契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは
歌意: 約束したことだったよ。たがいに涙に濡らした袖をしぼっては、末の松山を波が越さないように二人の心が変わらないということを。
作者: 清原元輔 (908~990)
梨壺の五人の一人として、『後撰集』の編纂にかかわる。
清原深養父(ふかやぶ)(→36番)の孫。 清少納言(→62番)の父。
心変わりした女に、相手の男に代わって詠んだ歌だという。
相思相愛であったころの感動的な二人の約束事をとりあげているが、それによって女の心変わりを恨む気持ちだけでなく、いまだに残る女への執心までも浮かび上がらせている。
「契りきな」という初句切れの表現も、歌に緊張感を与えている。
この歌は『古今集』の大歌所御歌の
「君をおきて あだし心を わが持たば 末の松山 波も越えなむ」(東歌・1093)によっている。
もしも心変わりしたならば、末の松山を波が越えるだろう(そんなことはありえない)、
という誓いの歌であるが、この「契りきな」の歌は、その誓いが破られた時の歌になっている。
恋とは永久不変とは思ってみても、このようなもろさを秘めているものだということか。
※末の松山波越さじとは・・・「末の松山」は宮城県の多賀城市あたりの地名。
どんな大きな波でも末の松山を越すことがないことから、そこを「波」が越さないとは、二人の間に心変わりのないことのたとえとなった。
※参考 文英堂 「原色小倉百人一首」
恋に限らず、何にしても、人の心って複雑だし、同じ気持ちを長く持ち続けることって大変なことですよね。
強い意志があっても環境の変化でぐらっとくることもあるし
穏やかな気持ちで、(多少の刺激もあったほうがいいけど) 心豊かに暮らしていけたらいいですね
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昨日は2位でした ありがとうございます