沸きました。すぐに皇太子様にお知らせしようとすると、雅子様は真顔で止めました。
「あの、ベルギーには行けますよね」
侍医は口をぽかんと開けてしまいました。この期に及んでまだ外国に行きたいとは。
「まだ1週目か2週目に入る所ですし、恐らくは飛行機に乗られても大丈夫とは思いますが、年齢的な事を考えると賛成は出来ません」
「大丈夫なんでしょう?そうよね?ベルギーに行けるわよね」
上目遣いににらみつけるような雅子様の視線が怖くて侍医も女官も震えあがってしまいました。
「とりあえず、皇太子殿下とご相談を」としか言いようがありませんでした。
懐妊の知らせはすぐに皇太子殿下に知らされ、殿下は嬉しそうに「よかった」と胸をなでおろしました。
しかし、雅子様はベルギーへ行くと言い張ります。
「でも、雅子、万が一の事があったら」
「だって私、自覚症状がないのよ。つわりもないし、お腹も大きくなってない。本当に妊娠したって言える?普段と何も変わらないのよ。だからベルギーへ行けるわ」
「雅子・・・・」
皇太子様は困り果ててしまいました。
確かにごく初期と言えば初期ですから大丈夫なのかもしれない。
皇太子様はどうしたらいいかわからず、宮内庁の幹部にだけ相談をしました。
「外遊はダメです。中止しましょう」と幹部の一人は言いました。
「殿下、雅子様は年齢的な事を考えても今回の懐妊は大事な事です。もし万が一の事があったらどうするのですか」
「でも、ずっと海外へ行きたがっていたし、本人は大丈夫と言っているし」
「お世継ぎになるかもしれないお子ですよ。万が一の事があったら」
議論をしている所に突然雅子様がドアを開けて入ってきました。
顔はもう涙にくれています。
「私、ベルギーへ行くから。行かせないなんて許せない。ドイツだってダメって言ったでしょ?私がどんな思いだったかわかる?どうしても行かせないなら死んでやるから」
雅子様はテーブルを叩き、そのこぶしは皇太子様に向こうとした時です。
「わかりました。では侍医を同行させましょう」
皇太子様が怪我でもしたら大変です。
その前に雅子様が興奮のあまり流産などしたらもっと大変です。
とんだ修羅場になってしまいましたが、このようにしてついにベルギー訪問が実現したのです。
12月3日、皇太子ご夫妻は飛行機に乗りました。
ご懐妊の事は外務省にもベルギー大使にも秘密です。
雅子様は上機嫌で飛行機に乗り込みました。
ベルギーはとてつもない暴風雨でしたが、雅子様は嬉しくて天気の事なんかどうだっていいわと思っていました。
レセプションでは普通にワインを飲み干しました。
雅子様はワインもシャンパンも大好きだったのです。
王室の方々にも式を前にして会う事が出来ました。
フィリップ王太子は皇太子様と仲良しで話が弾みますし、新しいお妃になるマチルドさんも優しい方です。
国王陛下も王妃様も日本がベルギーと特別仲がよい事がわかっているのでお茶にも呼んで下さいました。
そこで雅子様は話が弾み「日本の皇室は本当に古い体質でベルギーのように開かれないといけないと思います」とおっしゃいました。
「それはどんな事が?」
「そうですね。古い神様をまだ信じていてアニミズムがまだ大きな儀式の中心になっているんです。公務も国内のものばかりで、海外との皇室外交があまり出来ていません。私は皇室外交をする為に皇室に入ったのですが、なかなか外国に行かせて貰えませんでした。だから今回は本当に嬉しくて」
頬を紅潮させ、雅子様はこの時とばかりしゃべくりまくりました。
「思えば長い道のりでしたわ。このベルギーに来るまでヨーロッパ訪問が許されなかったなんて、そんな事ってあると思いますか?」
「まあ、そうなの。私達、両陛下とはお会いしているけど」
「両陛下は海外旅行を独り占めしているんです」
これ以上は会話が続かないなと思ったので、王室の方々はシーンとしてしまいました。
