ふぶきの部屋

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敬宮の称号が消えたわけ

2013-11-27 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 お題を頂きましたので、みなさんと一緒に議論しましょう。

 

 両陛下が「敬宮」ではなく「愛子」と呼ぶのはなぜ 

 称号 → 天皇・皇太子の子女にのみ名前の前に付くもの。

  例 浩宮徳仁殿下

     礼宮文仁殿下

     紀宮清子内親王

  現在、皇族で称号があるのは「敬宮愛子内親王」ただ一人。

 

 宮号 → 宮家として独立した時につく呼び名

 例 礼宮 → 秋篠宮

 皇族は苗字を持たない

 なので、サインする時は「徳仁」とか「文仁」とか書きます。

 紀宮が学習院に入学した時、呼ばれたのは「清子内親王」

 でも、一般的には「紀宮」で、決して下の名前を呼ぶという事はありませんでした。

 個人的に私が香淳皇后の名前が「良子」と知ったのは随分大きくなってから。

 当時「皇后」と言えば一人しかいないので、今のように「美智子皇后」とか

 「良子皇后」などとは「呼ばなかったのです。

 前例からいくと、愛子内親王の場合、学習院初等科で呼ばれるときは

 「愛子内親王」の筈でしたが、確か「敬宮愛子ちゃん」と呼ばれたような気がします。

 悠仁殿下も同様で「秋篠宮悠仁君」と呼ばれ、称号や宮号が苗字のように

 扱われています。

 両陛下が皇太子時代、お子様方の事は全て「称号」で呼んでいました。

   昭和天皇もそうです。

  現皇太子は内親王が生まれた時から「愛子」と呼んでいましたね。

 

 「敬宮愛子」というのは誰がつけたか

基本的に皇太子夫妻が共同で・・・という形になっています。

内廷皇族の名前は慣例として天皇が中国の詩や古文から一字をとりつけます。

そういう形になっています。

しかし、愛子内親王の場合は「両陛下の配慮」で皇太子夫妻がつけたと言われています。

人に尊敬され愛されるような人になって欲しい」から

「敬宮愛子」・・・敬天愛人からとったのは一目瞭然ですよね。

この名前を聞いた時、正直私は「今時、こんなセンスのない名づけをするとは」と

驚いたものです。皇室の慣習も無視していました。

なぜなら

 愛子・・・通常、漢字をそのまま読ませない。「眞子」も「佳子」もそのまま読みではないし

       悠仁親王もそう。なのに、将来「天皇の娘」になるこの姫は、漢字をそのまま

       読むのです。

       また「愛子」は大正天皇の生母「柳原愛子(やなぎはらなるこ)」と同じ名前です。

       生母といっても側室ですし、その方と同じ漢字をそのまま読ませるという事に

       違和感を覚えました。

この、皇族らしからぬ慣例を無視した名づけは一体誰が?

そこで浮上するのが小和田恒氏です。

小和田恒家では 小和田 優美子・雅子・礼子・節子で語呂合わせで

優雅礼節」と呼ばれます。そこに「敬愛」が入ったと考えれば、一般的には

「まあ、素敵な語路合わせね」って事になるでしょうか。

漢字を単純にあてはめる事とか、高尚な古文を持ってくるわけでもなく慣用句的に

語呂合わせをする所とか、非常に小和田的ですよね。

ゆえに「敬宮愛子」というのは小和田恒氏の考えが十二分に反映されているのでは

ないかと思います。

 お印 → 皇族が個別に持つ紋章。道具等につけて区別をはかる。

 眞子内親王 → もっこうばら

 佳子内親王 → ゆうな

 悠仁親王 → 高野槇

 愛子内親王 → ゴヨウツツジ

秋篠宮家の3方のお印はそれぞれ意味があり、非常に意義のあるものですが

愛子内親王のゴヨウツツジは・・・・今一つピンとこないですよね。

ちなみに紀宮のお印は「ひつじグサ」で美智子妃が昭和天皇に「これはなんでしょう」

と聞いて教えて貰ったもの。紀子妃の「ヒオウギアヤメ」は昭和天皇の最後の

研究対象でした。

雅子妃の「ハマナス」も意味不明ですがゴヨウツツジもどこか一貫性がないと思うのは

私だけでしょうか。

 

基本的な慣例からすると愛子内親王は雑誌でもテレビでも「敬宮様」と

呼ばれるのが普通です。

 

