ある程度の批判コメントもアップする・・・というスタンスが今回は裏目に出たようで、人様によっては「もうふぶきの部屋はみない」という方も出てしまいました。
どこまで本気なのか?裏に何かあるかなと思っても、巧みに隠していて瞬間わからないコメントもあります。
だけど、どうもこれは「ふぶきの部屋」潰しという事です。
回答しなくていい質問、ちょっと不愉快な質問、こういうのはスルーしてね。
確かにふぶきの部屋には独特の言い回しがあるので、それが嫌なら見なければいいし、違和感があるなら見なくていいし。
秋篠宮家の皇統を守ろうとするブログは非常に狙われやすいので、皆さまにもご協力頂ければ幸いです。
ご日程
天皇家
10月4日・・・天皇陛下 → 国会開会式
通常業務
10月5日~6日・・・両陛下 → 佐賀訪問
・総合開会式出席
・県勢概要聴取
・バレーボール観戦
・肥前浜駅・HAMA BAR
10月8日・・・天皇陛下 → 通常業務
10月9日・・・天皇陛下 → 通常業務
6日。いわゆる「お立ちより」が3回あるんですけど多すぎじゃないか?
一般人ならともかく天皇皇后ですのでね。
バレーボールの会場にも4分遅刻して、そこから20分くらい試合見にでず、その後30分見て試合の途中で帰ってしまった。お手ふりとかしたので、試合中の選手が動揺してボールを落としてしまった。
皇嗣家
10月4日~5日・・・両殿下 → 京都府訪問
・特別展「京都府立植物園開園100周年記念「植物園のはじまりと100年の森」
・京都府立植物園
・夕食会
・京都府立植物園開園100周年記念式典」
10月6日・・・佳子内親王 → 「ガールズメッセ2024」出席
10月7日・・・両殿下 → ICA海外協力隊(令和6年度第2次隊派遣隊員(二本松訓練所)193名)に会う
佳子内親王 → 「三菱電機ビルソリューションズ全日本テニス選手権99th」観戦
10月10日・・・殿下 → 長寿善行者に会う
佳子様のターコイズブルーと茶色の組み合わせ、私は好きでこの色味でバッグを縫った事あります。宝塚でも使っている配色ですよね。
秋篠宮両殿下は、主催者らと食事会をされますが、両陛下は二人きりでこもってます。昔からそうだから仕方ないんだけど、こういう小さな所から、敬愛って失われていくんじゃないでしょうかね。
愛子内親王 柔道観戦
やっと年齢相応のスタイルでよろしいと思ったけど、ネックレスがパールって。こういう時はペンダントの方が。ブローチの付け方は上皇后を見習っているのかしら?
手に握りしめているのはハンカチというよりもうタオルっぽいですよね。
初めてのお一人の公務で本人より回りが疲れたと推察します。
初めまして。
いつも興味深く読ませて頂き有り難うございます。
常に皇室に対する配慮を持った表現に努めていらっしゃるこのブログに対しても、悪意(焦り妬み羨み)を持った人や情弱の人達には憎悪の対象でしかないのでしょう。
今まで真実を語る数々のブログが消えてしまっていますが、ふぶき様のブログ始め、正しい皇統を守り、皇室をお守りする力が消えてしまわないよう心から願っています。日本が日本で無くならないように。
これからも応援しております。
いつもブログを拝見させていただいております
私が皇室のことに興味を持ったのは、幼い頃からですが、あれ?って思ったきっかけは、浅田真央ちゃんのことからです
最初は上皇様や美智子様を素晴らしい方と思っていましたが、今はもう、、、です
秋篠宮様、紀子様はご結婚する前から憧れ、美しい方と思っています(今40代後半)
今の天皇皇后のお二方、正直婚約の時から、え?嫌な感じ、と
先日の佐賀の開会式、たまたまテレビをつけたら、天皇が挨拶を終えるところで、
隣にいる皇后の顔を見たら、寝そうになっていました
こういう姿を見て、眠そうだと見えない人って、どうなのかなあと。
職業柄、天皇の顔色の悪さ、愛子さまの目線、気になってしまいます
threadsにも、令和の天皇一家を賞賛し、愛子さまをアゲする人が湧いています 若い人を洗脳する気なんだろうなと
ふぶき様のブログが広まったらいいのにと思っています
ふぶき様、寒くなってきますので、お身体大事になさってください
長文失礼いたしました
ふぶき様も載せていらっしゃいますが 今朝の皇室御一家を 見ました
バレーボール会場の 一面真っ黒な空席が異常でした これは 雅子様を 正面から見ないように 一般人が撮さないようにするためでしょうか?
国民スポーツ大会 に出るために練習に励んで県の代表として出場している選手の方たちにこの 黒い 不気味な客席は失礼ではないでしょうか ?
人数制限をしたとは聞いていましたが
こんなことになっていると思いませんでした
警備のため 客席 1つおきに座るのかな ? 2つおきに座るのかな と思っていましたが 全面的に雅子様の前面は 空席にするということだったのですね
それでいて遅刻して30分だけ観戦してお手を振って帰られる とは⚪⚪⚪
こういう方をどうして私たちは 尊敬できるのでしょうか?
この方達は なにを考えていらっしゃるのでしょうか?