「皇室外交が出来ると思って結婚したのに、まさかそれより儀式だとか祈りだとかそんな事ばかり言われるなんて。これってまるで結婚詐欺ですわね」
「まあ、それはいくらなんでも」
となりの皇太子様は聞こえないふりして笑っています。
この時の雅子様の愚痴は、のちに両陛下に伝えられました。
1999年12月4日 フィリップ王太子結婚式に出席
雅子様は、この日、赤い衣装をお召しになる予定でした。
でも絨毯が赤い事を知って、突如「青の服にします」と言い出しました。
女官達はちょっと慌てました。
雅子様が持っている青の服は、いわゆるロイヤルブルーで、イギリスの王族が着る色です。
今回の結婚式にはイギリスからも出席しています。
彼らを前にしてロイヤルブルーを着るのはまずいのではないかと思われたのです。
でも雅子様は「ロイヤルブルーがイギリス王族専用の色って事はないわ。馬鹿馬鹿しい」とおっしゃってその服をお召しになったのです。
その日、雅子様はベルギー大使の兵頭氏に
「おいしいレストランはあるかしら」とお聞きになられました。
兵頭氏は「ちょっと遠いのですがお勧めのレストランがあります」とお教えしたのですが、
「行きたいわ。予約してくれない?」と言われたので、慌てて電話をします。
OKが取れたので、翌12月5日、兵頭大使の案内でヨーロッパ一小さくて美しい街である「デュルピュイ」に向かいました。
その町は、テレビで皇太子夫妻を見たのか村長まで出て来て大歓迎してくれました。
皇太子様も雅子様も笑顔で応え、レストランに入ります。
兵頭大使は(雅子様は本当に酒が強いな)と思いました。
というのも前日は大使公邸に宿泊したのですが、夫婦でワインを何本も空けます。
皇太子様は酒豪で知られていましたけど、まさか雅子様までとは。
そう言えば、公邸でもムール貝を山盛りにして出したら、手でむいて一生懸命に召し上がってたな。フライドポテトさもおいしそうに召し上がって・・・・
レストランでもワインを注文され、おいしい料理を次々平らげていきます。
「こっちのを食べてみる?」と皇太子様がおっしゃると「ええ」と雅子様が答えます。
そこで皿を交換して食べる姿にはシェフ達はちょっと怪訝な顔をしました。
明らかにマナー違反だったからです。
でも皇太子様は「私どもはよく別のメニューを頼んで半分ずつ分けます」とおっしゃるので黙っていました。
寒いベルギーの小さな町で雅子様は自分が皇族である事を忘れていました。
でも最高のおもてなしを受けられるのはやっぱり自分が皇族だからなんだと再確認しました。
雅子様達は後ろ髪をひかれる思いで7日に帰国。
両陛下はこの時、挨拶に来た東宮夫妻を見て、初めて「懐妊の兆候」を知りました。
「なぜ早く言わなかったのだ」と陛下は怒り心頭。
皇后陛下も唇が震える程お怒りでした。
「すみません。雅子がベルギーに行けなくなったら可哀想だったので」
「世継ぎを何だと思っているんだ?自分の歳を考えなさい」
そう言われると皇太子様は黙るしかありません。
雅子様は「無事に戻って来たのだからいいではありませんか」と言いました。
「そういう話ではない。皇太子夫妻には世継ぎが必要、それを最大限に考えないといけない事がわからないかい?」
雅子様はぷいっと横を向きました。これだから日本は・・・
1999年12月10日 朝日新聞スクープ「ご懐妊」発表
その日、小和田邸に取材がくると優美子さんは「もし違っていたら妃殿下がお可哀想」とおっしゃいました。
その予想通り、この10日の段階で雅子様の体は異常をきたしていたのです。
1999年12月13日 宮内庁病院へ
超音波検査をする為に宮内庁病院へ雅子様は皇太子様と一緒に向かいました。
しかし、その時はこれまで誰もやった事のない車にカーテンをつけ、一切中が見えないようになっていました。
小和田氏取材を受け、わりとご機嫌な様子だったのですが、検査の結果「稽留流産」である事をしると、とたんに不機嫌になりました。