  呼称変更の流れ

2003年・・・天皇陛下「一家の嬉しい出来事として敬宮の誕生がありました」

              「敬宮は健やかに1年を迎え」

2005年・・・皇后陛下 「敬宮は楽しそうに砂で遊んでいました」

2006年・・・皇后陛下(10月) 「敬宮は背もすくすくと伸び・・・」

 

2006年 11月11日。着袴の儀

 

2006年・・・天皇陛下(12月)「愛子の様子について・・・」

以後、ずっと「愛子」です。

現在、「敬宮」と呼ぶのは秋篠宮妃のみ。

 

 着袴の儀の疑惑

こうしてみると、「着袴の儀」を境に「敬宮」→「愛子」に変化した事は確かのようです。

というか、一般庶民にはそうとしか思えず。

じゃあ、なぜそこで変わったかという話。

 愛子内親王は着袴の儀を行っていない?

その昔、親王にせよ内親王にせよ「宣下」を受けなければその地位にはつけませんでした。

大昔は出生しても死亡率が高かったからかなとも思うし、沢山子供が生まれて

全部を認知してたら予算が大変だった・・・というのもあるでしょう。

いわゆる「着袴の儀」というのは、親王・内親王が無事に5歳を迎え

ここまでよくぞ生きてこられた・・・という万感の思いと同時に、ここからが本物の

「皇族への道」が始まるという意味もあるのではないかと。

「赤ちゃん」から「子供」になる節目ですね。

 

その儀式を愛子内親王は行っていないのでは?という疑惑があるのです。

理由その1・・・公開された映像はリハーサル映像で、お付の女性が女官ではなく

         「出仕」の立場の人だった。

理由その2・・・着袴の儀には同席する皇族がいるそうですが、愛子内親王の場合

         それが誰だかわかっていない。いなかった可能性が大。

理由その3・・・2008年にデパートで開催された天皇家のお子様方の

         「着袴の儀」の小物類の展示。浩宮・礼宮・紀宮の扇と巾着、

         眞子・佳子内親王の檜扇が展示されたいた。

         この時、悠仁親王の「5月の節句祝い」の兜と、愛子内親王誕生時の

         「犬張子の人形」も展示。しかし、内親王が使った筈の扇や巾着の展示がない。

 

つまり、リハーサルだけして実際には当日、着袴の儀をせず道中着のみをきて

東宮御所の玄関に出て来たのではないか・・・・との「疑惑」があるわけです。

通常、着袴の儀の装束は両陛下から賜るもの。

しかし、あのピンクと黄色の・・・日本ではありえない配色の道中着は誰から送られた

ものだったのか。あれはかなりの略装に見えるんですが。

ではなぜ、そんな「嘘」をつかなければならなかったのか。

その理由はまさに愛子内親王の「障碍」であるといえるでしょう

 

長時間じっと着付けする事は普通の子供でも大変なことですが、まして内親王は・・・

という事だったのではないかと。

ゆえに、母である雅子妃の服装も略装だったのでしょう。

 

東宮家が愛子内親王の「着袴の儀」を本気で行おうとしていたかは疑問が

残るところです。

ネットで「愛子ちゃん、もうすぐ6歳になるのに着袴の儀をしないの?」なんて

話が流れ始め、皇后陛下の誕生日文書に「敬宮は着袴の儀です」と書かれ、

慌てて準備を始めたのではないかと。

皇后陛下がそう書かなかったら、もしかしたらスル―されていたかもしれません。

小和田家はそもそもそういう節目の「儀」には無関心ですし、日本的な事は嫌いな

メンタリティの持ち主ですから、「面倒な着袴の儀なんか古臭い」で押し通そうと

したのかも。

でも、両陛下としては「着袴の儀」を境に、障碍をカミングアウトして、ゆるやかな

内親王教育に向かっていけばいいと思われていたのかも。

しかし、あのような形で曖昧に終わらされた事に大変な失望感もあったでしょうし

これでは正式に「内親王」の扱いをするわけにはいかないと思われたのかも

しれません。

以後、両陛下は二度と「敬宮」と呼ぶこともなくなり、参内せよともおっしゃらなくなった。

いわば「外孫」のような扱いとでもいいましょうか。

 