なぜ雅子様の前の席は真っ黒のままにしておかなくてはならないのでしょうか 私には分かりません
非常に 寒々とした気持ちです
先ほど 雅子様の前が全部黒かったと書いてしまいましたが
もう一度 録画を見直しましたら ロイヤルボックスの側の席が 全面的に真っ黒になっておりました
いずれにしても 真っ黒な壁にポツンとロイヤルボックスが浮かび上がって とても不気味です
何のためにここまでするのでしょうか
手袋は分かりにくいですが、タオルは持っていると思います。
取りあえず、お相手をする大人が困惑をすると言う程のこともなく公務がお出来になったようで、この方の初単独公務としては上出来では無いでしょうか。
朝早く御所をご出発できたのは、間違いなくお母様越えですね。
こうしてみると、就職というのは早起き(一般人には普通のことですが)のリハビリになっているのかしら。
体調がよくないご様子で心配しておりました。
継続的にブログの更新ありがとうございます。
読むだけ、コメントを好きなときに投稿するだけの私とは違い、きっと隠れたところでご苦労もあるのだろうとお察しします。
恐れ多いことですが、人には表に見えているところ、隠れているところがあるのは、皇室も国民も同じだと思います。皇室の方々にも、私たちには見えないご苦労がおありかと。なので、根拠のない想像のみで誹謗中傷は、どの方にもしないでおこうと思います。
ふぶき様のブログには、多くの写真や皇室の方々の言葉が文字起こしされ非常に重宝しています。
体調芳しくない中、更新ありがとうございます。
「何、このコメ?」と思って読んだのでしたが、お辛いでしょうねえ。rのブログさんのコメ欄にも、露骨な嵐が複数、頻繁に殴り込み掛けて来て、他の投稿者らが討ち取っています。
次代になるまで、必死の妨害工作続くのでは無いでしょうか。決定事項なのだから無駄なんですけれどw 「どうぞ、ご自愛になってください」としか申し上げられなくて、すみません。お身体、お大切になさってくださいね。
ところで最近、「南方熊楠」のお名前をネット上で目にしました。以前、伝記を読んで以来、気になっていました。
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■■南方熊楠顕彰館/南方熊楠邸/南方熊楠顕彰会/和歌山県田辺市
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/ウイキによれば、
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南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星。植物学・菌類学者としてのみならず、民俗学の巨星、19才から14年間アメリカ、イギリスなどへ海外遊学、10数ヶ国語を自由に使いこなし、国内外に多くの論文を発表し、日本に「ミナカタ」ありと世界の学者を振り向かせました。天文学、鉱物学、宗教学などにも多くの足跡をのこしています。
生涯在野の学者に徹した熊楠の活動・研究範囲は非常に広範囲にわたり、現在も全容が解明されておりません。没後、遺族からそのいくつかの資料の寄贈を受け、南方熊楠の遺した偉大な業績と遺徳をしのびその文献、標本類、遺品等を永久保存し、一般に公開するとともに博物学の巨星を後世に伝え、学術振興と文化の進展を目的として昭和40年4月に開館しました。その後、新館建築工事を平成27年11月から実施し、平成29年3月19日にオープンいたしました。
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だそうです。
世界を股にかけた”知の巨人”です。皇嗣殿下はお立場上、日本国内がフイールドですけれど、現代版”知の巨人”だなあと、勝手に思っています。悠仁親王殿下も、その後をお継ぎになるでしょう。知的でイケメンな次代と次々代に、期待大です。
熊楠が昭和天皇陛下にご進講したこと、思い出しました。追記させてくださいね。どうぞ、よろしくお願いいたします。
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★南方熊楠顕彰館★
■進講・進献
https://www.minakata.org/?page_id=425
南方熊楠が昭和天皇(当時摂政宮)へ初めて変形菌標本を進献したのは昭和元年11月10日のことだった。小畔四郎ら門弟の収集品を主に、熊楠が37属90点を選び、表啓文を添えて進献した。変形菌にご関心の深い摂政宮のご内意があってのことで(略)
昭和4年6月1日。熊楠はこの日、フロックコートを着て神島に向かい、その後、お召艦・長門で秘蔵の収集品をご覧に入れた。(略)
1932年にも熊楠は、門弟と合わせて30点の変形菌標本を献上、小畔四郎が単独で献上した分と合わせて4度の進献を果たした。
>昭和天皇御製「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」
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■没後の顕彰
https://www.minakata.org/minakatakumagusu/lifetime12/
戦後間も無く、大蔵大臣で民俗学者でもあった渋沢敬三は昭和天皇から熊楠の逸話めいたものを聞かされた。1929年の田辺での進講の時の話で「南方には面白いことがあったよ。長門(注、御召艦)に来た折、珍しい田辺付近産の動植物の標本を献上されたがね。普通献上というと桐の箱か何かに入れて来るのだが、南方はキャラメルのボール箱に入れて来てね。それでいいじゃ無いか」(略)
1962年5月、昭和天皇は南紀に行幸され、宿舎から雨に煙る神島を目のあたりにされた。33年前、熊楠の案内で神島に変形菌を探られた日も雨であった。
「雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」―翌年1月1日の新聞に発表されたこのお歌が、その後の熊楠顕彰に大きなはずみとなり、1965年には白浜町に南方熊楠記念館が開館。熊楠の超人的な足どりが人びとの前にようやく明らかになった。(略)