サンデー毎日に載った「旧皇族に継承順はなかった「有識者会議」の牽強付会」
なんですけど、森暢平氏の論文。
さっぱり意味がわからなくて。
要は「有識者会議が旧宮家を養子にしようとするのは間違っている」と言いたいらしいのです。
有識者会議の言う「日本国憲法及び現行の皇室典範の下で、皇位継承資格を有していた方々であり、その子孫の方々に養子として皇族となっていただくことも考えられるのではないでしょうか」
戦後の臣籍降下時、当時の皇太子明仁→常陸宮→秩父宮→高松宮→三笠宮→寛仁親王・・・の次に継承権を持ってたのは山階宮武彦であるということ。
かみ砕くと
旧典範ではなく戦後の新典範において、山階武彦王が皇位継承順位7位だったんだよ・・と解釈します。
山階宮武彦王
この方ね。昭和天皇のいとこにして、海軍航空隊に所属した「空の宮様」
森暢平の言い分
旧典範では「嫡出」「庶出」があり、嫡出が先に継承権を持つ。
伏見宮邦家王の子供達がそれぞれ宮家を創設
本来の継承順位は伏見宮家が先に来る
ゆえに伏見宮博明王が7位の筈。
かみ砕くと
山階宮は邦家王の側室が生んだ子の子孫なので、本家本元の伏見宮博明王が先に皇位継承順位が来るはず。
ここまで大丈夫ですか?
次ね。
戦後の11宮家は博明王以外は庶出だった
新典範により、全ての宮家を「嫡庶関係ないみなし皇族」とする
昭和22年の公示は「伏見、山階、賀陽、久邇、梨本、朝香、東久邇、北白川、竹田、閑院」の順になった。
宮家にとって席次が重要なのに、皇位継承順位順ではなかった。
ゆえに11宮家の皇位継承順位はなかった
かみ砕くと
最も大事な「皇位継承順」に並ばなかった11宮家には継承順位がついていなかったんだよ。
だからどうなんだ!って話ですけど、話はこれからです。
大正9年「皇族ノ降下ニ関スル施行準則」が制定
伏見宮邦家から数えて5親等離れた子孫は、皇籍を離脱することが決まっていた
戦後の臣籍降下はそれを早めたにすぎない。
かみ砕くと
そもそも11宮家なんて臣籍降下するしかなかった皇族なんだよ
って事です。
ここが一番言いたかったみたいです。
何を今更・・・・って感じですが。
継承順位7位?まあ後の桂宮様御誕生前ですからね
その後公示された宮家の順番もわかりませんよね、それぞれのお家で何代目になってるかわかりませんもの
調べる気もないけど、やはり近い順はあるでしょう
ただあまりにも皇統から遠いのはおかしいと思います
崇光天皇~1351からでしょう
内親王降家によって血を濃くするのならば女系宮家の方がわかりやすいと思うな
男系優先、これは絶対、しかしどうしてもどうしても内親王しか生まれないならばそれが皇祖神の御意志だと思う
文仁親王が皇位につかれることも神の采配、悠仁親王御誕生に神の守りをみた
しかし悠仁親王にもしも内親王しか授からないとしたらそれが神の意思ではないかと思う