どれも憶測でしかありません。

ただ一つ確かな事は「着袴の儀」を境に「敬宮」→「愛子」に変化した事。

それは一般人が考えるよりもものすごく大きく深く重要な意味を持つという事。

イギリスでも「タイトル」とうのは権威の象徴ですよね。

その昔、エジンバラ公が結婚する時「プリンス・コンソート」の称号が与えられず

絶望したのは有名な話ですし、ダイアナ妃も最後まで「ロイヤル・ハイネス」の

称号に拘った・・・・

称号があるのにそう呼ばれないというのは、皇族にとって致命的な事なのでは

ないかと思うのです。

まあ、今時の方々は「秋篠宮家の眞子ちゃん、佳子ちゃん」だから

東宮家の愛子ちゃん」なんだろうと簡単に考えるでしょうが

それこそがおかしいわけで。

三笠宮家の容子ちゃん」だから「東宮家の清子ちゃん」なんて感覚が

あったでしょうか?ないでしょう?紀宮は紀宮ですよ。今も昔も。

 

さて・・・後々皇太子が天皇になると秋篠宮はどうなるか。

どうもならないのです。現皇室典範には「皇太弟」の規定はないので

今のまま。悠仁親王は「秋篠宮家の悠仁親王」になります。

やがて秋篠宮に皇位が巡ってくれば、その場で称号が与えられるでしょう。

が、そうでなければ悠仁親王は珍しくも称号を持たずに一気に天皇になる

親王という事になるのです

まあ・・・こういっちゃなんですが、東宮家自らが「称号」の権威を貶めた結果

そんなものあってもなくてもいいわーーという雰囲気になってる事は確かです。

悠仁親王は、今は「秋篠宮悠仁君」でも、いつかきっとそのノーブルなお顔立ちと

雰囲気で「プリンス!悠仁さま」と呼ばれる日が来るでしょう。

意外にそのころには古い呼称が見直されてマスコミも「さま」じゃなくちゃんと

「親王殿下」「内親王殿下」を頻発するかも。

 

 

 

 

 


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26 コメント

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Unknown (うさのうさみみ)
2013-11-27 08:00:03
ふぶき様、よく精査なさいました!
そう、敬宮の称号は全く聞かれなくなりましたね、確かに「あのとき」から・・・
両陛下はきちんと区別なさっておられるのかも知れません
皇族でありながら称号を軽んじたつけは大きいかも
もちろん交代しさん達は全く考えてないでしょうが、困ったものです
返信する
Unknown (雪ぐにそだち)
2013-11-27 12:35:47
あの時からなんですね。

天皇皇后が愛子と呼ぶことに違和感を感じていました。
ある日突然に。

色々なサインに気がつかないのか
自分たちが最上位と考えているのか…
あの夫婦とその取り巻きにどうか罰が当たりますようになどと考えてしまいます。

他の方のブログで雅子の会見の言い回しのおかしさを指摘していました。
本当におかしな日本語です。
あの、何度も何度も同じ言葉を繰り返すのはなぜなんでしょうね。
愛子の英語を皇太子が絶賛て…
皇太子の英語じたいどうなの?って思うんですが。
だんだん綻びが見えてきましたね。
足掻けば足掻くほど沈むのに。

被災地に赴かれたケネディ大使
東宮のやっつけ公務より被災者に寄り添ってましてね。
恥ずかしいなぁ、あの夫婦。
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宮様の称号 (きび)
2013-11-27 12:40:50
私は 難しいことは全く知らないのですが 漠然と 皇室では お名前を難しい読み方にするのだなと思っていました。
「良子」と書いて「ながこ」。「清子」と書いて「さやこ」と読むというふうに。
ですので 「愛子」を「あいこ」は まんまじゃんと 驚きました。
後年 OWDパパが付けたと知り 呆れてしまいました。
称号を呼ばないということには 大きな意味があってのことなのですね。そんなことにも気づかないでいました。
着袴の儀から 「敬宮」が消えたといことは 宣下を受けていないから?
皇太子夫婦が その儀式を軽んじたから 陛下は 称号を外された。
宮として 認めていませんよということではないでしょうか。
うさのうさみみ様が お書きのように 皇太子夫婦は きっとそのことに 気づいてもおられないでしょうね。
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はっとしました (スノウ)
2013-11-27 14:50:27
着袴の儀はなかったのではというご推察に、驚くと共に納得してしまいました。

