222例会の続き。
第三水門から堂橋へ歩き進みます。
堂橋の次は新堀橋。新堀橋手前はゆるい登り坂です。
歩道の左が玉川上水です。
高い木はかなり伐採されています。
この場所では野草がかなり見られたようですが・・・跡形もありません。
新堀橋の上から。
この場所は新緑に囲まれて、とても美しい風景になっています。
羽村市から福生市に入ります。
新堀橋から加美上水橋間には加美上水公園があり、崖を下りて谷のようになった場所へ行きました。
旧堀跡です。
開削当時の玉川上水は、取水口から福生村下までは多摩川に沿って段丘崖下に造られ、
洪水で堀の堤が崩壊することが度々あり復旧工事がとても大変でした。
開削から90年後の元文5年(1740)、新堀橋上流60m地点(羽村と福生の境)~宮本橋上流100m地点間613mまで、
堀替え工事が行われ、崖下から段丘側に付け替えられました。
当時の工事記録『川崎家文書』によると、613mを30区画に分割、請負制とし、工期は25日
予算は4000両、支払いは掘り出した土砂の量を日払いにしたそうです。
この下の方に細く堀らしき跡がありました。
平成2年、福生市史跡に指定されています。
これから先は玉川上水に沿っての道が無いので、崖下の道を歩きます。
宮本橋と宿橋の間に、田村分水口があります。
田村分水は慶応3年(1867)、田村家個人の飲用に4.9坪の分水を獲得。
8年後の明治8年(1875)に3倍の16坪(12cm×12cm)に増量許可。
田村家は代々名主で、文政5年(1822)、9代目勘次郎さんが酒造業を創業。
分水は水車を稼動させ米の精白に使われた。
という歴史のある田村酒造さん。案内役のSさんが予約してくださり見学する事が出来ました。
高い煙突は文化財になっています。
水車小屋。現在は使われていません。
石臼
中を通って、門を開けてくださり、外に出ると
玉川上水の堀に出ました。
田村分水口
下を覘いてみます。
取水口
現在は取り入れた玉川上水の水は、敷地の中を流れて多摩川に戻っていきます。
下流方向に宿橋が見えます。
下見では、この場所には立ち入ることが出来ず、宿橋から撮っていました。
(3月22日、下見の時に撮った宿橋からの写真)
歴史を感じます!!
(FUJIFILM FinePix S1 35ミリ換算 24-1200mm)
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