両陛下だけでなく、小和田氏も相当な怒りでした。不妊治療の最中にみごもったのに、それを第一義としなかった情けない娘。
しかも、どうやら男子だった様子。
その落胆ぶりは見るも無残なものです。
1999年12月30日 雅子妃7週目で流産が発表
マスコミは大騒ぎしたせいだと雅子様は嘆き、恥ずかしさのあまり、部屋に引きこもってしまいました。
無事に出産されていれば、2000年生まれの親王でした。
東宮(当時)が親王に恵まれなかったということが、
その後の皇室の迷走につながっていきます。
呑む打つ買うじゃないけど、悪い行いが三拍子揃った女の人です。
会見にしてもなんにしても、この女の人の歪んだ口元が大嫌いです。
まぁ、断念してもやけ酒で同じ結果だったかも。
そうなったら、もっと荒んでいたか。
稽留流産って、胎児は死亡しているが、出血・腹痛などの症状がないなど 自覚症状がないのですね。
ベルギー訪問中に症状を伴う流産をしなかったのが、せめてもの救いだったか。
妊娠しているかしていないかに関わらず、当時の皇太子夫妻のベルギー訪問時のお振舞いには首をかしげてしまうし、雅子さまのお世継ぎを産む重要性の認識が著しく欠けていたことが残念でした。
わたしは自称人権のまちで「雅子さま」に似た人を何人も知っていますが、性格が悪いせいか誰も結婚していません。
ふぶきさまの説明を読むと結婚してはいけない人だったとつくづく思います。
この方の和服姿を見る度に「似合わない」やはり肩の張った例の民族の方とつくづく思います。
差別特権の自称被差別民も実は秀吉が朝鮮から奴隷を連れて来て日本で平民の地位を与えた、と聞くと納得しました。
例の国の人は日本人の弱い者は嬉々として虐めを行うのに、自分が叩かれると簡単に「心の病」に成るのです。
日本人に虐められたからと、日本人の保険、血税でダラダラと引き篭もりになり日本の悪口で小銭を稼いでいる奴もおります。
本当に日本の不幸は例の国、そして一番の敵は日本の不幸をいつも願い小麦粉の為に美智子さん、天皇家根絶の為雅子さんを皇太子妃にしたアメリカです。
次々と書かれておられる事私は今まで知らない事ばかりでした。
こんなに雅子様はお子様をお産みになることを軽んじていたんですか。
しかも稽留流産されてますよね。
流産する子供は男の子が多いと聞いてはおりましたがやはり男子だったようですね。
本当にこのワカラズヤの雅子様には皆引っ掻き回されますね。
しかもご自分の為にも何もならないことをやらかしてご実家のお父上はガッカリどころではなかったでしょうね。
夫である当時の皇太子さまがもっとピシッとしていたらと思わざるを得ません。
渡欧せずにお留守番していても流産は免れませんでした。
しかも、このぐらいの週で性別が判明するのは不可能です。
とはいえ、お妃の初産が高齢出産より若ければ若いほどいいと思います。
親王殿下には心身ともに是非健康で若いお妃を。
結局、この時のお子さまは生まれてはならない方だったのだと思います。
理由は、ご両親にあります。妃が妃なら皇太子も皇太子という。
雅子さまの信者たちは、朝日新聞社にご懐妊情報を流したのは紀子さまだと発狂していました。
朝日新聞社なら、あの方では?まぁ、いいか。
という重要な立場をわかっておらず
妊娠初期に海外渡航という行動に出たのは
非難されることではありますが
この時期、流産した子の性別が
わかるものでしょうか?
以前から「雅子さんの流産した胎児は
男児である」とまことしやかに
ネットで断定するような記事が
繰り返し載りますが
少なくとも宮内庁からそのような正式発表は
無いですよね。
「男児が産まれてほしい」という願望が
強いあまり
「男児なら良かったのにね」→
「おそらく男児だったに違いない」→
「男児だと判明した」…
と尾ヒレがついて広まってしまったのでは?
雅子さんの行動を擁護するつもりは
ありませんが
流産児が男児だと根拠もなく断定するのは
よろしくないと思います。