納得させられるような東宮家なのが悲しいですが。ド庶民の我が家でも、子供の七五三に向けて何ヵ月も前から、祖父母らの日程調整、自分と子供の着物の確認、美容院や写真屋の予約、当日のスケジュールが無理がないかの確認、子供の体調管理など神経を使っていましたのに。

本当に庶民以下ですね。

お気の毒なのは愛子さま。両陛下からはやむを得ずとは言え外孫扱いをされ、両親から内親王に相応しい躾もされず、かといって療育も受けさせて貰えない。

返信する
紀子様が (辛子サブレ)
2013-11-27 16:05:43
2chなどでは唯一紀子様だけが「敬宮様」と呼んでいて、その紀子様が「愛子様」と呼んだらそれが合図だーって言われてますね。
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矢張りそうですよね! (重陽)
2013-11-27 17:42:29
着袴の偽の時」に受けた物凄い違和感。
その後、陛下が「愛子~」と御呼びになった時の衝撃。
最近の敬称へのぐずぐずな対応。
私のイライラ・鬱々を、ふぶき様が全部、文章にしてくださいました。
有難うございます。
返信する
Unknown (ふぶき)
2013-11-27 18:19:27
>うさのうさみみさま
どう考えても「着袴の儀」以外ありえませんね。
でも東宮夫妻は自分が「愛子」と呼んでいるから
違和感なしなんでしょうね。

>雪ぐにそだちさま
あの日本語のまずさというのは、自分の考えを
きちんとまとめて言うという事が出来ないって
事ですね。

>きびさま
そうですね。内親王や皇族や華族の名前は
素直に読まない例が多いです。厄除けだったかな?
称号は誰でも持つものではないから重要なのに
わからないなんてねえ・・・・

>スノウさま
あの黄色とピンクの道中着が全てを語って
いるのかも。

>辛子サブレさま
おおっ!なるほど。

>重陽様
いえいえどういたしまして。
後々まで「着袴の儀」の扇や巾着が出てこなかったら
確定ですね。
売っちゃったのかもしれないし。
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名はーーー。 (mituba)
2013-11-27 20:01:58
ドス子さんブログで
「愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之。」『孟子』離婁章句下
 人を愛す者人恒(つね)に之を愛し、人を敬う者人恒に之を敬う。

実父・小和田恆氏の名前が東宮家内親王に繋がるという点も、宮号と名が選ばれた経緯を考察する上で実に興味深く思われる。
とありました。
孟子というところがなんともーー。意味なんか全然理解していないでしょう。単なる記号。漢字は意味があるのに、東大なんてのも単なる??
内親王なのになんで嫁さんの実家の名前の流れ??
と思ってましたけど。
私も、両陛下が呼び方を変えられて、あの頃どうしてとおもったものです。深い洞察に納得。ありがとうございます。
外孫っていうか、言ってはなんですが、イソノさんとこみたい。おとうさんを除いてはーー。
ときに車で今の位置に押し込められたのはいつごろでしたか??私はよく覚えていないのですが、いくら何でもと思ってました。完全にーー状態。東の宮にふけいな大和田家。
そういえばいとこのーーーも呆れました。完全にマインドコントロール。
『かあさんのあの素敵なかんむりどこに行ったのでせうか。』
この間テレビでやっていた人間の証明 録画で見てしまいました。クスッ。
返信する
マスコミにも (Emi~)
2013-11-27 20:21:26
庶民に解りやすいようになのか意図ありなのか私が記憶してた皇室の方々の呼び方はちゃんだのさまだの無かったはず、敬意も重みもすっ飛ばしな最近にそりゃ日本語もおかしな世の中になるわけよと思いますね…

末の悠仁との皇后陛下のお言葉にもえっ…とも思いましたが愛子には…ふぶき様の仰る通りではないかとけっこう感じてる者多数です

陛下から頂いた物も愛子ちゃんだけ無い…ナルマサも必要なしで愛子ちゃんは必要の意味も解らずで何ともないわよ~てな感じなのでしょう
他の方もコメントされてる通り間違いなく…売っぱらってますねw仏像売ったアホ坊主が捕まってましたがナルマサもと切に願ってます…
返信する
英語で直訳すると (みかん)
2013-11-27 21:20:29
「愛子」英語で1文字ずつ直訳すると、天皇家にとってちょっと不思議なお名前になりますね。雅子さん気がつかなかったのかなぁ?
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